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素人インタビュー番組隆盛の裏で

ヤフートピックスで今のTV界における「素人インタビュー番組」の興隆は私達が作った「一億人の大質問・笑ってコラえて」が元祖と褒めて頂いているが、筆者のテレビ解説者の木村隆志氏は色々分析されていて「素人は等身大で安心感があり意外性や再発見がある。」「台本のない脱予定調和性がある。」「素人さんには、よくよく聞くと夢や希望や暗い過去や深い悩みがあるので他人の人生を覗き見している感じが持てる。」などを挙げていて最後に「製作者側にとっては、タレント費・衣装費・ヘアメイク費を出すより低予算だから」等と制作予算的理由を述べている。(http://news.yahoo.co.jp/pickup/6177165

しかし記事の趣旨と大分異なるが「笑ってコラえて」の「ダーツの旅」は金・ヒマ・手間・編集時間が法外にかかっている。取材期間は一つの村で10日間~14日程、スタッフが対象の村に泊り込み、夜明けから日の落ちるまで村人にインタビューを撮る。スタッフはほとんどの村人と最後には知り合いになってしまう程だ。最終編集で採用されるのは100人に一人。インタビューアーの引き出すテクニックも必要だ。・・・つまり「他の番組が簡単に真似できない企画と取材方法を取ったから革新的だったし他の番組が真似も出来ないから長続きしている」訳であり、簡単に「素人インタビュー」を表面的に真似している連中とは思想も考え方も方法論も違うのだ。・・・ヤフトピの冒頭で褒めていただいている事には感謝するが。

「笑ってコラえて」(水曜・日本テレビ)の「ダーツの旅」は、放送スタート時の1996年から19年も続いてる超長寿の人気コーナーだ。所ジョージさんが「日本地図に投げたダーツ」が当たった村や町に滞在して、村人との交流を続けるコーナーだ。信じられないくらい面白い90歳の老人、テレビ取材と知ってキャキャ騒ぐ女子中学生集団、ウチの軍鶏が美味いと家に招待してくれるオバサン・・・。このコーナーの大成功の影響は絶大で、その後、他局でもあまたの「素人インタビュー・バラエティー」が生まれた。 ビデオカメラの超小型化・軽量化・低価格化・高性能化で制作スタッフが直接取材・撮影出来、長期間の取材も可能になったことも大きな影響を与えていたであろう。

実は皆様に一つ告白しておきたいことがある。筆者(吉川圭三)はこの「偉大な長寿コーナー」の生みの親として名を残しているが、正確にはそうでないのである。確かにこのコーナーを「実現化」したのは筆者だが、実は色々な経緯があった。 これも「バラエティ史の一断面」だと思いここに記しておく。

ものの資料によると、始まりは関西で今も絶大な人気を誇る「探偵!ナイトスクープ」(1988〜現在・朝日放送)にいおて、越前屋俵太さんが「ダーツを投げ、刺さった地域に行く」というコーナーがあったそうである。

ただ当時、ハンディカメラが重かったとか、一日20万円程の撮影技術費がかかったとか、長期取材はタレントさんのスケジュール上無理だったのか、すぐ休止になってしまった。「探偵!ナイトスクープ」が関西ローカルの番組ということもあってか、筆者はそのコーナーのその事実は後で知った。

「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(1985〜1996・日本テレビ)のIVSテレビ制作の当時の社長だった長尾忠彦さん(現・会長)が筆者を訪ねて来て、一つの企画書を出してきた。表紙には地球儀があって、そこにダーツを投げる人がいた。つまり「世界ダーツ旅」をやろうというのだ。越前屋俵太の企画にインスパイアーされたのか?については今でもわからない。

「ん~。いい企画だ。でも地球は広すぎるし、ヌカに釘とでも言う感じかな~。」

これが筆者の感想だった。したがって、この企画書はしばらく筆者の机に眠り続けた。そんなある日変化が起きる。 当時、担当していた「どちら様も!!笑ってヨロシク」(1989〜1996・日本テレビ)が低迷し始めていた。番組として経年劣化をしていたのだ。編成部が「そろそろ番組の打ち切り」を告げに来る・・・私はそう感じた。その前に動かなければ一族郎党食いっぱぐれだ。筆者は部下の小澤龍太郎と企画書をでっち上げた。

題して「1億人の大質問・笑ってコラえて」。日本初の本格的インタビュー・バラエティ。日本中の素人さんのインタビューを基にした番組だった。作った企画書には、10個くらいの企画が書いてあったが、正直でっち上げだった。その中に「あのコーナー」があった、というわけだ。そう、「ダーツを当てて村で取材する」というアノの企画が。

ただし、IVS版と違うのは、対象は「地球儀」ではなかった。私の初期設定は「世界地図ではなく、あくまでも、日本地図」「日本の町や村に長期間ロケに行く」「タレントは長期拘束不可能だから絶対使わない」と言うものだった。IVSの長尾社長に失礼ながらも電話で許可をもらった。筆者も長尾さんも、このコーナーがこんなにヒットするとは、当時全く思っていなかったのかもしれない。また、作家の小林信彦氏のどこか小説の最後にあの萩本欽一氏らしいコメディアンが予定調和の台本のあるコントに視聴者が飽きて、結局、日本全国の素人と触れあうという企画が最後にヒットしたという小説の最後のパラグラフも頭にあった。「予定調和から非予定調和へ。そしてそれを長時間収録して凝縮する。」という目論みだった。

