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不破哲三「本と私の交流史」の記事を読む

 古本屋めぐりをまったくしなくなった。

 福岡には古本屋がないせいである。

 いや、あるよ。

 あるけど、遠いし、ほとんどないので行かないのである。

 言っとくけど、ここで言っている「古本屋」っていうのは、ブックオフとかそういうアレじゃないから。古書店だから。

 大学時代は、大学の周りの古本屋をよく歩いた。あと、学生自治会運動で東京に国会要請に行ったときはほぼ必ず神田の古本屋歩きをした。

 1953年刊行の岩波書店『日本資本主義講座』(戦前の野呂栄太郎たちがかかわった『日本資本主義発達史講座』の方ではない)を買って「『発達史講座』があれくらい高い評価をもらったのだから、戦後のマルクス主義者たちのこの講座はきっとスゴいに違いない」と無根拠なコーフンしたものである。

 むやみに安かったし。

 まとめ買いして下宿に、ドン、と置いておくのだ。

 これ見よがしに。

 これでもうアレである、戦後のマルクス主義の到達は一気にいただいた、みたいな気分で海綿体が充血する。

 するとそれを見た大学の先輩が「紙屋、あれ、買ったんか」と大笑いし、「これは『六全協』が出て、とんでもねー分析だということになって、評価が180度かわった見本みたいなシリーズなんやな。いまだとゴミみたいなもんや」。

 な、なんだってー!!

一九五三年から刊行がはじまった『日本資本主義講座』は、一時は学生たちにむさぼり読まれたけれども、日本共産党の「新綱領」の解説に堕してしまい、五五年の「六全協」による自己批判以後、紙くず同然になってしまったのも、この時期の社会の一面である。(中村隆英『昭和史』、強調は引用者)

 ぼくは講座自体を詳細に読んでないから、そういう世人の評価をもってこの講座を見向きもしなくなった(もう今ではどこに行ったかさえわからない)。そういうぼくの態度こそが自分の目で確かめようともしない態度そのものだと思うけど、仕方ないだろ。そこまで情熱ないし。何とでも言ってくれ。

 今となってはいい「思ひ出」である。

 こんなことを書いているのは、不破哲三の話を「赤旗」記事で読んだからである。

本と私の交流史/「日本共産党がんばれ!図書館の会」での/不破哲三さんの記念講演から リンク先を見る

 買う基準は、すぐに読むものというより、いつか役に立つかもと頭に引っかかるかどうかです。買って何年も手に取らないものもありますが、いったん買ったものは、いつか役に立つだろうと取っておく主義です。

 不破は『スターリン秘史』を執筆するにあたり、スターリンの全体像を浮かび上がらせるための文献的努力を次のように述べている。『日記』とあるのは、不破が『秘史』を書く際に「縦糸」として使った『ディミトロフ日記』のことである。

 ただ、スターリンは自分の本心は側近にも言いません。スターリンがその時こう言った、という事実は重要でも、それだけでは歴史の真実に迫れないのです。『日記』を縦糸に、それと交わる横糸となる資料が大事です。その横糸として、以前何となく買っておいたもので、役に立ったものがずいぶんありました。

 モロトフの演説・論文集を集めた『戦争とソ連外交』はその一つである。

 一つは、ソ連の首相や外相を務めたモロトフの演説・論文集『戦争とソ連外交』(高山書院)です。1941年4月の出版です。真珠湾攻撃で戦争が一気に拡大した年ですが、日ソ中立条約の締結直後の時期には、こういう本が出せる条件があったんですね。スターリンは1939年初め以降、公式な発言をせず、ドイツとの不可侵条約締結をはじめ、どんな外交問題でもモロトフに発言させているので、この本は貴重です。いまモロトフの論文集など出す人は世界中にいませんよ。当時でなければ出せなかった貴重なものです。

 確かに「いまモロトフの論文集など出す人は世界中にいませんよ」ってそのとおりだな…。

 「そんなに古い本なら国会図書館にあるんじゃねーの?」という反論がすぐさま返ってきそうだ。不破はわざわざ国会図書館の話を先ほどの記事のなかでかなりのスペースをさいてやっているので、自分の本として持つということと、図書館にある、ということは全く違うのだろう。想像でしかないが。

 図書館に本があることと、自分で本を持つことの違いは何か。

 普通の人間はそこまでして手もとに置いておかねばならない本など、そんなにあるだろうか。

 ない。

 つまり図書館とは別に古本屋が必要だっていうのは、モノ書きの人間にとってのスキルだということではないのか?

 だって、不破の手もとに置いている本、この記事の中で見てみなよ。

 それから、各国共産党との交流の中で手に入れたものがあります。1984年のフィンランド訪問でもらった『冬戦争』。ソ連・フィンランド戦争(1939~40年)当時のフィンランド外相が書いた外交記録で、この戦争のこれほど生々しい記録は読んだことがありません。1982年のユーゴスラビアの党大会では、「自由にお持ちください」と置いてあった出版物で役立ちそうなものを片っ端からもらってきて、これも大いに役立ちました。

 理論交流で2007年に中国を訪問したときには、北京一の繁華街の書店で『建国以来劉少奇文稿』の最初の部分4冊を買ってきました。これも、読んで驚きました。

 このユーゴスラビアの党大会で、タダで置いてあった「資料」は、他のところで不破が書いていたけど、他に誰も手にとるやつなんかいなかったんだぜ!

 それを喜々として持ち帰る不破のフリークぶり。

 しかも、持ち帰るばかりか、自分の著作の典拠に使っちゃうんだから、尋常じゃねーわな……。

 こんなオタクなら図書館とは別に古本屋を必要とするワケがわかる。でも俺らには要らねーわ。

……と言いたくなるな。不破が満面の笑みで語る写真をみたら。

 ただ、そこまでオタクっぽく資料収集しなくても、古本屋をめぐって古本を買うことは、図書館にだけ頼ることとは別の意義がある。と不破ほどのビブリオマニアにはなれないぼくがそっとつぶやく。2点ほど言っとく。

 一つは、やはり、手もとにおくことで簡単に開いて確かめることができる。たとえば前述の『戦争とソ連外交』は福岡県にはないから、国会図書館に行くか、そこからわざわざ取り寄せないと見られない。相当な努力をしないと読めないのである。つーか事実上、読めねえ。

 もう一つは、古本屋をめぐるということは、図書館の開架のラインナップを見るのとはまるで違うということだ。やはり図書館の開架のラインナップは基本的に新しいものや重要なものが並んでいる。まあ、たまには『ラーメンマップ埼玉 2』とか『公認会計士第2次試験2001』もあったりするらしいが。

 古本屋めぐりは閉架のものを引き出して雑多に並べたような感覚があるが、さらに普通の図書館には本来納められないようなものもあったりする特別の猥雑さがある。

 古本屋に行かなくなったことで、すでに刊行された古いものに蓄積があることを忘れてしまっているような、頭のその部分が欠け落ちてしまったような気がする。

 最近、ある自治体の議会図書室を訪問したのだが、そこにいる職員に話を聞いたところ、新刊しか入れないのだという。「古本を購入するようにお願いはできないんですか」と聞いたら、そんなことできるわけねーだろという顔をされた。

 しかし、たとえば憲法の棚をみると、古典的な解釈標準とされた法学協会の『註釈日本国憲法』などはない。そういうものを外して議会の図書室たり得るのだろうか、と思ってしまった。

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