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- 2011年06月20日 01:30
ギリシア危機再び 雑感と自分の考えのまとめ
ギリシアのデフォルト懸念が再び市場を揺るがしている。前政権が粉飾決算をしていたせいもあり、現・左派政権はその尻拭いをさせられているという面が濃かったせいか、アイルランド・ポルトガル・スペインと違って与野党の支持率は逆転していなかったが、とうとう国民の間での与野党の支持率が逆転し始めており、政権の基盤が揺らいでいる。
支援を受ける側のギリシアの内部がゴタゴタするなかで、そもそも現実的に厳しいと思われる財政緊縮案を実行することは不可能だし、実行したとしてももはやデフォルトは避けられないと市場は見始めているようである。
欧州ソブリン危機に関しては以前から記事を書いてきた。
一つは市場の流れに逆らってギリシアを救済しようとしてもそれは不可能ということがやはり明らかになってきたことである。ある国の放漫財政のツケに対して他国民が救済の成果がでないままに何度もカネを払い続けることを許さないというのは当たり前であろう。
面白いのはECBとドイツの対立である。本来ならば、ECBはデフォルトすべき国であるギリシアの終わることのない延命措置を許さない可能性も高いはずである。そのような政策は財政規律を緩めインフレ懸念を引き起こす可能性も高いからである。
しかし、昨年、ECBは周辺国救済と市場沈静化のために(おそらく)EUの首脳から周辺国債の購入を強制された。そのせいでECBの自己資本以上の損失が今回ギリシアがデフォルトすれば生じるとされている。
実際、この国債の購入は意味がなかったといえるだろう。やはり市場を人為的に操作することは中央銀行といえでも不可能であることを如実にあらわしている。(参考記事→中央銀行って本当に必要なんだろうかと考えてみる(2))
ECBは自己の利害に反するギリシア・デフォルトを決して許したくないし、そもそも周辺国債の購入は政治の圧力によって強いられたものであるから、ここでドイツの政治家が国民の反発を抑えきれないからといってあっさりとギリシアのデフォルトを認めるという行為は許せるはずもない。
僕は中央銀行という組織は少なくも政府機関の中ではまっとうな部類に入る存在だと思っている。しかし、それでも自己の利害を優先した主張を行うのが政府組織であるということが今回改めて分かった点は興味深い。
そもそも、ギリシアをデフォルトさせることにそこまでの恐れを抱く必要はないと僕は思っている。もちろん、一時的に市場は混乱するだろうが、ギリシアのデフォルトはそもそも不可避であるならば、タイミングの違いだけの問題である。
そのうえで、混乱が広がった場合には潤沢に資金を供給して金融システムを守ればよい。もちろん、そのようなやり方は決して褒められたものではないが、金融システムが崩壊するような事態を許してはならないのも事実である。
結局、一番思うのは借金を重ねながら国家を経営することの危うさである。いろんな理由を挙げて国債を発行することを正当化しようとする人々がいる。
しかし、現在の成長ペースが適正かどうかは誰にも分からない。いつ経済が停滞し相当長い間沈んだままになるかというのは誰にも予期できない。インフレ率を中央銀行があたかも操作できるかのように言う人も多いが、それも定かではない。適正なインフレを起こすことで借金を目減りさせようというのは安易な発想といえる。
また、国内の貯蓄に関しても高齢化が進む中で日本の貯蓄率はすでに大きく落ち込んでいる。日本は金融資産を家計が大量に保有しているから安全だというのは中長期的に見れば危うい考え方である。今後これがどうなっていくも誰にも予見できない。
グラフ
(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4520.htmlより)
そう考えるならば、赤字を作ることなく適正な規模の予算を守ることが大切だろう。また、増税による財政の拡張は予想外の経済停滞やショックによって上手くいかないことは明白である。GDP対比で財政赤字の規模を比較する手法も半分は正しいが、半分は正しくないといえるだろう。
政治家には国家を成長させるという志があるはずだ。しかし、それは同時に安易な財政出動やばら撒きによって選挙民の歓心を引こうという誘惑にもなりうる。
