- 2015年11月16日 11:00
「北陸」を旅行先の定番に──苦節26年、数万人がかかわった北陸新幹線開業のはるかな道のりと希望
1/22015年3月14日、東京〜金沢間を約2時間半で結ぶ北陸新幹線が開業した。走行距離にして約450km。事業会社としてJR東日本、JR西日本の2社が手を組む初の整備新幹線となった。
北陸新幹線の歴史をひも解けば、1973年に成立した法律に基づいて、整備計画が策定されたことがそもそもの始まりである。
その後1998年の長野五輪に合わせ、1997年に一部区間である高崎〜長野間が先行開業し、段階的に整備が進められ、ついに金沢までの開業の日を迎えた。
多くの歳月と人の手をかけて、走り出した北陸新幹線は今、新たな人の流れを生みだしている。その背景にはどんなチームが支えていたのか。
実際にプロジェクトに携わった人びとの声を聞いた。
全線を「徒歩」ですべてチェック
北陸新幹線のまさに動脈となる鉄道を敷く工事、そして各地の顔となる駅舎を建設したのは、独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構(以下、鉄道・運輸機構)だ。
沿線地域の事業説明会から始まり、用地買収、各種工事などを一手に引き受け、各事業者と協議しながら、着実に軌道を敷設してきた。
画像を見る 1989年に高崎〜軽井沢間の工事に着手したのを皮切りに、1993年に軽井沢〜長野間、1994年に石動(いするぎ)〜金沢間と、国の認可が得られた区間から順次工事を進めていきました。
長野から金沢駅、そして白山総合車両所を含む区間全てに工事の認可が得られた2006年を機に、一気に開業へ向けて作業が本格化しました。
30年近くに渡る期間、当然それぞれの社内でも担当者の異動がある。
そんな中で、鉄道・運輸機構、及びJR東日本、JR西日本双方の土木、軌道、建築、機械、電気、そして運転など各分野の担当者が意見をすり合わせ、より安全に、よりスピーディに輸送を行うために鉄道構造物をどう建設していくか、詳細な調整を行い、順次工事を行っていった。
画像を見る どこに分岐器が必要か、カーブや勾配はどうするか、標識をどこに置くか、変電所はどこに置くかなど、詳細なルールを取り決め、工事に入ります。
長野から金沢までの約231kmもの延伸は、これまで多くの工事を行ってきた私たちにとっても未知の領域。地理的にも飯山から上越妙高間などの急勾配や、フォッサマグナを横断するトンネル掘削など難所続き。
また電力の周波数が東西で異なり、関わる電力会社も3社にわたります。高度な技術を要する工事は多々ありました。
橋やトンネルなどの鉄道構造物や鉄道施設が完成し、工事が全て終わった後にも重要な作業が続く。
画像を見る "しゅん工監査" といって、構造物に不備がないかどうか、延伸した全線を徒歩でチェックしていきます。
機構とJR両社合同で20~30名のパーティを組み、線路、架線、電気などそれぞれの担当者がくまなく目視で確認するのです。
その後、国による完成検査、訓練運転、試乗会を経て、3月14日の開業の日を迎えることとなる。
地元自治体の意見を生かした駅舎を建設
一方、乗客を迎える駅舎建設には、地元自治体からの意見が反映された。
画像を見る 駅は地元の顔となります。また沿線の自治体には予算的にもご協力いただきますから、地元の意見は最大限尊重し、納得してもらえるような施設に、という思いはありました。
結果的に、どの駅もそれぞれ特色の異なる建築になったと思います。
現在の駅舎は、2009年以降に設計・建設されたものがほとんどだ。
地元自治体の検討委員会などで挙がったデザインコンセプトに基づき、機構からも複数のデザイン案を提出。それぞれの自治体の決定を経て、個性豊かな駅舎が完成した。
画像を見る ひすいやフォッサマグナをモチーフにした糸魚川駅や、豪雪地帯に伝わる雁木(がんぎ)造を生かし、県産のブナを使った飯山駅など、それぞれに思い入れがあります。
路面電車を新幹線の高架下に通し、電停と改札をスムーズに行き来できるように設計された富山駅は、世界にも類を見ない駅舎であり、また地元自治体との連携があったからこそ実現できたものだと思います。
ホームドアの色分けにもまた、それぞれの駅にちなんだ色彩が使われている。
例えば金沢駅には、加賀五彩といわれる伝統色のうち4色があしらわれ、先頭部が藍色の新幹線車両がホームに停車することで、その五彩すべてが揃うのだという。
より速く、より効率的にという新幹線のイメージとは裏腹に、その細部までローカライズされた駅舎は、行き交う人びとの旅情を誘っている。
事業会社のノウハウを結集して新型車両を開発
事業会社であるJR東日本、JR西日本が開通プロジェクトをスタートさせたのは2007年。長野〜金沢間全区間の工事認可が下り、本格的に開業へと動き出してからだった。
画像を見る 1カ月ごとに大阪、東京、あるいは金沢と各拠点に集まり、双方の持つ新幹線のノウハウを共有し、綿密に打ち合わせていきました。リンク先を見るJR東日本 運輸車両部 鈴木 均氏
車両開発に関しては2011年からワークグループを本格化していった。
JR東日本が運営する東北新幹線は比較的 "観光客" が多い路線、JR西日本が運営する山陽新幹線は "ビジネス客" が多い路線と、それぞれ性質の異なる新幹線ということもあり、車両の開発にあたっては、改めてコンセプトを明確化する必要があった。
画像を見る 「和」をコンセプトにするということはかなり早い段階で決まりましたね。
金沢に代表されるような、北陸の伝統工芸や自然をイメージし、工業デザイナーの奥山清行さんにデザイン監修していただきました。
また東北新幹線でも好評だったグランクラスを18席配置し、快適性や居住性を追求しています。
車両開発においてポイントとなったのは、JR東日本が東北や上越、長野新幹線で培ってきた雪国や難所での高速車両のノウハウだった。
画像を見る 軽井沢の手前には急勾配があり、技術改良によって高速車両の走行が可能となりました。リンク先を見るJR東日本 運輸車両部 渡辺 清正氏
また、新たに開発した北陸新幹線のE7系・W7系には、東北新幹線を走行しているE5系に装備されている車体に雪を巻き込まないようにする床下機器点検蓋の2重構造化や、最高速度320kmを出せる技術を最大限活用する事により、極めて高い安全性を保っています。
さらに、雪が降る地域を走行するため、E5系でも採用している「スノープラウ(除雪板)」を車体前方に配置し、高速走行中も線路上の雪をかき分けながら進むことができます。そういった技術を活用しながら、北陸新幹線特有の50/60Hzの周波数切替に対応した車両システムも搭載しています。
- ベストチーム・オブ・ザ・イヤー
- 日本のチームワーク力の向上を目指す。