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- 2015年11月06日 11:45
日本で偽装が横行する理由(杭打ちのデータ流用)
もう新鮮味はない話題ですが、傾斜マンションのデータ流用についてどう思いますか?
データを流用するとは言語同断! なんて思いますか?
私思うのですが、現場の実情に疎い人ほど憤慨していると思うのです。データを流用するとは何事だ、と。
しかし、杭打ちの仕事を請け負った会社は、平気な顔をしていうのです。
「データの流用があっても、しかし、だからといって安全でないとまでは言えない」
まあ、そんな言い訳を聞かされると、一般の市民は益々腹が立ってくるのです。
では、なんのために杭打ちのデータを取る必要があるのか、と。データを取らなくても、固い地盤にまで杭が達していることが他の何らかの手段で確認できるのであれば、だったらその証拠を示せ、と。
しかし、証拠を示せと言われても、そう簡単にはいかないので、だったらデータを流用するかとなるのです。データを流用したとしても、杭がちゃんと固い地盤に達しているのだから、問題ないではないか、と。
でも、だとしたら、何のためにデータを証拠として残しておく必要があるのでしょうか?
それに、そうやってデータを流用することが当たり前みたいになってくると、今度は、どうせデータは流用すればいいのだからということで、杭打ちが疎かになってしまうのです。
ところで、マイナンバーカードに絡む収賄容疑で逮捕された厚生労働省の室長補佐の出勤簿には出勤していない日も出勤を示す印鑑が押されていたと報じられています
どう思います?
出勤簿に本人が押印するのではなく、他の者が押印したって意味ないじゃん、と思いますか?
普通の感覚だとそうなるところ。それよりも、今時出勤簿に印鑑を押すなんてなんと遅れているのでしょう。
職員の出勤状況をきちんと管理するなら、タイムカードを利用すべきですよね。
でも、タイムカードは絶対に使用しない。
何故か? そんなことをすれば、職員たちは必ず定時に出勤することを余儀なくされてしまうからです。
あれっ、何かおかしなことを私は言っていますか?
確かにおかしい。しかし、霞が関の常識ではそれほどおかしくはない。
というのも、霞が関の役人たちは、勤務が深夜に及ぶことが珍しくなく、従って、その上朝も必ず定時に出て来いといっても無理なことが多いからです。
しか~し…出勤簿はいつも決まったところにおかれ、定時までに押印される決まりが変更されることはありません。
要するに、真面目に出勤簿に押印することを求めていたら、遅刻扱いになる職員が続出。遅刻する度に毎回、後出しで休暇願を出す羽目になるのです。
それに休暇願というのは、事前に出すものでしょ?
つまり、遅刻は、厳格に言えば、無断欠勤になってしまうのです。
深夜まで働き、否、場合によっては空が白々としてきた頃、タクシーで帰宅する職員に対して、ちゃんと定時に出勤しろなんて誰が言えるでしょう?
「大丈夫、庶務の人が代わりにハンコを押しておくから」となってしまうのです。
そして、件の室長補佐は、そうした慣習を悪用して平気で仕事をさぼっていた訳なのです。
私思うのですが、日本はこうした建前と本音の違うことが多すぎます
本音としては、杭打ちのデータにしても、そんなもの必ずしも必要ないではないか、と。ちゃんと固い地盤まで杭が届いているのを確認したのだから、それでいいだろう、と言いたい。
出勤簿に関しても、毎日、一生懸命仕事していることは分かる筈だから、出勤簿に誰かが代ってハンコをおしても問題はないだろう、と。
出勤簿の問題にしても、それから杭打ちのデータにしても、もう少し現実に即したシステムに変更する必要があると思います。
例えば、ちゃんとした杭打ちのデータが得られなかったり、あるいは、再度データを取ることが時間や経費の関係で不可能になった場合、複数の現場監督者の証言でデータに代えることができるようにするとか…。
出勤簿にしても、おかしいでしょ?
読売の記事によれば、厚生労働省は、庶務の人が代わりにハンコを押すようなことは止めるなんて書いてありましたが、では、課長以上の偉い人は実際に自分でハンコを押しているのでしょうか。
誰が自分で押すか、と。
つまり、偉い人たちの出勤簿の押印など、最初から茶番劇なのです。
つまり、形式的には嘘であり、その嘘の芝居を皆で演じているのです。
私、そんな無意味なことをするくらいなら、そもそも出勤簿を廃止してしまう方が理に適っていると思うのですが…しかし、そうなるとちゃんと職員の勤務状況を管理しているかということになり…
でも、こうした地味な問題に巧く対応することができないようでは、日本がさらに一歩成長することはあり得ないと思います。
そして、こういう小さな嘘の積み重ねによって、人々の感覚が少しずつマヒして行くのです。
結局、偽装国家、ニッポンということになるのです。
データを流用するとは言語同断! なんて思いますか?
