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法律の存在理由と法律万能教の信者の誕生

 前回、TOKIOの山口達也氏を擁護する形でブログ記事を書くと、意外にも多く人からコメント(BLOGOSのコメントも含む)を頂いた(当者比)。中には参考になるご意見もあったので、この場でお礼申し上げるとともに、少し言葉足らずだった部分を補足しておきたいと思う。

 私の場合、ブログ記事を書く時、テキストエディタで50行から100行程度に収めるようにしている。文字数で言えば、平均3000文字程度であり、原稿用紙で言えば、大体、7枚程度になる場合が多い。
 この程度の短い文章では、自分が言いたいことを全て纏めるのは難しく、どうしても言葉足らずになってしまう…と言うよりも、そんな事細かなことまでいちいち書いていては、誰も読んでくれなくなると思われるので、敢えて省いていると言った方が正しい表現かもしれない。
 個人的にも3000文字程度に収めるのが楽なので、この程度が妥当だと思っている。別に誰かからお金をもらって書いているわけでもないので、文字数を気にする必要もないと思われるのだが、たまに「長い」と言ってくる人もおられるので、この場で弁解の意味も込めて書き留めておきたいと思う。

 ブログ記事が言葉足らずであることは、多くのブロガーにとっては暗黙の了承事項であると思う。論理的に間違ったことを書いているならともかく、書かれていないことを勝手に想像(拡大解釈)されて批判してくるような人もたまに見かけるが、そういった人は一度、自分自身でブログを立ち上げて記事を公開してみればよく解ると思う。

 前回の記事では、少し法律を軽んずるような書き方をした部分があったせいか、まるで私が法律を無視することを勧めている無法者であるかのように誤解されている人もいた。

 しかし、私は法律を無視しろと言っているわけではなく、謝罪をしなくてもよいと言っているわけでもない。スポンサーのように明らかに迷惑を被った人々には謝罪するのは当然のことだ。しかし、全国民に対して謝罪するのは行き過ぎだと述べたまでのことであり、実際に、「謝罪が過ぎる」と書いたはずである。
 こんなことは敢えて書かなくても、大部分の人々は理解してくれていると思うが、明らかに誤解されている人もいたようなので、一応、お断りしておきたいと思う。

 ただ、交通ルールにおける法律遵守については、あまりにも杓子定規に考えている人がいるようなので、今回はその件について少し述べておきたいと思う。

 まず、運転免許を持っている人で、かつペーパードライバーでない人であれば、誰しもが交通違反は経験している。例えば、法定制限速度というものがあるが、その制限速度を1キロも超えたことがないという人がいるかというと、誰もいないと思う。このことに対して反論してこれるような人はさすがに誰もいないはずである。

 「法律は絶対だ」と言うのであれば、法定制限速度違反を行った人間は全員、自首しなければいけないことになる。しかし、そんな人が世の中にいるだろうか?

 「私は○月○日に法定制限速度を5キロオーバーしましたので逮捕してください」と言って警察に自首などすれば、さすがの警官も困り果てて、「帰ってください」と注意されるかもしれない。これではまるで吉本新喜劇の世界である。

 あるいは逆に、法定制限速度を1キロでもオーバーした車を片っ端から検挙していく法律絶対主義者の警察官がいたらどうだろう? そんな警官が日本国中にいれば、日本経済は無茶苦茶になってしまう。
 ビジネスにおける輸送スケジュールは狂い、輸送料金や宅配料金も跳ね上がり、車の燃費も悪くなり、減点や罰金が相継いで車を買う人も乗る人も激減し、日本経済は完全に麻痺してしまうことになってしまうだろう。もし、そんな警官がいたとすれば、それは「法の番人」と言うよりは、「経済の破壊者」である。

 しかし、「法律は絶対だ」だと言うのであれば、そういった警官に捕まったとしても、文句を言わずに受け入れなければならない。そんな窮屈な社会が理想だと本気で思っているのだとすれば、それこそ自らが思考停止状態に陥っていないかどうかを疑うべきである。
 そもそも法律とは、誰のためにあるのか? そして、何のためにあるのか? その根本理由を見失うと、どんな法律も変更できない不磨の大典だというような錯覚に陥ることになり、ただの法律万能教の信者(=法律バカ)に成り果ててしまう。

 法律とは、人間の生活をより良く円滑にするために存在しているものであり、人間が法律の奴隷になるために作られたものではないはずだ。法律を守るという姿勢は法治国家の常識であっても、法律の存在意義を忘れてしまうと、誰のための法律かが分からなくなってしまう。
 法定制限速度を1キロオーバーしたとしても、それは立派な交通違反である。しかし、その1キロに拘るがために、人間社会が殺伐とし、住みにくい社会となってしまっては本末転倒になってしまう。
 制限速度も運転免許の更新期間も、現在のものが唯一絶対的なものではなく、いつ変更になってもおかしくないような(日本でしか通用しない)アバウトな取り決めである。それは日本社会の一応の決まり事なので守らなければならないことは言うまでもないが、殺人や暴行や窃盗のような二元論的に動かない価値を含んだ法律とは言えない。

 例えば、運転免許の更新日が過ぎたとしても、その運転手は運転する能力を失うわけではないし、ドライビングテクニックが下がるわけでもない。逆に、普段は車の運転をしないペーパードライバーであっても、定期的な運転免許の更新を義務付けられているが、こういった人々は、運転免許の更新を行ったところで運転が上手になるわけではない。つまり、運転免許の更新というものは、“運転できる”という本来の運転免許の存在理由とはほとんど無関係な制度なのである。
 だからといって、その法律を守らなくてもいいと言っているわけではないのだが、あまりにも杓子定規に考え過ぎると、人権よりも法律の方が大事だという、どこぞの独裁国家で見られるような悪法に縛られた自由の無い息苦しい社会になってしまう。

 法律の中に人間社会が存在しているのではなく、人間社会をより良くするための制度として設けられているのが法律だ。その法律を主役と考え、人間を脇役と考えると、先程述べたように、法律を神であるかのように錯覚する法律万能教の信者が生まれることになる。それは法律を神と崇める奴隷の誕生の瞬間でもあると言えるのかもしれない。

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