記事

5つの移住ケースから学ぶ田舎暮らし成功の秘訣 人生色々、移住も色々

1/2

移住先でも無理をせず自分のスタイルを変えない

 医療関係の会社に勤務する古賀広光さん(59)。来年2月で定年を迎えて雇用延長に入る。2013年3月、千葉県いすみ市大原に新築住居を購入した。費用は物件および庭の修繕など含めて約1500万円。平日は東京都練馬区のマンションから会社に通い、週末は大原に帰る。趣味の釣りに興じたり、地元の居酒屋に集まる漁師や仲買人と飲んだりと、充実した週末を過ごしている。

画像を見る
古賀広光さん(撮影:Noriyuki Inoue)

 2拠点生活をはじめたのは「定年後の住処を求めて」だった。30代で妻に先立たれたが「その分、2人の子どもは早く自立してくれた」こともあり、自分自身の老後をどうするかということだけ考えればよかった。

 山梨に移住した友人から「山は寒いよ」と聞いていたこともあり、会社に通うことができる程度の距離にある海の町を探すことにした。「三浦半島では都会すぎるし、伊豆では遠すぎる」ということで、狙いを房総に定めた。

 まずは田舎暮らしを紹介するウェブサイトや雑誌などで物件を調べた。合計で28カ所を回り、大原と鴨川の2カ所に絞り込んだ。鴨川は高台にあり「一面、オーシャンビュー」。大原のほうは、両側が住宅に挟まれて海は見えない。ただし、駅に近くお店もあった。鴨川の景色に気持ちが傾いたが、「待てよ」と一呼吸おいた。

 景色は良いかもしれないが、集落からは離れているし、買い物に行くのも不便だった。「景色も毎日見ていればじきに飽きる」。であれば、「ふらっと居酒屋などに行くのが好き」ということもあり、ライフスタイルに合った大原のほうがよいと判断した。

 古賀さんのスタイルは「無理しない」「周囲に合わせない」「自分の好きなようにする」。確かに、地方に移住するから「農業やるぞ!」と張り切っても長続きしないということは少なくない。

完全移住に向けた都会と海の街で2拠点生活

 大原の自宅を訪ねたのは、「大原はだか祭り」の最終日だった。「お祭りに参加しないのですか?」と訊ねると、「地元でできた友達も出ているんだけど、俺、祭りはあまり好きじゃないんだよね」と、さらり。地域に溶け込むということでは、お祭りへの参加はうってつけのように思えるが、自分が好きではないことは無理にしない。

 移住先では、地域活動に参加して人間関係を築いて自分の居場所を作ることなどが多いが、古賀さんは「付き合いたい人は自分で選ぶ」。居酒屋や漁港の朝市などで「声がけ」を行い、漁師、仲買人など、気の合った人と友人になる。大原は特急に乗れば東京駅から約1時間で、移住者やセカンドハウスを持つ人が多く、よそ者を受け入れてきた土地柄。こうした点も古賀さんには利点だった。

 だからといって、「好きな人とだけしか付き合わない」ということではない。例えば「ちょいワル親父のBBQ(バーベキュー)」というチラシを作って、馴染みの居酒屋においてくるといったことをしている。自宅の庭でBBQを開催するという告知で、誰にでもオープンだ。荒れ放題だった庭には芝生を植え、菜園を作った。ゆうに10人以上はテーブルを囲むことができ、すぐそばの川で釣った鰻を振る舞う。釣りの話、釣った鰻のさばき方……そんな話をしているとき、古賀さんは最も楽しそうだ。

「郷に入れば郷に従う」も必要だが、主体は自分。「会社や妻(家族)のため」と言いながら、いつの間にか、会社や妻に依存して「自立できていない」男性は多い。地方移住の前に必要なのは、「何がしたいのか?」自身と向き合うことではないか。

野球と長崎に恩返ししたかった 夢は将来を担う子供達のお手伝い

 長崎県佐世保市のハウステンボスから歩いて20分ほどの距離にある長崎国際大学。この大学で地域連携室長として働く栗原邦夫さん(57)は半年ほど前に東京から移住した。目に笑い皺のある日に焼けた顔で、平日は地域住民との交流事業や資料作りに追われ、週末になると、大学の硬式野球部の練習にコーチとして参加する。

