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出現するネオ東京~イオンモールという第2の東京

今回はイオンモールの存在について考えてみたい。イオンモールはイオンが運営する店舗(モール、タウン、スーパー、ショッピングセンター)の内、大型ショッピングセンター、つまり最も規模の大きいカテゴリーを指す。商店街が全天候型の屋内施設にすっぽりと収まっていることをイメージしていただければわかりやすい。

その多くは横長で片方にかつてのスーパー的(=俗的)なもの(スーパーマーケットや衣料、電化製品など)を、もう一方にアミューズメント的(=遊的)なもの(シネマコンプレックス、ゲームセンター、書店)を置き、その間を通路にしてブランド店や雑貨店、レストランを配置している。まあ、「商店街のテーマパーク」といったらよいだろうか。ちなみに、イオンモールくらいの規模となると、それ以外にカルチャーセンターやスポーツクラブ、英会話学校といったものまでが店舗としておかれており、まさに商店街、いや街そのものだ。

イオンモールは地方に置かれる場合、その多くは県庁所在地が立地となる。しかも既存の商店街からはちょっと外れたところに建設されるのだけれど、これが地方にできると、地域の人間のライフスタイル、もう少しはっきり言ってしまえば消費生活がすっかり変わってしまうという現象が起きる。ちなみに、この現象は首都圏郊外よりも地方都市郊外にイオンモールが出来た時に顕著だ。

みやざき人の生活を一変させたイオンモール宮崎

僕の経験をお話ししよう。 2005年6月、宮崎市の郊外、宮崎港の近くにイオンモールがオープンする。完成時には九州最大の規模で、あまりの大きさに「こんなもん作って大丈夫なのか?ただでさえ、宮崎は凹んでいて、中央の商店街は閑古鳥が鳴いているというのに」と思わず思ってしまったほど。

ところがこれは杞憂にすぎなかった。イオンモールは活況を呈したのだ。

オープンして1年ほど経った2006年の9月、僕はふとしたことから当時の店長と会談する機会を持った。その時の店長の話が忘れられない。曰く、「宮崎の商圏は50万人規模。ところが、このモールはがんばってしまって70万人規模の大きさにした。さすがに大丈夫かなと思えないでもなかったが、フタを開けてみれば現在90万人規模の勢いで顧客が推移している」。その理由として、それまではショッピングといえば鹿児島、熊本、博多へと出かけていた宮崎住民(いずれの都市にも格安バス路線が運行している)を、ここに留めてしまったこと、さらには商圏を超えて顧客がやって来たことをあげていた。もちろん、これで元々あった宮崎駅周辺の商店街は消費者金融と飲み屋と団塊ジジイの趣味の店、そしてシャッターの下りた店だけになってしまったのはいうまでもない。イオンモール、恐るべしである。

ヴァーチャル東京という魅力

でも、なんでここまでイオンモールは地方の人間を惹きつけてやまないのだろう。

それは、そこにヴァーチャルな東京が存在するからだ。

価値観の多様化の一方で社会の規格化、平準化もグローバル規模で進行している。例えばネットにアクセスすればいろんなものにアクセスすることが出来るが、ネットにアクセスするという行為は原則スマホを使ってということになる。つまり、世界中がネットを見るためにスマホをいじるという規格化された行為を行うようになる。また、消費や流通の徹底した効率化が図られれば環境もまた平準化する。空間はコンビニ、ファーストフード、ファミレス、家電や紳士服の量販店といったもので埋め尽くされるようになるのだ。気がつけば全国津々浦々、まったく同じような空間が構築されるに至った。三浦展の言うところのファスト風土化が進行しているのである。 そして、この規格化、平準化を消費の側面で最も強力に推進しているのがイオンモールなのだ。

イオンモールは、こういった規格化されたユニットをブロックとしてビルトインさせた巨大な商店街(そしてこれももちろん規格化されている。だから他のイオンモールに行くと、しばしデジャブに襲われる)。その中にはUNIQLOやGAP、ニトリ、スターバックス、カルディ・コーヒーファーム、シネコンといった店舗がズラリと並んでいる。そして、これは郊外に点在する量販店に行くよりも快適だ。なぜって、いったんクルマでイオンモールにやってくれば、あとはモールの中を歩けばいいからだ。クルマで移動する必要なんかない。しかも全天候型、つまり屋根がついていて空調が効いているから実に快適。

イオンモールの魅力をさらに助長するのが「東京的な情報」だ。これ、間違っていただいては困る。「東京の情報」ではない。あくまで「東京「的」な情報」のこと。この二つの違いは次のように説明できる。東京的な情報とは、要するにメディアを介して構築されるイメージとしての東京の情報だ。これがイオンモールという商店街にはギッシリ詰まっている。規格化された店舗(マックやスタバ、UNIQLOを典型とするような)からなる商店街が「東京的な情報」を放っているのだ。で、ここに地方の人間がクルマで乗り付けてくると、当然のことながら彼らは「東京的な生活」を享受できる。一方、「東京の情報」は、これとはだいぶ違っている。東京(そして近隣)の人間が向かうのはモールではなくスーパーやその他の店だ。点在する店に用途ごとに向かうのだ。だから情報は結構バラバラ。つまり昔ながらの生活。そして東京人は、ここにクルマではなく、歩きや自転車で毎日のように出かけて商品を購入する。

つまり、地方の人間は次のようなサイクルによってイオンモールに吸い寄せられていく。メディアが媒介する東京的な情報に魅力を感じる→それを具現化する場所としてイオンモールにまなざしが向けられる→実際に向かうことでこれら情報を購入できる→さらにモールという空間を周遊することで「東京的なイメージ」に浸ることが出来る→この東京的なイメージはメディアを介して再生産される→イオンモール通いが嗜癖化する。

で、こうなるとかつては東京に魅力を感じていた若者も、イオンモールという「今そこにある東京」を確保できるわけなので、もはや実際の東京はどうでもいいい。東京なんか行ったとしても知らない人ばっかり。でも田舎にいれば、田舎のぬっくい感じと、都会の気分を両方とも味わえる。どうして東京へ行く必要などあるのだろうか、ということになる。そう、マイルドヤンキーの誕生だ。

「東京的なもの」へと変貌する東京

さて、こうなると東京とは何なのか?という根本的な問題にたどり着く。東京人のスノッブな上から目線からすれば「あいつらはニセの東京を掴まされて喜んでいる可哀想な連中」ということになるのだけれど。いや、そうではないだろう。規格化、平準化が進む社会、実はもはや本物の東京よりは、もっと本物らしい東京=メディアに媒介されて構築されたイメージとしての東京の方がよりリアルなのではなかろうか。つまり「東京」と「東京的なもの」はもはや立場が逆転している。「東京的なもの」こそがむしろオリジナルになっているのだ。

そういえば東京自体も、次第に東京的なものによって環境を駆逐されつつあるのでは?僕は、こういった全国的な「東京的なもの」への変貌を「イオン化傾向の高まり」と呼ぶことにしている。都会的な生活とは、今やクルマでイオンモールへ日参し、UNIQLOやニトリ、スタバな生活をすることなのだ。

最後に、さて、じゃあ東京はどうなる?僕は東京が「首都」から「趣都」(森川嘉一郎)へと変貌することで、その機能を再定義されるのではないかと考えている。つまり東京こそ「オタクの殿堂」になるのだ。

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