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- 2015年09月11日 06:15
SEALDsはなぜデモをするのか〜中心メンバー・奥田愛基さんが語る「運動論」
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(左から)奥田愛基氏、津田大介氏 写真一覧
このSEALDsは、正式名称を「Students Emergency Action for Liberal Democracy - s(自由と民主主義のための学生緊急行動)」というが、どんな学生が、どのような経緯で立ち上げ、どのように活動しているのかーー。SEALDsの中心メンバーであり、その母体であるSASPLの立ち上げメンバーでもある明治学院大学4年の奥田愛基さんが、8月9日に東京・代官山で開かれたトークイベント(主催・69の会)に登壇し、活動の歴史を語った。
司会は、ジャーナリストの津田大介さんがつとめ、コラムニストの松沢呉一さんとともに、奥田さんに質問を投げかけていった。それに答えて、奥田さんは「なぜデモをやるのか」という理由を明かした。(取材・構成:亀松太郎)
特定秘密保護法の成立がきっかけだった
津田:SEALDsの元になった「SASPL」が生まれた経緯を教えてください。奥田:SASPLは「Students Against Secret Protection Law」の略で、「特定秘密保護法に反対する学生有志の会」。特定秘密保護法を意識しているんですね。
それまでは僕も、「(原発の問題などについて)みんなでもっと考えていけば、いい社会になる」とか、「賛成も反対も両方あって、一緒に考えたらもっと良くなる」と、なんとなく、そう思っていたんですよ。そういう会もいっぱいあって、「賛成も反対も両方あって、今日も考えました。引き続き、みなさんで考えていきましょう」みたいな感じで。
そういうのも全然いいと思っていたんですけど、気がついたら、2012年の終わりに自民党が大勝する選挙があって、いままで考えてきたものってなんだったんだろう、と。「考えるきっかけになった」とみんな言ったけど、その結果がこれか、と。政党なんかも、よくわからなかった。民主党、社民党、共産党、維新の党、未来の党・・・。これ何が違うの、という感じなのに、みんな協力できず、小選挙区制の中で負けていくというか。
そういうのがあって、「考えましょうの結果がこれか」という感じで、ちょっと考えるのがしんどくなった。ちょっとブレイクダウンというか、自分のなかで勉強したり、吸収するだけの時間にしようと。
そうだったんですけど、ちょっと時間がたって、2013年の12月に特定秘密保護法が通るとなったときに、法案を友達に教えてもらって、自分でも調べてみたら、「これ、たしかにすごい法律だ」と思って。
津田:その教えてくれた友達は、SEALDsのメンバーでもあるんですか?
奥田:そうです。同じ大学の友達で、そいつから「この法案はこういうふうに使われるかもよ」と。別に国家が情報を管理することが全部ダメだとは思わないんですけど、日本って結構、情報の管理が適当なんですよね。公文書の管理とか、情報の公開とかが、ものすごく問題があると言われ続けたなかで、この法案はどうなんだと思って、国会前のデモを見に行ったんですよ。
賛成も反対もなく、みんなでちょっと見に行った。そのあと、日比谷公園に集まってしゃべったりしたんですけど、その夜にツイッターとかを見てたら、報道ステーションで古舘さんが「今日、民主主義が終わりました」とか言ってて。「民主主義が終わったらしいぞ」「マジかよ」みたいな(笑)。
知る権利が侵害されるとか、デモができなくなるとか、みんな言ってたんですけど、はたして知る権利って、みんなそんなに使ってたの、と。デモとか言うけど、表現の自由って、みんな使ってたの。デモもやったことがないし。考えるのは大事で、それは全然否定されることじゃないけど、ずっと考えていてもしょうがないな、と。
最初「デモをやりたい」と言ったら、シラーッとなった
津田:特定秘密保護法が出てきて、国会で可決されたというタイミングで、ちゃんと声をパブリックな場所であげようと考えた、と。奥田:普通は可決されるまでの運動なんですよ。「法案を阻止するぞ」みたいな。「可決されるまでがんばろう」という感じなんですよ。僕らはなぜか、可決された夜に「民主主義が終わった」と言われて、「じゃ、始めなきゃ」と思った。
津田:なるほど。面白いですね。もう決まってしまったと思ったら、それが火をつけるきっかけになった、というのが。
松沢:だいたい運動って、そこ(可決)で終わるわけですよ。そこから始まるというのは、実はものすごく正しかったと思うんだけど、彼らがやってきたことは、テーマはともあれ、民主主義を取り返すとか、始めるということだったわけじゃないですか。それが、そこから始まっているというのは、すごく象徴的。で、そのときは、どうやって人を集めたんですか?
