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後味の悪い結末〜遅すぎた五輪エンブレムの“撤回”

ベルギー在住のデザイナーが発した『驚くほど似ている』という一言から、日本中を騒がす大事件になってしまった「東京五輪エンブレム」問題。

この話題が沸騰し始めた頃に、「著作権侵害かどうか、という議論だけで進んでいくとこじれるんじゃないかなぁ・・・」という不安を胸に、エントリーを一本上げたのだが*1、案の定、やり取りがこじれて争いは法廷に持ち込まれ、さらに、想像を数段上回る様々な事実が噴出した結果、とうとう以下のような事態に相成った。
「2020年東京五輪・パラリンピックの大会組織委員会は1日、アートディレクターの佐野研二郎氏(43)がデザインした五輪の公式エンブレムの使用を中止し、新たなデザインを再公募することを決めた。」(日本経済新聞2015年9月2日付朝刊・第1面、強調筆者、以下同じ。)
記事によると、会見に臨んだ武藤敏郎・大会組織委員会事務総長は、
「使い続けることに国民の理解が得られない」(同上)

というフレーズを使って使用中止の理由を説明したそうで、さすがに「国民」は大げさだろう、と思ったものの、ここで「使用中止」という判断を行ったことについては、自分も全く違和感はないし、むしろ遅きに失した印象すら受ける。

1日の会見後、既に多くの方々がブログ等でコメントされている中で>*2、改めて自分が書けることもそんなにないのであるが、5年後に「あの時そんなこともあったなぁ」と振り返るための心覚えとして、この一カ月の間考えていたことを、簡単に書き残しておくことにしたい。

皮肉なドミノ倒し

今回の騒動が始まってから、渦中のデザイナーの作品をめぐって様々な疑惑が噴出したことは、ネットメディアに接している人でなくてもよくご存じだろうし、そのうちの一部については、デザイナー本人も「不手際」を認めている。

事実上致命傷となった「活用例」もそうだったのだが、第三者が撮影した写真をインターネット上で拾ってきてそのまま加工する、というのは、“誰もがやりがちだが一番やってはいけない”ことで、どうあがいても言い逃れできない*3

また、デザインが複雑で、様々な要素の組み合わせで成り立っているものであればあるほど、「似ている」という事実が、法的にも、職業倫理的にも、重くのしかかってくることは言うまでもないことだろう。

そう考えると、「東京五輪エンブレム」というのは、実のところ、取り沙汰された様々な作品の中で、もっとも“シロ”に近いものだったように思う。

前回のエントリーにも書いたとおり、リエージュの劇場のロゴと「東京五輪エンブレム」とでは、全体として受ける印象が大きく異なるし、共通している部分に著作権法上の創作性が認められるか、というとそれも微妙なところで、少なくともわが国の裁判所で「著作権侵害」という結論が示される可能性は低い、というのが、多くの専門家の見立てだったはずだ*4

加えて、デザインのシンプルさに鑑みれば、“偶然似てしまった”という本人の主張もあながち見当違いなものとは言えないように思われるし、仮に、そのような主張が真実ではなかったとしても、「新たな独自要素を付加した作品」として、デザインの世界で評価される余地はあったように思われる*5

それだけに、このエンブレムから始まった騒動が飛び火し、「五輪エンブレム」とは直接関係ないところで“発火”したことで、ネガティブな評価の連鎖が次々とデザイナーの他の作品に及び、ドミノ倒しのようにぐるっと回って「五輪エンブレム」まで葬ってしまう、という結果となってしまったのは、何とも皮肉なことだと思う。

前記脚注で紹介した桑野弁護士のブログでは、「法的責任の所在」を意識しすぎるあまり、デザイナーの対応に大事な部分が抜けていた、ということが再三指摘されており、確かにそのとおり、と思うところもある一方で、「エンブレム」の採用で国家的プロジェクトの一翼を担う立場になってしまった件のデザイナーに率直な創作者としての思いを語る自由が果たして与えられていたのか、と言えば、そうでもなかったように思えてならない。