私思うのですが、現場の実情に疎い人ほど憤慨していると思うのです。データを流用するとは何事だ、と。
しかし、杭打ちの仕事を請け負った会社は、平気な顔をしていうのです。
「データの流用があっても、しかし、だからといって安全でないとまでは言えない」
まあ、そんな言い訳を聞かされると、一般の市民は益々腹が立ってくるのです。
では、なんのために杭打ちのデータを取る必要があるのか、と。データを取らなくても、固い地盤にまで杭が達していることが他の何らかの手段で確認できるのであれば、だったらその証拠を示せ、と。
しかし、証拠を示せと言われても、そう簡単にはいかないので、だったらデータを流用するかとなるのです。データを流用したとしても、杭がちゃんと固い地盤に達しているのだから、問題ないではないか、と。
でも、だとしたら、何のためにデータを証拠として残しておく必要があるのでしょうか?
それに、そうやってデータを流用することが当たり前みたいになってくると、今度は、どうせデータは流用すればいいのだからということで、杭打ちが疎かになってしまうのです。
ところで、マイナンバーカードに絡む収賄容疑で逮捕された厚生労働省の室長補佐の出勤簿には出勤していない日も出勤を示す印鑑が押されていたと報じられています
「汚職の厚労省室長補佐、出勤簿に不適切「押印」」(読売)
「週の半分ほどしか東京・霞が関の同室に出勤していなかったにもかかわらず、出勤簿にはほぼ毎日、出勤を示す押印があったことが分かった」、「開示されたコピーによると、出勤の印鑑が押されているのは平日の大半にあたる228日で、休暇は14日。出勤簿は原則、本人が押印する決まりだが、同室は「庶務の担当者が他の職員の印鑑を預かっており、休暇の届け出がなければ職場に来なくても出勤とみなして押印していた」と説明した。現在はこうした運用は廃止したという」
どう思います?
出勤簿に本人が押印するのではなく、他の者が押印したって意味ないじゃん、と思いますか?
普通の感覚だとそうなるところ。それよりも、今時出勤簿に印鑑を押すなんてなんと遅れているのでしょう。
職員の出勤状況をきちんと管理するなら、タイムカードを利用すべきですよね。
でも、タイムカードは絶対に使用しない。
何故か? そんなことをすれば、職員たちは必ず定時に出勤することを余儀なくされてしまうからです。
あれっ、何かおかしなことを私は言っていますか?
確かにおかしい。しかし、霞が関の常識ではそれほどおかしくはない。
というのも、霞が関の役人たちは、勤務が深夜に及ぶことが珍しくなく、従って、その上朝も必ず定時に出て来いといっても無理なことが多いからです。
しか~し…出勤簿はいつも決まったところにおかれ、定時までに押印される決まりが変更されることはありません。
要するに、真面目に出勤簿に押印することを求めていたら、遅刻扱いになる職員が続出。遅刻する度に毎回、後出しで休暇願を出す羽目になるのです。
それに休暇願というのは、事前に出すものでしょ?
つまり、遅刻は、厳格に言えば、無断欠勤になってしまうのです。
深夜まで働き、否、場合によっては空が白々としてきた頃、タクシーで帰宅する職員に対して、ちゃんと定時に出勤しろなんて誰が言えるでしょう?
「大丈夫、庶務の人が代わりにハンコを押しておくから」となってしまうのです。
そして、件の室長補佐は、そうした慣習を悪用して平気で仕事をさぼっていた訳なのです。
私思うのですが、日本はこうした建前と本音の違うことが多すぎます
本音としては、杭打ちのデータにしても、そんなもの必ずしも必要ないではないか、と。ちゃんと固い地盤まで杭が届いているのを確認したのだから、それでいいだろう、と言いたい。
出勤簿に関しても、毎日、一生懸命仕事していることは分かる筈だから、出勤簿に誰かが代ってハンコをおしても問題はないだろう、と。
出勤簿の問題にしても、それから杭打ちのデータにしても、もう少し現実に即したシステムに変更する必要があると思います。
例えば、ちゃんとした杭打ちのデータが得られなかったり、あるいは、再度データを取ることが時間や経費の関係で不可能になった場合、複数の現場監督者の証言でデータに代えることができるようにするとか…。
出勤簿にしても、おかしいでしょ?
読売の記事によれば、厚生労働省は、庶務の人が代わりにハンコを押すようなことは止めるなんて書いてありましたが、では、課長以上の偉い人は実際に自分でハンコを押しているのでしょうか。
誰が自分で押すか、と。
つまり、偉い人たちの出勤簿の押印など、最初から茶番劇なのです。
つまり、形式的には嘘であり、その嘘の芝居を皆で演じているのです。
私、そんな無意味なことをするくらいなら、そもそも出勤簿を廃止してしまう方が理に適っていると思うのですが…しかし、そうなるとちゃんと職員の勤務状況を管理しているかということになり…
でも、こうした地味な問題に巧く対応することができないようでは、日本がさらに一歩成長することはあり得ないと思います。
そして、こういう小さな嘘の積み重ねによって、人々の感覚が少しずつマヒして行くのです。
結局、偽装国家、ニッポンということになるのです。