前回の記事(「スマホエコノミーを読み解く」)が公開された9月30日に、「MVNOとして、モバイルデータ通信とクラウドを一体化したIoTプラットフォームSORACOM」というサービスが開始された。MVNOは、スマートフォン向けの格安SIMを提供する事業として知られている。SORACOM(ソラコム)は、IoT(モノのインターネット)に適した格安SIMを提供するという。すでに多くのテック系メディアで取り上げられて、日本におけるモノのインターネットが加速されるのではないかと注目が集まっている。
前回の記事は「スマホでないものをクラウドにつなげて、関連する情報やコンテンツをクラウドと交換する。そして人々が常に携帯しているスクリーンを備えたスマートフォンで、そのハードウェアや情報をコントロールすることができるようになる。スマホエコノミーの顧客に、これまでになかった新しい体験を提供できる環境が整ってきたのではないだろうか。」と結んだ。
「スマホでないものをクラウドにつなげる」とは、まさにモノのインターネットを指しているが、これまで何が問題だったのか、そして、それはソラコムで解決できるのだろうか。それを考えていくと、日本の携帯キャリアが、依然としてガラパゴス状態にあることが見えてくる。
モノのインターネット
現在、テクノロジーの世界ではモノのインターネットが、次のイノベーションを生み出すトレンドとして注目を集めている。これまでモノのインターネットは、ウェアラブルとビッグ・データと共にまとめて論じられることが多かった。
(1)ウェアラブル端末から情報を自動的に収集し
(2)そのビッグデータを分析して業務的に使用する
(3)そして消費者の利便性を向上する新ビジネスを開発する
という考え方が、特にマーケティング業界の「過度な期待」を煽っている。さらにITベンダーも同様のシナリオでクライアント企業に、ビッグ・データの収集・解析システムの導入を迫る。
しかしこのシナリオには、モノのインターネットによって人々にどんな価値が提供できるかという視点が欠けている。ウェアラブルやモノのインターネットによってビッグデータが収集できれば、何か(わからないが)きっと素晴らしいことができるという。そこには、その情報で顧客にあった何かを提案できれば、きっと顧客も嬉しいに違いないというマーケティング業界の思い込み(思い違い)がある。
新しいアイデアやテクノロジーが生まれた時、メディアの過剰な煽りなどによって市場の期待が急激に高まることがある。それをハイプ(Hype)という。しかし、その新しいアイデアやテクノロジーの未成熟さから、なかなか実際の製品やサービスとして実現されないと、その期待が一気に幻滅に変わる。そして、そのなかから成熟したものが生き残り、実際の製品やサービスとして市場に提供されていくという流れを、ガートナーはハイプ・サイクルと呼んでいる。
ガートナーのハイプ・サイクル上では、モノのインターネットは、まさに「過度な期待」のピークにあり、実際の製品やサービスとして市場に提供されるまで、5~10年を要するとされている。ちなみに、2014年に発表されたハイプ・サイクルの図には、ビッグ・データが「過度な期待」のピークと幻滅期のちょうど境にあったが、今年の図には表示されていない。
モノのインターネットには、M2M(マシンツーマシン)と呼ばれるインダストリアル・インターネットも含まれる。こちらのモノのインターネットは、工場設備や発電所のタービン、そして建設機械などをネットにつなげて情報を収集し、遠隔でコントロールするなどの事例がある。
もうひとつのIoTがスマホエコノミーに
変化をもたらす
2006年にナイキ(とアップル)が「Nike+iPod」を発売した。靴底にセンサーが仕込まれた、ゴムと布などで作られたランニングシューズが、iPodとパソコンのiTunesを介して間接的にではあるが、インターネットにつながったのだ。それは、モノのインターネットがモノに新しい価値を与え、人々に新しい体験を提供する可能性を示していた。
