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お札の向き?

お葬式や法事の時の香典のお札の向きはどちらだったか…。あったのかなかったのか…?などと気に病む機会があったのが、今の時代は便利なものでその場でネットで調べれば一瞬でわかる。もちろん、たまにネットの回答が間違えていることや地域によって風習が違うこともあるのも事実だけれども。

おそらく20年前だとネットで調べるわけもにもいかず。一家に一冊本があるか。それとも父や母に電話して確認するか。そういう感じだっただろう。電話で聞くといっても携帯がそれほど普及していなかっただろうから大変だ。あるいは、そういった礼儀作法を逐一メモしておくという作業が日常的に発生したに違いない。そう考えると便利な世の中になったなあと単純に思うと同時に、そういった礼儀作法を知っておくことの価値は低下しているということができるだろう。(もちろん食事のマナーなどまだまだ身につけておかないといけないマナーや礼儀作法はたくさんあるが…)

正直お札の向きなんかどうでもいいわけだがなぜそれ一つをとっても大切だったのか。死者や遺族に対する…というのは否定はしないが合理的に考えればお札の向きでそのようなことが表現できるわけでも図れるわけがない。

それは以前も似たようなテーマで書いた気がするが社会における常識を備えているかというシグナリングだったのだろうと思う。そして、それは受けてきた教育や普段付き合っている人間がどういう人か。そのような細かいところまでしっかり気を回せる人間か、あるいは細かいところまで気を回す程度の時間と心の余裕がある人間かを図る役割があったのではないかと僕は思っている。

だから、そのような細かいことを知っているか。きっちり実行しているかがその人の人間性やそれまで受けてきた教育、人間関係、家庭環境などを表す一つのシグナリングになったはずである。(もちろん、閉鎖的な空間においてはただのいじめの道具になった可能性もあるが…)

現代社会においてはあまりそういった細かいことは気にしない人も多いし、徐々に過去から受け継がれてきたそのようなマナーが形骸化しなくなってきている分野も多い。現代人はより合理的になっておりそのようなくだらないしきたりを排除しているのだというありがちな解説も間違いではないとは思う。

が、それ以上にその原因としては学歴や資格といったほかのシグナリング機能が大いに発達したこと。すでに書いたようにネットなどの普及によってそのような知識が簡単に得られるものになりシグナリングとしての役割が低下したこと。学校教育の普及や全体的な生活水準の向上などによってまっとうな家庭環境で一定以上の教育を受けた人の割合が圧倒的に多くなっているのでそのようなシグナリングの必要がそもそもなくなっていることなどが理由になるのだろうと個人的には思っている。あるいは、地域差のある風習も多いが、地域間の移動がより容易になったことで細かい礼儀作法の差をとやかく言うことが無意味になっている面もあるのかもしれないなあと思ったりもする次第である。

とはいえ、お札の入れ方一つにしても見ている人は見ているだろうから若いうちはいいがそろそろ気を付けないとなあという気はしている今日この頃ではある。

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