“グレーな印象はあるが結論はシロ”という落ち着きがふさわしかったはずの本件で“世紀のドミノ倒し”が生じてしまった背景の一つに、デザイナー(さらには審査委員会)側の対応、説明の微妙さ加減があったのは事実だとしても*6、作品が自分の手を離れ、巨大なビジネスの一部となっていた、という段階において、一デザイナーにできることが一体どれほどあったのか・・・。自分がその立場(あるいはその立場にいる人に助言する立場)だったらどうしたか、ということを考えると、いろいろと身につまされるところは多い。

「使用中止」が決まった後、佐野氏がHPに記した言葉*7の中には、本音ベースのストレートな思いが節々に現れているだけに、何者かに縛られていたかのようなこの1カ月の間のチグハグな対応が、自分には残念に思えてならないのである。

なお、今回の騒動を演出したネット上での怒涛の指摘に対しては、“やり過ぎ”という意見も出ているようで、3日付の日経紙の朝刊にも、「もろ刃のネット利用」という見出しで、

「既存の素材が簡単に手に入る環境は制作者には便利だが、一般の人々から盗用や模倣を疑われてしまうことも」

創作過程での利用と盗用・模倣の線引きは難しいが、一般の人に不適切な行為と受け取られるリスクがある。今回それが顕在化した」

(日本経済新聞2015年9月3日付朝刊・第35面)

といった“問題点”が指摘されている。

だが、先ほども書いた通り、「インターネットで入手した素材を(そのまま/加工して)使う」というのは、そもそも疑いの余地なく著作権侵害になり得る行為なのであって、“線引き”云々を議論する以前の話ではなかろうか。

自分は、今回の件でネット上に飛び交ったコメント等の“元ネタ”にはほとんど接していないので断定的なことは言えないのだが*8、大手メディアが取り上げたトートバッグや「活用例」等々のネタ以外に、明らかに模倣でないデザインまでやり玉に挙げられていたのだとすれば、それは確かに行き過ぎだと思うし、デザイナー個人に対する数々の人格攻撃や誹謗中傷の類のものも、当然看過されることではないだろう。

ただ、多少勇み足な部分があったとしても、こと「デザインの評価」という点に関して言えば、過去の作品も含めて検索し、法的評価、倫理的評価の両面から徹底的に「検証」を行おうとしたネット住民の方々の行為は決して間違ったことではないと思うし、それによって明らかになった事実も多いはずである。

デザイナーに対する激しい批判の根底に、「プロである以上、一切の模倣をすべきでない」という思想(完全独創主義?)があるとすれば、それはかえってデザイン文化を窒息させることになるから、「そうではない」ということを別の誰かが言い続ける必要があるが、プロである以上、許されることとそうでないことの限界線、というのも当然存在するのであって*9、公の立場で作品を発表する以上、その限界線を踏み越えていないかどうか、常に厳しい監視と批評の目に晒される、ということは、プロフェッショナルとしては受け入れざるを得ないことだと思う*10

それゆえ、ネットの世界での検証、批評の動きを一概に「やり過ぎ」と片づけるのはどうなのかな、というのが自分の率直な感想であった。

置き去りにされたスポンサー

今回の騒動の中でもう一つ気になっていたのは、高額の資金を提供して組織委員会を支えているスポンサーに対し、どこまでの配慮がなされていたのか?ということであった。

前回のエントリーでも、
「いつまでも「紛争リスク」を抱えたままでは、スポンサーもグッズのライセンシーも、安心してエンブレムを使い始めることができないわけで、いくら「裁判になれば勝てる」と五輪主催者側が胸を張ったところで、何の解決にもならない。」

ということを書いたわけだが、結果的には、1カ月以上「エンブレムを使い続ける」という方針で引っ張ったあげく、「撤回」という事態となり、各スポンサー企業が、ここ数日の間に、既に設置した看板の取り外しや広告媒体の回収、デザイン変更等を強いられている状況である。

本格的な商品化ビジネスが始まる前の決断だったから、まだよかった、という評価もあるのかもしれないが、協賛の広告看板一つ作るのだって相当のお金はかかるわけで、加えて、1カ月以上にわたって、“エンブレムを使うことによる負の広告効果”を受け続けることになってしまったスポンサー企業の担当者の心中が如何ばかりだったか、同情の言葉しか出てこない*11