2001年のマックワールドエキスポでアップルがiTunesを発表したとき、スティーブ・ジョブズはデジタルハブという構想を紹介した。パソコン(Mac)が、さまざまなデジタル機器を相互連携させるためのハブとしての役割を担うことによって、デジタル機器が人々のライフスタイルをもっと楽しく便利にするものになるというものだ。スマホエコノミーの時代になり、デジタルハブの役割はパソコンからスマートフォンに移った。そして、モノのインターネットの時代が来るのであれば、その役割を担うのはクラウドになる。靴底のセンサーは、直接クラウドにつながる必要がある。
スマホでないものをクラウドにつなげて、これまでになかった新しい体験を提供することを実現した良い例がある。フランスのコネクテッド・サイクル社というベンチャー企業の、コネットテッド・べダルという自転車盗難防止用のペダルだ。
警視庁が把握している数字では、東京都内における自転車の盗難件数は年間5万件から6万件という数字だが、欧米の大都市においてはその数十倍の盗難があるという。ずばり「自転車泥棒」というタイトルの古い映画でも有名な彼の地では、現在でも盗んだ自転車を売りさばく闇市場があって、それで生活している泥棒もいるほどだ。彼らは大きな袋でボルトカッターやカーボン製の金ノコを持ち歩き、小さなU字ロックやチェーンなどはあっというまに切断してしまう。高額な自転車に目をつけたら、わざわざ自動車のジャッキを持って行って太いU字ロックを広げて破壊することも厭わない。
自転車にセンサーを取り付ける。係留してあるはずの自転車が移動したり、振動したことを検知すると、その情報がクラウドのサービスを経由して持ち主のスマートフォンのアプリに送られ警告を発する。不幸にして盗まれてしまったら、自転車に仕込まれたGPSで追跡する。そこまでは誰でも思いつく。
しかし、そのセンサーは泥棒に簡単に取り外されたり壊したりされないように、目立たないように取り付けられている必要がある。走っているときの振動や水濡れなどにも耐えられなければならない。そういった条件をつけると、センサーや通信モジュールのための電源が問題になってくる。充電のために簡単に取り外すことができたり、端子が出ていたりしては都合が悪い。さらに異常を検知したときは即座に通知しなければならないので、Wi-Fiや近接通信ではなく携帯電話網によってインターネットに常時接続している必要がある。
コネクテッド・ペダルは、一般的な大人用の自転車に取り付けることができるペダルで、モバイルデータ通信機能とGPSを内蔵しているので、万が一自転車が盗難にあった場合でもリアルタイムで居場所を追跡できる。さらにペダルを漕ぐことによって発電し蓄電されるので、モバイルデータ通信機能とGPSのために外部から電気を供給する必要がないという。ペダルは、特殊な工具でなければ取り外すことはできない。
驚いたことに、無期限・無制限のデータプランが商品パッケージに含まれている。GSM/GPRSという2.5Gのパケット通信に対応したSIMが、ハードウェアにハンダ付けされていて、外して他の機器で使用することはできない。インターネットを介して送受信する情報の量は多くないだろうから、通信スピードはそれほど速くなくてもいい。通信に必要なハードウェアの消費電力の低さ(発電のために、漕ぐペダルが重くなってはたまらない)、そして世界中で利用できるということでGSM/GPRSというレガシーな通信インフラを採用したのだと思う。すでにEU28カ国と米国、そしてスイス、ロシア、中国、イスラエル、ノルウェーで利用できるようになっているようだが、残念ながらGSM/GPRSのインフラがない日本では使うことができない。
このコネクテッド・ペダルは、モノのインターネットのお手本のような非常によく考えられた製品だ。盗難対策以外にも、自転車に乗ることを楽しくするいろいろな機能がある。そのアイデアは現時点でも素晴らしいが、アプリケーションやビジネスモデルを含めて、大きな可能性を持っていると思う。現在、クラウドファンディングのIndiegogoで、1セット$189で予約することができる(出荷予定は2016年4月)。