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なんか、いきなりラグビー、ブームだな。外苑前のショップ、盛り上がっていた。このキッズ向けの服も、五郎丸ポーズ?・・・安易に浣腸と言ってはいけない。
ところで、先日書いた
ネットで見かける、あなたの価値を下げる「ダメな批判」の言い回し
http://blogos.com/article/140272/
がBLOGOSで結構なアクセス数になっているようだ。支持数もコメントも多い感じ。
このエントリーで、大事なことを書き忘れていた。この手の「自分の価値を下げるダメな批判」に関連して。
それは
「いやならやめろ」
「いやなら見るな」
などの
「いやなら●●するな」
という言い回しである。
まあ、家族や友人を至近距離で面と向かって説教するには良い。居酒屋トークなら良い。ふざけてじゃれあって言うなら良い。エールの意味で言うのもゆるそう。
ただ、社会問題について意見をするときに、善良な市民なら言ってはいけないセリフである。
というのも
「いやならやめろ」
「いやなら見るな」
などと言われるものには、構造的な問題が存在している可能性があるのだ。
本人の意志、好き嫌い、良い悪い、賢いか賢くないかなどを別として、だ。
例えば、私が日々、向き合っている学生のブラックバイト問題などがそうだ。「嫌ならやめろ」という話になるが、経済的な事情、ワークルールの教育が十分に行われていないこと、交渉するという発想がそもそもないこと、年齢や在籍年数による上下関係などの問題があるし、雇う側も働き手に逃げられてはビジネスがまわらないので、あの手、この手を使わなくてはならないのだ。
いや、もちろん、短期的に身を守るためには、辞めるのも手だと説教するのもありだ。ただ、同時に、大人なら、「どうすればこの問題が解決できるのか」という発想が必要だろう。
まあ、たいていのネット上での発言における「いやならやめろ」は何も考えていない捨て台詞なのだけど。
「いやなら見るな」は「いやならやめろ」と若干、性質が違う。とはいえ、これも問題だ。というのも、「いやなら見るな」と言いつつ、目に入ってくるものがあるのだ。公共の電波などはまさにそうだし、交通広告などもそうだ。そういう意味で、これらのものは、そもそも暴力的なのだ。
エヴァ本でも書いたが、「理解不能な作品だな」とか思いつつ、それに対して「いやなら見るな」と言うわけだが、皆がテレビをつけている時間なら突然、目に入ることもあるわけだ。
というわけで
「いやならやめろ」
「いやなら見るな」
という表現の全てがバカであるわけではないが
やはりこの表現も時に
「そう言っているお前がバカだ」と思われてしまう表現であることを意識しなくてはならないのだ。
記事
- 2015年10月22日 21:38