そして、いつしか国民はパンとサーカスにおぼれるようになり勤勉さが失われ崩壊への道を歩むのかもしれない。
いずれんしてもこのギリシア危機は我々にいろいろなことを教えてくれるしよき議論の材料になっていることは間違いないだろう。
支援を受ける側のギリシアの内部がゴタゴタするなかで、そもそも現実的に厳しいと思われる財政緊縮案を実行することは不可能だし、実行したとしてももはやデフォルトは避けられないと市場は見始めているようである。
欧州ソブリン危機に関しては以前から記事を書いてきた。
一つは市場の流れに逆らってギリシアを救済しようとしてもそれは不可能ということがやはり明らかになってきたことである。ある国の放漫財政のツケに対して他国民が救済の成果がでないままに何度もカネを払い続けることを許さないというのは当たり前であろう。
面白いのはECBとドイツの対立である。本来ならば、ECBはデフォルトすべき国であるギリシアの終わることのない延命措置を許さない可能性も高いはずである。そのような政策は財政規律を緩めインフレ懸念を引き起こす可能性も高いからである。
しかし、昨年、ECBは周辺国救済と市場沈静化のために(おそらく)EUの首脳から周辺国債の購入を強制された。そのせいでECBの自己資本以上の損失が今回ギリシアがデフォルトすれば生じるとされている。
実際、この国債の購入は意味がなかったといえるだろう。やはり市場を人為的に操作することは中央銀行といえでも不可能であることを如実にあらわしている。(参考記事→中央銀行って本当に必要なんだろうかと考えてみる(2))
ECBは自己の利害に反するギリシア・デフォルトを決して許したくないし、そもそも周辺国債の購入は政治の圧力によって強いられたものであるから、ここでドイツの政治家が国民の反発を抑えきれないからといってあっさりとギリシアのデフォルトを認めるという行為は許せるはずもない。
僕は中央銀行という組織は少なくも政府機関の中ではまっとうな部類に入る存在だと思っている。しかし、それでも自己の利害を優先した主張を行うのが政府組織であるということが今回改めて分かった点は興味深い。
そもそも、ギリシアをデフォルトさせることにそこまでの恐れを抱く必要はないと僕は思っている。もちろん、一時的に市場は混乱するだろうが、ギリシアのデフォルトはそもそも不可避であるならば、タイミングの違いだけの問題である。
そのうえで、混乱が広がった場合には潤沢に資金を供給して金融システムを守ればよい。もちろん、そのようなやり方は決して褒められたものではないが、金融システムが崩壊するような事態を許してはならないのも事実である。
結局、一番思うのは借金を重ねながら国家を経営することの危うさである。いろんな理由を挙げて国債を発行することを正当化しようとする人々がいる。
しかし、現在の成長ペースが適正かどうかは誰にも分からない。いつ経済が停滞し相当長い間沈んだままになるかというのは誰にも予期できない。インフレ率を中央銀行があたかも操作できるかのように言う人も多いが、それも定かではない。適正なインフレを起こすことで借金を目減りさせようというのは安易な発想といえる。
また、国内の貯蓄に関しても高齢化が進む中で日本の貯蓄率はすでに大きく落ち込んでいる。日本は金融資産を家計が大量に保有しているから安全だというのは中長期的に見れば危うい考え方である。今後これがどうなっていくも誰にも予見できない。
グラフ
(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4520.htmlより)
そう考えるならば、赤字を作ることなく適正な規模の予算を守ることが大切だろう。また、増税による財政の拡張は予想外の経済停滞やショックによって上手くいかないことは明白である。GDP対比で財政赤字の規模を比較する手法も半分は正しいが、半分は正しくないといえるだろう。
政治家には国家を成長させるという志があるはずだ。しかし、それは同時に安易な財政出動やばら撒きによって選挙民の歓心を引こうという誘惑にもなりうる。
そして、いつしか国民はパンとサーカスにおぼれるようになり勤勉さが失われ崩壊への道を歩むのかもしれない。
いずれんしてもこのギリシア危機は我々にいろいろなことを教えてくれるしよき議論の材料になっていることは間違いないだろう。
- wasting time?
- 欧州からアメリカ・日本まで幅広く経済的視点から言及



