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大津いじめ事件・女性市長の改革 / 『教室のいじめとたたかう』著者、越直美氏インタビュー - 島田昌樹

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第三者委員会設立の難しさ

 大津市が行うまで、外部の委員会がいじめについて調査・公表することは、ほとんど無かったんですよね。第三者調査委員会を立ち上げるために、前例を調べたのですが、見つかったのは4件だけ。このとき初めて、いじめについて過去に徹底的な調査がされて、公表しているものが無いと分かったんです。

大津市の調査のあと、調査を義務づけるいじめ防止対策推進法ができ、いろいろなところで大津市のように第三者調査委員会をやってほしい、という声が起こっています。でも、本当に中立・公正で専門性のある委員会ができているかというと、そうでないケースが多いと思います。

大津市のご遺族が他のご遺族の支援をされているのですが、そもそも調査をしなかったり、調査をしても遺族推薦の委員が入ることはすごく少なかったり、教育委員会が遺族の了解を得ずに委員を選んだり、市の元顧問弁護士を入れたり……遺族に信頼してもらえるような委員会は、あまり作れていないと思います。

荻上 いじめ以外でも第三者委員会を作ろうとする動きは起こっていて、社会全体がやり方を模索しています。今はそのための議論を重ねているところですね。いじめの場合は、越さんがやったことがひとつのきっかけになり、第三者委員会を作ることが当たり前になりました。今後重要な点としては、まさに当事者の要望を反映する形でメンバーを選ぶなり、情報公開するなりといったことをスタンダードにしなくてはいけないということですね。

検証を行う際、当事者の信頼性を得られない検証機関を作ってもしょうがありません。その点で市長は重要ですが、曖昧でもある立場です。市長は市民の代表として行政に携わるので、官僚組織の改革も期待されますが、行政の側の人間でもあります。長期政権だったり、事件が自分の時に起きたりすると、俗人的な理由も手伝い、行政擁護のふるまいをするケースも出てきます。

越 それはあると思います。それでも、私は教育委員会ではなく、市長が動く意味はあると思います。市長は市民に直接、選挙で選ばれており、市民に対して説明責任がある立場です。でも、教育委員会は選挙で選ばれていませんし、市民に遠い。それが隠ぺい体質に繋がっていると思っています。

教育委員会の問題点

 そもそも教育委員会がどういうものなのか理解している市民が少ないです。私は、理解してない市民が悪いのではなく、市民に理解できない制度が悪いと思っています。制度が複雑過ぎるんですよ。

例えば、大津市には5人の教育委員がいて、その中に教育長と教育委員長がいるのですが、このような制度について知っている市民はあまりいません。また、教育長以外は非常勤で、教育委員の名前を知っている市民はほとんどいません。そのため、教育委員会には権限があるのに、市民から責任を問われることがなく説明責任を果たすこともありません。責任を取るのは市長です。市民から見てバラバラになっている制度になっていて、大津いじめ事件では悪い方向に影響しました。

荻上 ちなみに、大津のいじめ問題をきっかけに教育委員会改革が進んだけれども、その後の教育委員会改革は大津のケースとは完全に無関係のものになっていますね。

 そうなんです。 責任と権限がバラバラのままで。大津の事件にとって背景の事情として作用したと思うことは3つあります。教育長と教育委員長の2人がいること、県の教育委員会と市の教育委員会があること。それから、一番大きいのは市長と教育委員会という組織があることです。大津のケースで言うと、制度上の責任者は教育委員長だったのですが、当時の委員長は、一度も市民の前で説明しませんでした。

また、教育や学校については教育委員会に権限がありますが、そのあと訴訟になったら市長が責任を負います。つまり、教育委員会は事件が起こるまでは好きに決めることができるけれども、最後まで責任をとらない仕組みになっているのです。だから、教育委員会は訴訟になっても資料を出さないような無責任な体質になってしまうんです。ここが大津で一番の問題だったのに、今回の法律改正では「教育村」の抵抗が強くて制度があまり変わりませんでした。

荻上 国の教育委員会の法律の改正では、教育委員長が無くなって、教育長と一緒になりましたけど、それ以外の部分は変わりませんでしたよね。

越 基本的に最終的な権限や責任は変わっていません。教育に関する部分は教育委員会、予算や訴訟に関する部分は市長というバラバラの状況が続いています。

あと、今回の教育委員制度の国の改正の枠外ではありますが、県の教育委員会と市の教育委員会が分かれていることも問題です。教員の人事権は県の教育委員会にあるのですが、これは市民の意識と乖離しています。

事件の際、私のところに「校長・担任をやめさせろ」という批判がたくさん来ました。市民は大津市立の中学校だから市長や市の教育委員会に人事権があると思っているわけです。でも、実際に、処分する権限があるのは、県の教育委員会です。

そして、県の教育委員会による処分も非常に軽かった。私は軽すぎる処分だと言いましたが、取り入れられることはありませんでした。これでは組織としての一体性がないし、そのような人事配置をしている県の責任も問われない。

荻上 県と市の仕事の違いが分かりにくいと、通報することも難しくなりますね。別の意味での縦割りと言いますか、層が違うと言いますか。

 文部科学省、県の教育委員会、市の教育委員会というピラミッドは残っているように思います。市の教育委員会の事務局は本来、教育委員を見て仕事をするべきなんですが、それも見ていないし、市長も見ていませんでした。県の教育委員会を見ているんです。教育委員会事務局がなにか報告するときも、まずは県の教育委員会に報告し、教育委員や市長は後回しという感じでした。市民のために働くためには、市の中で完結させる仕組みにしないと。

「教育村」

荻上 先ほどの「教育的配慮」の話があったじゃないですか。「事件を蒸し返すことになり、子どもが傷つく」っていう。これは何にでも使えるマジックワードですね。調査をせず隠ぺいすることは、子どもたちから社会への信頼を剥奪することになるため、「教育的配慮」のためにはむしろ丁寧な調査と説明こそが重要だと反論することもできます。そういう言葉は使わないで、議論を進めないと。

 でも、「教育村」の人はそれで納得するんでしょうね。例えば、学校で事件があった場合、それが犯罪に該当するような暴力事件であっても警察に言わないのは「教育的配慮」だという。本当にそれでいいのかと考えると、そうじゃないと思います。

犯罪に該当する行為に対しては、社会のルールにしたがって警察にも言うべきです。少年法には更生させる目的があるわけですから、将来的に見たらその子のためにもなる。それを考えずに、その場限りのことをするんですよね。自分たちのいいように「教育的配慮」という言葉を使っている。

荻上 いざという対応がどうなるか、教育委員会の俗人性に左右されることはこれからも続く面があるでしょう。緊急事態だけでなく、いじめ防止対策推進法では、いじめに関する調査や啓発を普段からしておくことが求められています。

地方のいじめ対策の動きを見ていてもいいなと思えるのはごく一部で、ふんわりしたことをやっているところが多い。例えば、いじめ防止宣言を建てて、みんなで歌をつくるとか。スローガンを募集する、いじめ防止授業を一回だけする……残念な実情だなあ、という気がします。

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