画像を見る
コーチを務める長崎国際大学硬式野球部選手と話す栗原さん

 この春まで、大手ビールメーカーで執行役員を務めていた。役員にまで上り詰め、退職はさらに先と思っていた周囲は栗原さんの転身に驚いた。だが本人にとって、34年間勤めた会社を早期退職し、地方移住することは、この先の人生の目標達成を考えたときに不可避だったという。

 最初の転機は10年前、47歳のときだった。大阪、茨城、福岡、長崎と赴任地を巡り、子育て中の妻を福岡の社宅に残しての初の東京本社勤務。都内に住む母親の入院の付き添いで丸一日時間が空いた日、いつかやりたいと思っていた〝私の履歴書〟作りに着手した。

 真新しいノートにそれまでの人生を綴った。野球少年だったこと、憧れの早慶戦に出場したくて中学受験したこと。採用試験前日に立教戦でホームランを打った球場に志望するビール会社の看板があり、面接が盛り上がったこと。入社後も野球を通じた先輩や仲間に助けられたこと……。改めて「これまで恵まれた人生を送ってこられたのは野球をやっていたおかげ」と実感した。ノートの余白を見つめ、会社を辞めた後の人生に初めて向き合ったとき、「野球への恩返しの気持ちを込めて定年後は何かスポーツを通じた子供たちの手伝いをしよう」と決めた。

 以来、年に数回ノートを見返し、学校でグランド整備や球拾いをして過ごす自分をイメージしながら、ことあるごとに周囲に夢を話した。地方移住も早期退職も明確には決めていなかったが、家族が残る福岡に割安なマンションを見つけると、ひとまず購入した。

役員を辞めて赴任地移住 妻とは「ハッピー別居」

 地方勤務をへて東京本社に戻った11年からスポーツを通じた被災地の子供支援事業に携わったことでより一層、思いが高まった。14年4月、一番下の子供から就職内定の連絡を受けたことで、何かに背中を押されるように長崎支社長時代のキーマンに手紙を書き、6月には翌年の転職が内定した。

 なぜ定年まで待てなかったのか。栗原さんは振り返る。「会社も仕事も好きだった。復興支援を含め4年間、営業畑とはまた違う、社会と関わる貴重な仕事をさせてもらい感謝している。だからこそ、子供が社会に出るこの時期に、私を育ててくれた大好きな長崎で、社会に恩返しできる第二の人生をスタートしたかった」。このタイミングで飛び出さないと夢に近づけないという思いがあった。

 いま、大学という未体験の分野で、日々、学生や職員に囲まれ、「10数年ぶり」の実務をこなす。忙しい日々だが、ハウステンボスの向かいに建つ教職員住宅のベランダからは、夏場は花火を、秋はヨーロッパを思わせる町並みと紅葉を眺めることができる。週末になれば野球部の学生とグラウンドに立つ。「こんなに幸せでいいのか」としみじみ感じ入る時があるという。

 子どもの成長や学校の関係で赴任地だった福岡に20年近く暮らす妻は、長崎移住も特に反対しなかった。趣味のピアノを弾く部屋が福岡のマンションにあることもあり、今回も単身だ。だが夫婦ともに、「ほどよい距離感」だという。「SNSができたことでいつでも連絡は取れるし、いざとなれば車で1時間40分あれば妻のもとに向かえる。数カ月に一度は、息子や母が暮らす東京や熊本に集合する。イベント型家族です」。しばらくはこの佐世保での単身移住生活を楽しむつもりだ。

あわせて読みたい

「セカンドライフ」の記事一覧へ

トピックス

ランキング

  1. 1

    社長辞任 勝者なき大塚家具騒動

    企業法務戦士(id:FJneo1994)

  2. 2

    堀江氏 餃子店1千万円支援に苦言

    女性自身

  3. 3

    橋下氏「否決なら住民投票無効」

    橋下徹

  4. 4

    年末年始「17連休案」空振りの訳

    BLOGOS しらべる部

  5. 5

    安倍待望論も? 菅首相は裏方向き

    早川忠孝

  6. 6

    JALの旅行前検査 医師が「ムダ」

    中村ゆきつぐ

  7. 7

    誤報訂正せず 毎日新聞社に疑問

    音喜多 駿(参議院議員 / 東京都選挙区)

  8. 8

    毎日の誤報「公正」は口だけか

    青山まさゆき

  9. 9

    若者の提案に上司「立場を失う」

    文春オンライン

  10. 10

    ソニー好決算 PS4や「鬼滅」も

    片山 修

ランキング一覧

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。