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新国立競技場問題が日本人に問いかけているもの―史的景観を守りえない国でのオリンピックへの危惧 - 東郷和彦

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同時並行、もう一つの景観問題

さて、国立競技場建設問題とは次元の違う問題ではあるが、来るべきオリンピックを迎えるに当たり、私にとってとても気がかりな問題がもう一つ進行している。港区高輪泉岳寺の中門横における高層8階建てマンション建設問題である。

泉岳寺中門横のマンションの建設問題は、一見、国立競技場の建設問題とはほとんど係りのない問題のように見える。この建設は、現在の日本の制度下では、民間の開発業者の方が現行法令を遵守した合法活動として行っているものである。公的な資金が使われているわけでもない。しかし、私には、この2つの問題は幾つかの点において、一緒に考えなくてはいけない問題点を含んでいるように思われる。

まず、私にはこれらの問題が、2020年のオリンピック招致と、共に密接な形で提起されているように見える。新国立競技場については、言うまでもない。競技場そのものが、日本が箱物オリンピックをやろうとしているのか、自然と社会生活と調和した21世紀文明を先取りしたオリンピックをやろうとしているのかについての最も明確な指針になる。しかし、オリンピックで外国人を迎えるのは、一人競技場だけではない。まさに、日本全体で、東京全体で、どのような「おもてなし」をもってお迎えするかが問われるのである。泉岳寺中門横のマンションンの建設は、正にその点を問うているのではなかろうか。

新国立競技場で私にとって先ず致命的と映じたのは、明治天皇の遺徳を偲び、都民がその緑の空間を慈しんできた、歴史と文化と自然を一挙に破壊することとなる恐ろしさであった。これと同じように、泉岳寺中門横の8階建てマンションによる景観の破壊は、赤穂浪士とそれを支えてきた武士道精神の現代日本人による破壊なのではないか。

さらに言うならば、神宮外苑の歴史が明治にさかのぼるとするならば、泉岳寺と赤穂浪士の物語は、それをさらにさかのぼること150年、江戸中期に花咲いた日本の精神文化の華である。私たち日本人にとって、歌舞伎・小説・映画によって幅広く庶民に愛されてきた物語である。日本を訪れる外国人にとって、赤穂浪士の墓ほどに、いにしえの日本をその現場において伝えるものはもはやそう多くはないのである。その義士の墓に対する冒涜を現代の日本人がやろうといしているのである。事態は軽視できないと思う。

赤穂義士の史跡への思いが運動に

かくて、2014年6月、周辺の住民を核とする建設反対運動が始まった。それは、そのような運動に参画するとは全く思っていなかったいわば素人の方々の集まりであり、そこに、日本の文化と国土の景観保全に関心のある人たちが参画して、少数ながら必死の運動が動き始めた。建設サイドへの説明要請・署名運動・HPの作成・マスコミや文化人、経済人への発信・港区議会への請願提出(9月19日採択)・審査請求・12月14日の義士祭を通ずる盛り上がりなど関係者は出来る限りの努力をしたのだと思う。

けれども2015年にいたるころから、日本の現行法令の枠内では、如何にしても本件マンション建設に違法性を見出すことはできず、景観法が予期する地方(港区)条例は未整備だという事実が顕在化した。反対運動は、そういう現実を考慮して、マンション建設予定地を然るべき公の機関が購入することによって、問題の解決を図ろうという方針を加えることとなった。衆目の一致するところ、その可能性を最も豊かに持っていたのは、港区役所であり、それからしばらくの間、港区役所、区議会、東京都、東京都議会、国会議員、政党関係者などへ、公的機関の介入と買い取りを念頭に置いた陳情と働きかけが行われた。けれども、結局のところ、港区役所は、「今の港区にはそのような場所を買うための論理はない」ということを繰り返し、それを上回る政治的意思が発露されることはなかった。国会質疑では、維新の党の松木けんこう議員が2回にわたって国土交通大臣、文部科学大臣との間で鋭い質疑を行ったが、それ以上の動きにつながることはなかった。

かくて、反対運動に携わる人の一部から日本国内・国外において、日本文化を敬愛し、本件敷地を自ら購入してもよいという個人・事業家・団体はいないかという視点が現れた。反対運動関係者が思いつく限り、10に近い数の方々との静かな接触がおこなわれ、なかには、真摯な関心を示す人たちもいたが、結局のところ、最終的にこれに応じた方は現れなかった。

