そこで、昨年、『憲法改正のオモテとウラ:憲法改正とは政治そのものである』(講談社現代新書)という本を書いて、「立憲主義をわかっていない国会議員に任せて大丈夫?」という疑問を呈したのである。しかし、拙著など国会議員は読まないのか、私の危機感は伝わっていないようである。拙著の4ページに以下のように書いた。
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「第二次草案」をまとめたと言われている自民党議員は東大法学部の出身であるが、母校の憲法の授業で立憲主義について教わったことがないと言ったという。それを聞いたら、憲法講義の冒頭に立憲主義を教えたはずの故芦部信喜教授が、何と言うであろうか。ちなみに、芦部教授は私の師でもある。」* * * *
この自民党議員とは、法的安定性軽視発言をした磯崎陽輔補佐官である。拙著では、名前は伏せておいたが、ご本人が、立憲主義についての同趣旨の発言を公開しているし、それはすでに報道などで伝えられているので、もう伏せる必要もない。
武藤貴也衆議院議員は、戦争の悲惨さ、怖さを体験したことがあるのだろうか。取材や視察で、カンボジアやイラクの戦場に身を置いたことのある私は、一発の銃声に恐れおののき、平和や戦争は机上の空論ではなく、実に具体的なものであることを痛感したものである。この議員の憲法観もまた、人類の長年の智恵を踏みにじるものである。自民党の第二次草案のPR用パンフレットでは、「西欧の天賦人権説」が否定されているが、人類が戦って獲得してきた基本的人権についての理解に欠けると言わざるをえない。
国民の代表として期待されている仕事をするためには、国会議員は、日本国、また諸外国の憲法について基本的な理解をしておく必要があるのではないか。