五輪の主催者側(組織委員会、IOC)が持っている絶大な権威に鑑みると、スポンサー側が契約上十分な補償を受けられるのかどうかはかなり怪しいし*12、かといって、デザイナーに直接訴えを提起するのはあまりにハードルが高すぎる*13から、結局はスポンサー企業側で泣き寝入り、となってしまう可能性もかなり高いだろう。

これは「五輪エンブレム」に限った話ではないが、第三者へのライセンスを前提として作られるコンテンツのライセンサーには、自分だけが用いるものと比べても数段上の“埃一つたてない”くらいの繊細な注意が求められるのであって、主催者側が当初、「商標調査を済ませているから問題ない」と本気で思っていたのだとすれば、それはちょっとどうなのかな、と思わずにはいられない。

せめて、現在ベルギーで係属している訴訟を速やかに終結させ、訴えているベルギーのデザイナー氏から「東京五輪を応援する」くらいのコメントを引き出して、大会のイメージアップにつなげるくらいの対応はしてほしいなぁ・・・と思うところである。

五輪本番まで、残された期間はまだあと5年。

この一カ月の動きだけで見れば、どうしても「対応が遅い」という感想になってしまうが、大会の直前に同じような問題が噴出していたらどうなったか、ということを考えると、この時期ですんだのは不幸中の幸いともいえるわけで、今回涙を呑んで看板を外した人々のためにも、この教訓が、今後の手続き(新たに公募されるエンブレムデザインの手続きやそれ以外のライセンス周りの問題等)に関して十分に生かされることを、自分は願ってやまない。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20150801/1438538017

*2:特に、そうですよね・・・と唸らされたのは、骨董通り法律事務所の桑野雄一郎弁護士がブログで書かれているエントリーで、本件発覚以降の他の関連エントリーと合わせて読むと、より今回の問題の本質に迫ることができるのではないかと思われる(http://kuwano.tea-nifty.com/lawyer/2015/09/post-570c.html)。

*3:法的責任があるかどうか、という観点から言えば、厳密には「引っ張ってきた写真が著作物としての要件を満たすかどうか」という点で争う余地があるのかもしれないが、素人のスナップ写真でも著作物性が認められるわが国の著作権法の下で、デッドコピーに近い形で写真を素材として使えば、法的にも責任を回避することは難しいと思われる。

*4:これがベルギーの裁判所でどうか、と問われれば、“ミッフィー”の件(http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20110608/1309666196参照)もあるので、同じ結論になるとは断言できないが・・・。

*5:もちろん、この場合、先行作品に依拠しているにもかかわらず、それに言及せず実際とは異なる説明をした、という点で、道義的な問題は生じることになるだろうし、ベルギー側の感情面での憤りは収まらないだろうけど。

*6:特に、騒動になってから1カ月近く経った段階で、初めて「原案」の存在が明かされ、それを「デザイナーが独自に創作したこと」の証としようとしたことで、かえって火に油を注いでしまったことは否定できない。

*7:http://www.mr-design.jp/参照。

*8:それらの元ネタを二次的に取り上げた各種メディアでの報道に接したのみである。

*9:著作権法上の評価に関しては、そもそもプロ、アマ問わず同じ基準で判断されるのだが、倫理的な側面も加味するとプロの方がより要求される水準が高くなるのは当然のことだろう。

*10:そもそも文学にしてもアートにしても、芸術の世界というのは、厳しい批評を浴び続けてナンボ、の世界だと思っていたのだが、最近はそうでもないのだろうか・・・。

*11:自分がその立場だったら、最初に騒ぎになった時点で、発注スケジュールを遅らせて2,3週間様子を見ただろうが、お盆休み明けくらいのタイミングで、「さっさと進めろ」という指示が上から降ってきて、制作開始の指示を出したところでドボン・・・という最悪の事態に陥った可能性もあり、とても他人事とは思えない。

*12:おそらく、契約条件の多くは、主催者側の免責条項で埋め尽くされているのではないかと推察する。

*13:仮にデザインが著作権侵害品だったとしても、直接の契約関係にないスポンサーがデザイナー相手に賠償請求するための法律構成を考えるのはかなり骨が折れるし、ましてや、今回の件では、著作権侵害と言える可能性はむしろ低く、「諸般の事情に鑑みて組織委員会が使用を中止した」という整理になっているだけに、なおさら手を出しにくい。

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