記事

ロシアが北方領土返還を拒むのはなぜか――オホーツク海の戦略原潜が障害物だ - 榊原智

安倍晋三首相は、ロシアのプーチン大統領とのトップ会談を通じ、日本固有の領土である北方領土(択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島)の返還を実現したい考えだ。しかし、安倍首相は執念を燃やしているのとは裏腹に、プーチン氏には応じる気配はみられない。
 
9月28日に国連本部で開かれた日露首脳会談は、平和条約締結に向けた対話の継続で合意した。だが、この会談の席上、プーチン氏から領土問題についての言及はなかった。10月8日にモスクワで再開された次官級協議でも議論は平行線をたどった。ロシアのラブロフ外相は折に触れて、領土交渉を拒否すると強調している。とりつくしまがないとはこのことだ。
 
ロシアはなぜ、北方領土の返還を拒むのか。領土に強欲な国家だからであることは歴史的に明らかだが、理由はそれに止まらない。1940年にスターリンによって併合されたエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国のソ連からの離脱、再独立がソ連崩壊(91年)へ影響を及ぼした例もある。
 
日本は、ロシアがかたくなに北方領土返還を拒む理由を理解し、それを突き崩していかなければならないのだが、その理由の筆頭に、軍事的理由を挙げることができる。
 
ロシアの核戦略上、北方領土が接するオホーツク海が極めて重要な位置を占めているのだ。これが、北方領土返還を嫌がる隠された理由である。
 
オホーツク海に潜むロシア太平洋艦隊所属の弾道ミサイル搭載原子力潜水艦(SSBN)は、米本土を核攻撃できる。ロシアにしてみれば、北方領土、とりわけ、オホーツク海に面する択捉島、国後島の2島を日本に返還することは、ロシアの戦略原潜の安全にとってマイナスになってしまうのだ。
 
これが北方領土問題をややこしくしている。
 
まずは、冷戦期に遡らなければならない。
 
陸上自衛隊の幕僚としてアメリカのシンクタンク、ランド研究所に留学し、冷戦末期の日本の対ソ防衛戦略を編み出したのが西村繁樹元防衛大教授である。その西村氏の著書『防衛戦略とは何か』(PHP新書)から引用したい。
 
「SSBNは、潜水艦の特性から海面下に潜むことができ、核戦争の最後まで生き残りを図ることができる。
 このゆえ、米ソ戦の決をつけるべく最終的な核攻撃を行うか、この残存を梃子に戦争終結交渉に持ち込むか、最後の切り札の役割を担うのである。
 ソ連の海軍戦略は、このSSBNの安全確保を最重要の柱として組み立てられた。この作戦構想は、その区域には何ものも入れない、いわゆる『聖域化(たとえばオホーツク海の聖域化)』であり、専門用語では『海洋要塞戦略』と呼ばれた。(略)
 極東においても『海洋要塞戦略』の登場により、オホーツク海およびその周辺海域が、核戦略上の中核地域となるに至った」(38~39頁)
 
「地上戦に敗れるようなことがあっても、SSBNの安全が確保されるかぎり、第二次大戦のドイツや日本のように無条件降伏を押し付けられることもない。そのような要求には『相互自殺』の脅しをもって応えることができるからである」(44~45頁)
 
ソ連のアメリカに対する核戦略上の「最後の切り札」が、オホーツク海に潜む戦略原潜(SSBN)だった。そして、ソ連が崩壊してロシアになった今でも、この構図は基本的に変わらない。
 
『平成27年版防衛白書』は次のように指摘する。ロシアの核戦力の中で「SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)を搭載したデルタⅢ級SSBNがオホーツク海を中心とした海域に配備されている。これら戦略核部隊については、即応態勢がおおむね維持されている模様」であり、2013年10月と14年5月の演習では、「デルタⅢ級SSBNがオホーツク海でSLBMを実射」している。
 
このとき、ロシア太平洋艦隊の戦略原潜はオホーツク海からロシア北西部のネネツ自治管区へ、ヨーロッパ方面の北方艦隊の戦略原潜はバレンツ海からカムチャッカ半島へ、それぞれSLBMを打ち込んだ。ネネツ自治管区はバレンツ海に面し、カムチャッカ半島半島はオホーツク海に面している。核戦争への対応能力をはかる大規模演習だ。いずれのときも日本政府は騒がず、大きく報道もされてこなかったことから、日本人は隣国ロシアがオホーツク海をこのように利用していることに気づいていない。
 
ロシアがオホーツク海に潜ませている戦略原潜は、ロシアにとっては、核大国である米国や中国と軍事的に対峙し、国家の存続をはかるための切り札である。もし、米国から全面的な先制核攻撃を受けても、オホーツク海の戦略原潜さえ生き残れば、米本土の大都市に報復の核の雨を降らせることができる。
 
このような核攻撃能力(第2撃能力)を持っている限り、ロシアは米国からの先制核攻撃を抑止することが期待できる。最悪の場合でも、無条件降伏せず、停戦交渉に臨むことができる。自国への核攻撃を防ぐとともに、ロシアは、自国を米国ともにらみあうことのできる「大国」とみなし続けられるのだ。
 
プーチン氏を含めロシア人は、日本人が想像する以上に、軍事優先の発想に立つ人々であって、オホーツク海の戦略原潜の意義はロシア軍部はもとより、ロシア政府の中枢にも認識されているに違いない。
 
ロシアにとって、核戦力は冷戦期に勝るとも劣らない重要性を持っているわけはもう1つある。ロシアの経済的弱体化、人口減によって、ロシア軍の通常戦力(非核戦力)がソ連軍当時と比べ格段に弱体化しているのだ。
 