編成部は首をひねりながらも「この枠で当てつづけたスタッフだから」と企画を通してくれた。
でも筆者は、「半年ダメだったら、確実に一家お取り潰しだな。」というのは知っていた。

新番組「笑ってコラえて」の会議は日夜続いた。そして10個の企画中の1個「日本列島ダーツの旅」についても、「一体どうやるか?」の議論。当時番組に参加してくれていた放送作家の「そーたに」君は次のように語る。

 「吉川さん、あの時は、20対1でしたよ」

当時、全スタッフ・放送作家が筆者の提案に反対していたのだ。彼らは職人集団だから前例のないこの企画に「見えない。」「見えない。」の大合唱。紛糾の末、筆者は、

「じゃあ、試しに1週間だけロケにディレクターを送ってくれ。」

自分が総合演出だったから、その権限でしぶしぶ「皆の了解を得た」というわけだ。そして、I君という一人のディレクターが選ばれた。皆、「日本一不幸な人間」を見る様な眼つきで彼を見ていた。そして、所さんにスタジオの片隅でダーツを投げて貰い、I君は村に旅立った。

総合演出という責任者の筆者であったが、残酷にも「どういう人」を「どういう風」に撮ってこいとは全く言わなかった。筆者自身にも「どういう人」を「どういう風」に撮れば良いのか解らなかったのだ。旅立ったディレクターのI君は、ロケ地で異常な孤独感と戦って、眠れぬ日々を過ごしただろう。筆者は「見えないものが面白い」と東京で思い込む様にした。

一週間後、I君が帰ってきた。「どうだった?」と聞くが、彼は誤魔化す様に僅かに笑うだけ。それから5日程、編集作業に籠った。そして20人の会議で固唾を飲んでVTRを見る。一週間の取材でわずか5分のVTR。緊張の一瞬。デッキのボタンが押された。

クスクス笑いから、やがて会議室は爆笑の渦に包まれた。

田舎の見知らぬおばあちゃんや古老が信じられない事をしゃべる。彼は村人をあえて絞らず朝から晩まで万遍無くインタビューしまくったのだ。これは、全く見たことのない新鮮さだった。皆、テレビに出たこともない素人さん達だった。もちろん、何十時間も回したテープからの厳選されたわずかなカットだった。村人達の話は手つかずの原野でありブルーオーシャンであり金脈だった。

その後、もう一週間、I君にロケに行ってもらった。そして大げさに言うとこの「ダーツの旅」が芯になって「笑ってコラえて」は19年続いたともいえる。濃縮された日本人の姿。それは期せずして日本の辺境の地を巡った孤高の民族学者・宮本常一氏「忘れられた日本人」(岩波文庫)の映像版になっていたのかも知れない。我々は知らぬ間に「日本人」の根っこを描いてしまったのだろうか? 筆者は「直感」で番組を作るタイプであるが、あえて分析すると「ダーツの旅」は“一次情報”であった事が成功の要因であったと思う。普通、ロケに出る前は、その土地のことを本で調べたり、現地の観光協会の助けを借りたりする。でも、それは使い古された“二次情報”、“三次情報”に過ぎず、新鮮味はない。ディレクターという仕事は、番組作りを進める中で、どうしても不安になる。だから、事前に「面白そうな人」を仕込もうとしてしまう。しかし、テレビを見ている方は直感で「仕込んだな」と感じてしまうのだ。もちろん、仕込む事や技術や才能も必要で「練られた台本」はテレビに取って何よりも大事な道しるべになる。今で言うと池上彰さんの番組などがそうだろうか?コメディー映画もヒットしたものは台本が練りに練られているのは理解している。

それに対して、この「ダーツの旅」は方法論が違った。本当にしらみつぶしに誰彼かまわずインタビューして、その厳選したカットを放送するという作り方に徹していた。私が良くやる、素材を沢山集めて惜しげもなく「上澄み」だけを使用して後は全部捨てるという方法。もちろん、それは大変な手間と労力がかかった。しかし「良いモノを作るには手間ひまがかかる」ということをあの番組で我々は体現できたのではないだろうか。素人村人番組だからこそ、逆に「金、ヒマ、手間」をかけることが重要だったのだ。いわゆる今の流行り言葉で言うと「逆張り」(私はこの言葉の軽薄さが大嫌いだが)ではなく、それなりの理論は持っていた。言葉は悪いが見たことも無い村の素人を長期間かけてサルベージしようとしたのだ。

新製品の開発でもよい。「安くあげる」ことが目標になるとそれは間違いなく「転落への道で」あり100%成果が出ず終了するであろうし、新プロジェクトでも何でも必ず失敗する。最初の実験的段階で発想に独自性やきらめくポイントがあれば、少々の金はつぎ込むべきだと思う。ただしその予算にはもちろん理屈っぽくメリハリを付ける。これが唯一の成功の道だと思うのだが。いずれにしても、どこの世界にも成功の裏には、見えない底知れぬ孤独な努力というものがあるものだと思う。最近こういう実験的試みがテレビ界にあまり見られないのが残念な限りだ。私なら今、余程の新手法・画期的初期設定が考案できないかぎり、現在当たってるからと言って「素人インタビュー番組」には絶対に手を出さないであろう。皆が群がるものには「成功の種」は絶対埋蔵されていないと確信するからである。

興隆を迎えるという「素人インタビュー番組」生き残るのは5%くらいか?(了)

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