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「当事者」は語れず、「経験者」が代表する~不登校から虐待まで~

■サバルタンは語れない

先日、神戸で行なわれた「ジンケン/人権」に関する小規模な勉強会(特定非営利活動法人すまみらい  人権について考える学習会)で、「当事者が語れないこと、経験者が代表すること」に関してあらためて質問され、この種の質問が僕がしゃべる講演会や勉強会では(週1の頻度)必ず出ることを再確認したので、このYahoo!ニュース個人という大媒体のなかで簡潔に述べておくことにした。

元々これは15年ほど前に、ひきこもりに関するいくつかの勉強会のなかで行なわれた議論だ。

それは、

「ひきこもり当事者はその問題を現在進行形で語ることはできない。語ることができるのは、ひきこもりの問題からある程度抜けだした人々(支援施設につながりそれぞれの就労や社会参加のあり方を模索し始めた人々)だけだ」

という問題提起である。

これは元々、ポストコロニアル哲学者のG.スピヴァクの代表作『サバルタンは語ることができるか』(みすず書房)から僕が拡大展開したもので、「その問題の(マイノリティ問題であればすべてに応用可能)『当事者』であればあるほど、その問題に対して語る言葉を奪われている」ことをサバルタン(インドカーストの最下層)の女性の人々を事例に書かれたものだ。

サバルタンの女性は夫が亡くなると強制的に自殺させられた。そして、彼女らは固有名をもたず、花の名等の一般名で呼ばれ、亡くなった後もその「単独性」の記憶は抹消される。

その「無理心中」とは違うかたちではあるが、スピヴァクは同書最後でサバルタンの若い女性が自殺した事例をあげ、その死は恋愛のもつれ等の典型的女性ジェンダーの文脈に乗ったものではなく、ある意味自らの社会的立場のあり方(サバルタン階層の女性)に対するプロテスト/抗議だったのではないかという疑いをほのめかせて同書を締める。

その死はプロテストと思われるが、スピヴァクの想像のような「痕跡」としてしか後世に残らない。自殺という当事者の最大の意思表示ですら別の文脈の中に吸い込まれる。ましてや、そうした行動すらとれない人々は、夫が死ぬとその後追い自殺を迫られ、そして常に自分の名を奪われている。

■不登校やひきこもり

20年前に不登校の訪問支援から始めた僕は、訪問先で出会う不登校の子どもたちが「語らない」ことをずっと不思議に思っていた。

が、有名フリースクールに通うことができ、そのフリースクール主催のシンポジウムで「名乗り語る」子どもたちも一方にはいた。

その、名乗り語る子どもたちと、僕が訪問支援で出会う子どもたちは同じ不登校ではあるのだが、僕が出会う子どもたちは「不登校」という言葉を自らの語彙から消滅させている。

つまり、不登校なのに「不登校」という言葉を語らない。あるいは知らない。

これは、ひきこもりの問題にも共通した。僕は長らくひきこもりの人たちへの訪問支援をしていたのだが、ひきこもりが長引き社会参加に困難さを抱える人々ほど、「ひきこもり」という言葉を自分の中から消していく。生活形態としては立派なひきこもりであるにもかかわらず、そのひきこもりという言葉を使えない。

一方で、ネットで発言したりフォーラムへ出演したりなかには書籍を出したりして、自らのひきこもり問題について切実に語る人々もいる。彼女ら彼らの苦悩は重く、外部へ発信できたからといってその悩みは尽きることがない。ひきこもりという言葉を消滅させる人々、ひきこもりという言葉を引き受け語り始める人々、いずれもその苦悩の同意においては申告だ。

どちらが軽い重いといった問題ではなく、その悩みはいずれも深刻である。

違うのは、その「立場」の違い、あるいは彼女ら彼らのあり方の存在的(哲学的)定義の違いなのだ。

■「当事者は語れない」ことの普遍性

スピヴァクの議論で言うと、ひきこもりや不登校という言葉を排除し、社会から潜在化していく人々が、サバルタンであり、僕風に言うと「当事者」ということになる。

一方、フォーラムやエッセイ等で発言できる人が、僕風に言うと「経験者」ということになる(スピヴァクはこの人々をルプレザンタシオン/リプレゼンテーション/表象できる人々の一形態としてほのめかす)。

表象/ルプレザンタシオンは、元当事者だけの仕事ではなく、そのマイノリティ問題(潜在化するマイノリティ~サバルタン問題)に深く関わる第三者も行なうことができる。

が、その第三者は決して「透明」になることはできない。支援者にしろ研究者にしろ、かならず何らかの立場にある。たとえば、「経済階層的にはミドルクラス出身で、学歴・文化資本的には国立大学出身で」等、だ。

第三者は透明になることは倫理的には許されず、それぞれの立場を踏まえたうえで、「当事者」を代弁することが、21世紀の倫理なのだと僕は思う。

「経験者」、つまりは語ることができるようになった元当事者も、自分は「当事者」ではなくなった事実を自覚しつつ、当事者の苦しみを「経験者」として代弁していく権利をもつ。

その言葉はとても重いものの、その言葉自体はサバルタンの生の言葉ではない。あくまでそれは「現在から見た過去のその人のあり方」の言葉であり、現在進行形で出た当事者の生の言葉ではない。

当事者の生の言葉は決して現在進行形ではつかめない。それは「痕跡」として、変質する記録から(スピヴァクの自殺事例)、あるいは「経験者」の記憶の再構成から、あるいは第三者の代弁者の問題のつかみかたから滲み出るしかない。

スピヴァクのネタ元はフランス哲学のデリダだが、毎回の講演会で出るこの手の質問に答えるたびに、そうしたマニアックな哲学論を超えた普遍性をこのサバルタン論は僕はもつと思う。

この議論は、児童虐待のサバイバーの議論にも通じるとこの頃は僕は思っている。虐待の場合、「PTSDサバイバーが語ること」の意味合いも含めつつ論じる必要はあるが。

以上のような思いで、10年以上事実上封印してきた(小出しにはしているがためらいがあった)この議論を、あらためて提示していきたいと僕は思うようになった。★

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