たしかにプーチン氏は、ロシア軍特殊部隊を使って、きわめて巧妙にクリミアを手に入れ、ウクライナ東部を攪乱している。カスピ海に浮かぶ艦船からシリア国内へ巡航ミサイル攻撃をしてみせた。シリアへは陸海空軍を展開して、アサド政権に敵対する勢力に航空攻撃を行っている。鮮やかな手並みだが、あくまで限定的な新しいタイプの戦いを遂行しているだけともいえる。今のロシアに、米軍やNATO軍と正面きって戦う通常戦力はない。
 
だから、プーチン氏が、ウクライナ情勢をめぐり核攻撃の恫喝を行って世界から顰蹙をかったのだ。核の恫喝は、ロシアが米軍の介入自体や、米国製兵器のウクライナへの供与を恐れているからこその発言だった。日本人からすれば、米軍やNATO軍がロシア軍と戦うなど、それこそ想定外の話で、それはオバマ米大統領にとってもそうだろう。けれども、米軍やNATOから圧迫されていると感じているロシアは言葉による「核口撃」の1つもしたくなる精神状態にあるのだと思われる。それに比べ、強大な通常戦力を誇ったソ連の指導者は、プーチン氏のような核に依存する、露骨な言動をする必要はなかった。
 
ロシアが北方領土、とくにオホーツク海に面し航空基地もある国後島、択捉島を日本に返還すれば、自衛隊や米軍が潜水艦狩りに乗り出してきた場合、それを防ぐのに大きなマイナスがもたらされる。ことは虎の子の戦略原潜の安全にかかわるのだ。
 
共同通信は4月2日、「大演習で核先制使用想定 3月にロシア軍 抑止力高める狙いか 北方領土でも『戦闘』」との見出しのモスクワ電を配信した。それによると、「ロシア軍が3月中旬に実施した大規模演習の際、NATO軍や米軍とみられる仮想敵が、北極圏の島や北方領土を含む千島列島を攻撃し戦闘が起きた事態を仮定、核兵器の限定的先制使用の可能性を想定していたことが1日、分かった。(略)仮想戦場となった千島列島は、ロシア太平洋艦隊の戦略原潜が活動するオホーツク海を守る位置にあり、軍事的価値が増している」とある。
 
「北極圏」はバレンツ海を含むため、NATO軍が登場してもおかしくないが、オホーツク海方面は、米軍に加えて自衛隊も仮想敵視されていたことは容易に想像できる。
 
これは、冷戦時代ではなく、今年の話である。軍事優先のロシア人がやすやすと北方領土を手放すはずがないことがわかる。10月の日露次官級協議で、ロシアは北方領土を支配する歴史的正当性を唱えたようだ。日本は国際法や歴史的経緯に照らしても、北方領土は日本固有の領土だと主張している。ロシアの理屈は誤っており、日本の主張が真っ当であるのはもちろんだ。
 
北方領土は、終戦後後のどさくさに、ソ連によって無法にも軍事占領された日本固有の島々であり、4島すべての返還を実現しなければならない。
 
そのために、オホーツク海を戦略原潜にとっての聖域としたいロシアの思惑をどう突き崩すのか。安倍首相や外務省は、このようなロシアの軍事戦略を把握した上で、北方領土を取り戻す算段をしているのだろうか。返還実現後の北方領土をめぐる軍事的取扱いはどうなるのか。オホーツク海をめぐるロシアの核戦略が、主として米国を向いていることから、米国にとっては自国防衛に関わる話となる。軍事の要素がからむ北方領土問題は複雑な上にも複雑なのだ。
 
深い思慮がないまま交渉を進めても、オホーツク海に面していない、択捉、国後と比べはるかに小さい色丹島、歯舞諸島をめぐる話に限られてしまいかねない。焦ってそのようなことで満足しては、私たちの世代は先達や子孫に顔向けできなくなる。
 
外交交渉によって、プーチン氏を翻意させ、4島返還につながっていくのが望ましいことは言うまでもない。ただ、本稿で指摘したように複雑な話であるのも事実だ。
 
それではどうするか。知恵を絞らなければならないが、返還実現のカギは、科学技術かもしれない。科学技術の進展で、戦略環境を激変させる方法だ。たとえばレーザー兵器である。将来技術が進み、レーザー兵器によって、発射され飛翔するSLBMなど核兵器の投射手段を容易に破壊できるようになれば、世界情勢自体が激変する。そのとき、ロシアにとって、オホーツク海ひいては北方領土の軍事的価値は大きく減ずることになる。これは夢想とまでは言えない。米軍の艦船などには一部、初歩的なものながらレーザー兵器の搭載が始まっている。北方領土の全面返還や、核の脅威の排除に向けて、日本も一肌脱いだらどうだろう。
 
 
 
---
榊原智(産経新聞 論説委員)

あわせて読みたい

「北方領土」の記事一覧へ

トピックス

ランキング

  1. 1

    よしのり氏 年収100万円時代来る

    小林よしのり

  2. 2

    人手不足でも不遇続く氷河期世代

    fujipon

  3. 3

    河野大臣の答弁拒否に議員が苦言

    大串博志

  4. 4

    たけし 桜田大臣叩く野党に苦言

    NEWSポストセブン

  5. 5

    あなたも共犯 食卓に並ぶ密漁品

    BLOGOS編集部

  6. 6

    検察OB ゴーン氏逮捕は無理な話

    AbemaTIMES

  7. 7

    中国富豪 蒼井そらに300万円出す

    NEWSポストセブン

  8. 8

    高圧的な革新機構社長に違和感

    鈴木宗男

  9. 9

    安倍政権の横暴助ける無能な野党

    PRESIDENT Online

  10. 10

    米が中国渡航に勧告か 報復警戒

    ロイター

ランキング一覧

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。