奥田:初めは、特定秘密保護法に反対する会とか、勉強会とかを各大学でやっていたんですよ。あまり話題にもならなかったんですが、ICU(国際基督教大学)に300人が集まったりとか。
あのときも、学者の会みたいのがあって、各大学で勉強会をやっていて、それに参加したり、手伝っていた子たちはだいたいわかっていた。その友達の友達とか、先生にも直接言ってゼミ生を紹介してもらったりして、中心メンバーが10人くらい集まった。国会前にも15人くらいで行った。
津田:今のSEALDsの中心メンバーが10人ぐらいで集まった最初の会合で話した話題って、どういうものか覚えていますか?
奥田:そのときは終電を逃して、家に帰れなかったんですが、「俺は絶対反対と言いたい」と言いました。「ちゃんと調べて、一人でしゃべれるくらいやったうえで、デモとかをやりたい」と言ったんですよ。
そうしたら、みんな、シラーッとなって。「え、デモ?」みたいな。「なに、言ってるんだ」と。「学生、政治、デモ、絶対ダメ」みたいな。
津田:シールズも最初はそんな感じだったんですね。面白い。
デモに行くような「動く100人」がいるほうがいい
松沢:デモに賛成したのは何人ぐらい?奥田:半分ぐらいでした。いまは僕ら「安倍はやめろ」と言ってるんですけど、そのときは「自民党の人も説得するような感じじゃないとダメだ」とか。あと、「いままでそれで成功した人が、一人でもいるのか」とか。学生でデモをやっても、メディアで取り上げられることはまずないし、それでカッコいいとか、学生が満足したというのを聞いたことがない。20万人ぐらい来たらいいけど、100人も集まるのか、と。
でも、「シンポジウムとかやって考えましょう」とか言ってもしょうがないじゃん、逆にそちらのほうがつまらないよ、と言って。むしろ、ちゃんと「こういう論点でおかしいと思うんだけど、どうだ?」というのを社会に問うほうがいい。考えましょうとか、議論があるとかではなく、もっと突きつけないと。
中立的にやったほうがメディア受けがいいのは、間違いなかったんですよ。賛成も反対もあるシンポジウムで、若者が「こういう意見もありますね」という感じで言うと、「この学生はバランスがとれていて、えらい」となるじゃないですか。ただ、「中立」と言われるところが、だんだんおかしなことになっている。いまは、現行の憲法を読もうものなら左翼みたいに言われる。憲法の勉強会をやろうとしたら、ダメになったりとか。
でも、日本国憲法って、現状のありとあらゆる法律の根拠、最高法規なわけで、それが何も言えなくなったら、法治国家としてやばい。「憲法って政治的だ」という感じになっちゃうんですけど、公民の教科書に日本国憲法のことが書いてあったら、それは政治的なのか、と。おかしくなっちゃうんですよ、そんなことになったら。
松沢:こういう運動をやるときに「デモなんかやっても、どうせ変わらないよ」という意見があるけど、SASPLやSEALDsがいま、そこを変えている。デモをやったり抗議をやることで、メディアは動くぞ、それに影響された人たちもみんな立ち上がるぞ、政治家までくるぞ、と。その成功体験をいま作っているというのが、ものすごく大きいんだけど、最初のときに「変えられる」という人が、よく半数いたよね、逆に言えば。
奥田:僕も含めて、その3日前までは「やらないほうがいいんじゃないか」という話もあったんですよね(笑)。ただ、発想としては、100人集まってデモをやって社会を変えられたら、そのほうが怖い。シンポジウムをやったって、社会は変えられないし。0か100で考えるのはやめよう、と。
いま一番、何をやりたいのか。ふわっとなんとなく来て「考える人」が増えるのがいいのか、それとも、デモぐらい来ちゃうぜという「動く100人」がいるほうがいいのか。どっちがいいかと言ったら、それは「動く100人」がいたほうがいいね、と。
津田:その説得の仕方は、なかなか感動的ですね。
もともとは「2016年の選挙」を目標にしていた
奥田:だから、初めから、全部が全部、変わるとは思っていないんですよ。若者は政治に関心がないと言われて、投票にいく若者は3割しかいないと言われるけど、一定数はいるんです。(やろうとしていることが)正しいかどうかわからないし、うまくいくかどうかもわからないけど、一応、メディアリリースや記者会見までやって、ちゃんと取材してくださいねとお願いしたりして、いろいろ動いてきた。津田:なるほど。よく考えられていますね。でもそれって、学生が主体となった運動にしては、すごく用意周到じゃないですか。普通の人は、デモをやろうと思っても、メディアにリリースを送って「取材に来てください」なんて発想にならないはず。PRとはどのようなものか知っているプロの発想です。そこはどういう流れでそういうことをやろうという話になったんですか?
