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9月8日(火)ムネオ日記

沖縄の米軍普天間飛行場の名護市辺野古沖への移設について政府と沖縄県が一ヶ月間集中協議をし、昨日5回目の会合を総理官邸で行ったが、政府は沖縄の考えに歩み寄ることはなかった。

一ヶ月間工事を中断したのは、沖縄県民はじめ、世論対策に政府がポーズを作ったにすぎなかったのか。

「沖縄の声に対して聞く耳を持っていますよ、政府は沖縄のことを良く考えていますよ」と、優しく見せながら、中身は現行の「辺野古沖移設」ありきだった。話は十分聞いたが、政府の主張、手法は全く変えません。以下、宜しくと言った結果的には沖縄の人を欺く人間味の感じられない協議だったことになる。そしてあげくの果てに近く「工事を再開します」と最後通告をしている。

これに対して翁長知事は「全力で阻止する」と並々ならぬ決意を披歴している。これからが辺野古沖移設の正念場となる。

翁長知事が裂帛れっぱくの気合で沖縄県見の声、思いをしっかり受け止め、闘って行くことだろう。

読者の皆さんも是非とも差別と言ってよい環境にさらされている沖縄に目を向けてもらいたい。

戦後70年、日本の面積のわずか0.6%の沖縄の地に日本の駐留米軍の74%が集中しているのは異常と言わざるを得ない。

平和の配当は日本全体で受けている。平成8年12月、沖縄海兵隊の県道104号線実射訓練を私は地元である北海道別海町で受け入れた。これは平成7年2月、村山富市首相とクリントン会談で本土受け入れを決めたものだ。

沖縄の主要道路は県道である。その道路を封鎖して155ミリメートル榴弾砲を打つ訓練であり、沖縄県民にとっては大変な問題だった。それを本土に移す約束を村山首相はした。私は当然、大分の日出生台演習場に持って行くものだと思っていた。それは村山富市総理大臣・衛藤征士郎防衛庁長官も大分出身であったからだ。

しかし受け入れ先が決まらないまま村山さんは退陣し、橋本龍太郎総理になり、橋本総理の苦悩を見る時、私は落選覚悟で決断したのである。

今でこそ粛々と演習は行われているが、平成9年9月、初めて沖縄の米海兵隊が別海町矢臼別に入って来た時は反対運動が起き、鈴木宗男に対しても激しい反発があった。しかし私はビクともせず淡々と進めたものである。

サトウキビの政府保証価格、対馬丸の発見と誰よりも沖縄に係ってきた政治家として私は沖縄県の声、思いを大事にして行く。そして沖縄県民と一緒に行動して参りたい。

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