反対運動関係者の焦燥をよそに、2015年春3月建設工事は若干の遅れを持ちながら始まり、8月の時点ですでに六階にいたる建物がその姿を現しはじめているのである。

史的景観を守りえない国

2020年、オリンピックに来訪するすべての方々に対し泉岳寺は、羽田空港からの交通の要諦にある品川駅の近郊に位置し、日本の文化と精神を自ずから示す最高の「おもてなし」の場となるはずだった。

しかしスポーツの合間に日本を探訪しようという外国人が、中門の真横に立つこの8階建てマンションを見て、これがわずか5年前に反対運動にもかかわらず立ち上がったものであることを知ったなら、泉岳寺はおそらく、真逆のメッセージの伝達者となるにちがいない。

泉岳寺は、伝統文化とそれが作る景観を守りえない現代日本人の浅薄さと経済利益に堕した象徴として、私を含む現代日本人の恥の象徴として、これから長い間語り伝えられていくことになるだろう。

救いの希望は皆無なのだろうか。この期に及んでも皆無だとは思わない。しかし、それには必要な2つの与件があると思う。まずは、これまでの動きを元にもどし、東京の新しい表玄関としての、品川高輪口から泉岳寺に至る地域を総合開発するビジョンとデザインと資金力を持つ開発者が現れることである。

こういう開発のコンセプトの成功例が、本稿冒頭に述べた東京駅丸の内口にある。東京駅丸の内口は、伝統と文化の聖地としての皇居を背景とし、保存するに値する建物としての旧東京駅が加わった。さらに、駅周辺の明治・大正期からの建物の外壁の保存と併せて独特の空間美がつくりだされ、空中権の活用による高層ビルの建設により、その資金源をまかなったのである。

泉岳寺については、伝統と文化の聖地としての泉岳寺が同時に保存に値する唯一の場所となる。そこは、周辺の高さと構築物を伝統文化に合わせる低層地域とする。そして、品川高輪口から泉岳寺に至る地域を、空中権購入による高層ビルの限定建設と、江戸期からの風景を再構築する緑と水の回廊を併設することにより、新しい東京の震源地としての独自の空間がつくりだされる。

しかしそのためには、東京をしてそういう場所を包摂する場所にするという強い政治的意思が必須だと思う。国立競技場建設の白紙撤回をなしえたのは、1人、内閣総理大臣安倍晋三であった。「日本をとりもどす!」ことに目標を立てた政権が、このような形で日本の最も大事なことを失わせてよいのだろうか。

安倍晋三総理を支える日本を愛する政治家の中に誰か1人でも、身を挺してでもこの動きを止めなくてはと考え、それを実行する方はおられないのだろうか。

狂気の建設ラッシュから東京を引き戻せ

オリンピック招致が決まった後東京の迷走が続いていると思う。どうして今の東京にこれだけの建設ラッシュが始まってしまったのか。私にはよくわからない利益誘導の太い流れが動き始めているようである。

しかし、日本文明の今後を考え、少子高齢化の下で、最も住みやすく魅力ある東京を創るために今必要なのは、空き地という空き地で繰り広げられている建設ラッシュではないはずだ。

今必要なことは、高度成長期から乱開発として続いて来た建設を止め、造りすぎた建物を壊し、かつての東京に有った、緑と水と風の回廊を縦横にとりもどし、それと調和した形での技術の粋を凝らした建築帯を、選択的に造っていくことのはずである。

そういう東京こそ、オリンピックにおける最高の「おもてなし」となるはずである。国立競技場の白紙還元の動きが、こういう最高の「おもてなし」への誘引剤となることを願ってやまない。

nippon.com別館

画像を見る 東郷 和彦 TOGO Kazuhiko
京都産業大学教授、同大学世界問題研究所所長。1968年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、外務省に入省。欧亜局ソ連邦課長、条約局長、欧亜局長、駐オランダ大使などを歴任し、2002年に退官。ライデン大学、プリンストン大学、ソウル国立大学などで教鞭をとり、2010年より現職。著書に『北方領土交渉秘録、失われた五度の機会』(新潮社、2007年/新潮文庫、2011年)、『歴史認識を問い直す:靖国・慰安婦・領土問題』(角川oneテーマ21、2013年)、Japan’s Foreign Policy 1945-2009: The Quest for a Proactive Policy(Brill Academic Publisher、2010年)など。
■元記事
新国立競技場問題が日本人に問いかけているもの

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