奥田:一発やって終わるのは嫌だという話になって、デモをやってもいいけど、5手先ぐらい先を読んでおかないとダメだと言っていました。
津田:デモを広げていったり、具体的な運動論とかで、参考にした人の話とか本はなにかありますか?
奥田:あのときは、普通に飲みながら、こういうことをやったらいいんじゃね、みたいな感じで話してました。そのときに思っていたのは、社会って、もっと声を出す人がいてもいいし、そのバランスが取れていないと、おかしなほうに一気にいってしまうということ。何かあったらデモをやるのもいいし、もうちょっと政党のバランスがとれているようになってほしい。
そのためには、2016年の選挙のときに、あのときは衆参ダブル選挙と言われていたんですが、そのときぐらいまでに、若者が全国で2000人ぐらい立ち上がったらいいよね、と。
津田:なるほど。そもそもSASPLやSEALDsの活動というのは、2016年の参院選をターゲットにした地道な活動だったんですね。ところがこの安保法制議論の盛り上がりの余波で一気にメインストリームに乗ってしまった、と。
奥田:そういうことを考えると、名前と顔がわかる「動ける人」たちが大事だし、それを「伝える人」たちが大事。動く人だけじゃなく、そういう人に巻き込まれて、ちょっと行ってみようかと思って行った人たちが、また感化されるような仕掛けが重要。
それが自分たちにとっては、ビジュアル的なものだった。白黒で、Wordで作ったみたいなフライヤーって、普通、デパ地下とかで、もらわないですよね。ヒカリエとかだと、めっちゃ、オシャレなやつとかが配られるじゃないですか。ちゃんとAdobeのソフトとかで作られている。
ふと考えたら、なんで、デモとか社会運動はそうなっていないんだろう、と。なんで、これでいいやと思うんだろう。本当に変えたいと思って、本当に伝えたいと思ったら、伝える努力をしなきゃと思った。
松沢:最初のメンバーのなかに、いわゆる市民運動とか、社会運動の経験者というのはいたの?
奥田:初めはあまり、いなかった。震災以後に、原発関係でおかしいんじゃないのかとハンガーストライキをやった子たちが1人か、2人いた。それと、音楽を聴いていて、イベントとかをやっているやつ。
津田:最初から、メンバーの中に音楽のイベントに慣れている人がいたことが、ちゃんとデモに生きている、と。
奥田:そいつがもう、ひたすら「これまでにないことをやりたい」「伝え方を一新したい」ということを言っていて、最初のデモが終わったときに、すごい微妙な顔をして、「アキさぁ、すごいカッコいいことをやりたいと言ったけど、これ、デモじゃん?」とか言って。僕のほうは「デモだよ、デモやるって言ったじゃん!」と(笑)。「この程度だったら、まだダメだね、20点」と言われて、すげームカつくと思いながら。
津田:1回目のときは、どんな感じで、どんな場所でやったんですか?
奥田:最初のデモは、新宿の柏木公園から新宿駅までで、500人ぐらい。自分たちが想定したよりも多くて、「やっぱりいるじゃん」「ちゃんとくるんだ」という感じだった。少なくともいまはゼロだから、自分たちが受け皿になっていかないといけない、と。







