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【ブック・ハンティング】幸せに老いるヒント:野村進

執筆者:野村進

リンク先を見る 『 介護民俗学へようこそ!―「すまいるほーむ」の物語― 』
六車由実/著
新潮社

 昨年、ヒマラヤ山麓の小国ブータンを初めてたずねたとき、印象深い言葉をきいた。
 ブータンでは若い人たちが、「老いる」ことをまったくおそれないというのである。
 身のまわりに「いかにも幸せそうな老人がいくらでもいるから」というのが、その話をしてくれた在留邦人の男性の解釈なのだったが、胸にすとんと落ちるものがあった。なるほど、ブータンのお年寄りたちは、赤ん坊のガラガラにも似た「マニ車(ぐるま)」という仏具を始終ごろごろ回し、シワが深く刻まれた顔をよくほころばせていた。

「民俗学者」から転じた「介護士」

 本書にも、こんな忘れがたい談話がのっている。
「ずっと高齢者の看護に携わってきた羽柴さんが、すまいるほーむに関わることで、自分が老いていくことが怖くなくなったって言ってくれた」
 きっと看護師の「羽柴さん」は、お年寄りのお世話をしながらも、いや、だからこそ老いていくことに対する恐怖を抱きつづけてきたのだろう。それを解消してくれた「すまいるほーむ」という、静岡県沼津市にあるデイサービスの施設が、本書の舞台である。
 著者の立ち位置がおもしろい。もともとは民俗学者で、大学の准教授だった。それが一転して介護士となり、『驚きの介護民俗学』という著書で話題を呼ぶ。その本を読んだ静岡のデイサービス運営会社の社長に誘われて、すまいるほーむの「管理者兼生活相談員」となり、生まれ故郷の沼津に戻ってきた。
 早い話が、民俗学の考え方と手法を身につけた介護士が、Uターンして地元の老人介護施設で働きだしたわけである。それから2年余の体験と思索を活き活きとつづった文章が、本書の根幹をなす。
 私の独断と偏見によれば、こういう人はまず例外なく“引き”が強い。
 これにはふたつの意味があって、ひとつは個性豊かな人たちが、不思議なほどいつのまにか周りにあつまってくるという引きの強さである。本書にも、定員わずか10名の小規模施設なのに、かつて朝鮮にあった有名料亭で生まれ育った「田端清子さん(大正12年生まれ)」や、戦時中、挺身隊に動員され風船爆弾をつくらされていた「小川ハルコさん(昭和5年生まれ)」といった昭和史の語り部のようなお年寄りが、続々と登場する。
 もうひとつの意味は、さまざまな出来事を、過去・現在・未来から引きよせる力もまた強いということだ。
 本書の元は、ウェブ・マガジン上の連載で、時系列で書かれたため、読者は自然に臨場感と“同乗感”を覚える仕組みになっている。言いかえれば、思いがけない出来事が次々に起こり、読者は著者とともに喜んだり考え込んだり右往左往したりすることになる。私には、そうした出来事の大半を著者が無意識のうちに引きよせてきたように思えるのだが、これも独断と偏見によるものなのであしからず。

「聞き書き」は人間関係を揺さぶる

 著者の“引き”の最大のツールは「聞き書き」である。もちろん民俗学のフィールドで鍛えあげられた手法で、本書を読むと誰にでも簡単にできそうな気がしてくるが、おいそれとマネできるものではない。
 それでも著者は、介護現場における聞き書きの可能性を強くうったえる。聞き書きは、「介護する側」と「介護される側」に固定されがちな人間関係を根底から揺さぶり、しばしば逆転させる力を秘めていると考えるからだ。
 当方にも覚えがある。私はノンフィクションを書く立場から、精神科病院で「重度認知症」と診断されたお年寄りたちの内面世界に入り込みたくて、長期間インタビューを重ねたことがあるのだが、やはり認知症をわずらっていた老母の顔ばかりではなく、アジアで出会ったお年寄りたちの顔がしきりに思い浮かぶのだった。
 たとえばフィリピンでは、お年寄りを限りなく「神様」に近い存在とみなし、敬老精神はブータンやベトナムと並び、アジアでも群を抜く。私が5カ月近く滞在したルソン島北部の山岳少数民族の村々では、長老たちがうやまわれ、まつりごとはすべて長老会議で決められていた。
 それを支える共同体が日本にはもはやどこにもないではないか。そう思われた方は、ぜひ本書をお読みいただきたい。巻頭の「思い出の味の再現」から巻末の「人生すごろく」にいたるまで、本書には「いかにも幸せそうな老人がいくらでもいる」新しい共同体をつくりだすための具体的なヒントが、ブータンのマニ車ではないけれど、ごろごろ転がっている。  

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