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- 2011年07月29日 09:00
上を向いて歩けない時代(?)
先、NHKで「上を向いて歩こう」の誕生エピソードをNHKでやっていた。多くの人がこの曲に励まされ続けたことだろう。個人的にも好きな曲である。
また、多くに日本人にとっては戦後の苦しい時代からどんどん右肩上がりで復興・発展していく時代を象徴するひとつの曲でありそのことが多くの人に古きよき時代・活力のある時代を連想させ共感を生むのだろう。
しかし、あえて皮肉めいていると思われるかもれないが個人的には「上を向いて」歩く時代はもう来ない可能性は高いと考えている。
たとえば、タイラー・コーエンの著書「インセンティブ 自分と世界をうまく動かす」にこのような一説があった。
18世紀初頭のヨーロッパの人々の暮らしがローマ帝国時代よりもはるかによかったわけではない。
これは何を意味するのだろうか?
我々は数千年に及んでゆっくりとした経済成長しか享受できなかった。しかし、ここ100年に及んで我々の経済は諸条件が整ったこともあり、急速に成長した。
たとえば、10年前と比較して我々の生活は本当に貧しくなったのだろうか?
多くの人が携帯を二つ持ち、いつどこにいてもインターネットにアクセスし誰とでも連絡を取れる時代。物価の下落によっておいしいもの・いいものを安価で手に入れることが容易になっている時代。人々がより身の丈にあった生活を受け入れることで無駄な贅沢・出費が必要のない時代。
いろんな意見はあろうが、少なくとも絶対水準として我々の生活水準が圧倒的に低下したと考える人は少ないだろう。むしろ、冷静に考え、かつ文化的水準なども加味すればおそらく日本人の多くの人の生活は豊かになっている。(もちろん、格差の拡大などによって相対的に貧しくなったと考える人も多いだろうけれども)
急速な経済成長がこれからも続くのであろうか?あるいは取り戻せるのであろうか?そのためにはさらなる技術革新が必要である。しかし、多くの人がそれを信じられなくなっている。少なくとも、日本においてはそれを多くの人が認識している。そして、今、世界中の先進国で同様の認識を持ち始めている人が増えている。時代の圧倒的な技術革新をもたらすような何かがあるとは考えづらい。
もちろん、僕自身は政府の規模を縮小し規制を緩和していくことで経済成長がまだまだ可能であると考えている。しかし、それでも今後相当の期間、経済が停滞することを我々は覚悟すべきじゃないかとも僕は考えている。便利になりすぎた我々の生活がこれからさらに右肩上がりによくなっていくとは考えづらいのだ。
しかし、それは人々が受け入れればいいだけの話である。先進国において食料が足りなくて餓死するような人はほとんどない。そして、100年前の我々の先祖が見れば、あるいは後進国の人が見ればわっれわれは驚くほど豊かで文化的な生活をしている。
これに何が不満であろうか?今のレベルの生活水準を維持できることに我々はもっと感謝すべきではないだろうか?
このときに問題になるのは政府の財政であり、維持不可能に見える年金や医療などの制度である。これらを右肩上がりの経済成長・人口増加に基づいたものではなく、持続可能なものに変えていくことが必要だろう。その際の痛みを我々は甘受しなければならない。しかし、それはこれまでの贅沢のツケを払うことである。だから、できるだけ将来世代に先送りせずに覚悟を持って早いタイミングで行うべきだ。いつか景気がよくなってからと言っていては永遠に実行されないだろう。
上を向いて右肩上がりの成長を信じて生きていける時代は終わった可能性が高い。いや、少なくともしばらくはこないかもしれない。だから、上を向いて歩いても上に上がっていけない。それが我々に突きつけられた現実かもしれない。
しかし、それでもこの曲は我々にいろいろなことを教えてくれる。後ろ向きかもしれないが、我々は持続不可能に見える財政を立て直す必要がある。どの程度、経済成長に寄与するかはわからないが規制をさらに緩和し官の力をさらに弱める必要がある。そして、多くの先人の努力に感謝しながら今の十分に高い経済水準の生活を改めて認識する必要がある。そして涙がこぼれないように、上を向いてどんな状況でも我々は今に感謝しながら生きていく必要があるのではないだろうか?
当たり前の高い経済成長という認識から、今こそ脱却すべき時代であるはずだ。
※僕自身は当然ながら経済成長を否定しない。高い経済成長を実現すべく政策を行うべきだと思っている。しかし、それは先進国では難しい課題になっている可能性にも目を配るべきだと考えてこの記事を書いた。
- wasting time?
- 欧州からアメリカ・日本まで幅広く経済的視点から言及



