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戦後70年。日本人が問われる夏

小学校4年生のとき、初めてひとり旅をした。
仙台から、単身赴任をしていた東京の父の元へ。
私の隣に座った品の良いご婦人に、母は「くれぐれもよろしく」と言った。
ご婦人は「わかりました。大丈夫ですよ」とにっこりして答えた。

列車が出発してしばらくすると、ご婦人は小声で言った。
「私、占いができるの」
占い・・・。
ワタクシの家の裏は神社で、神主のおんちゃんは時折、人に頼まれては家相や困りごとの行く末を占っていた。愛人の巫女さんをスクーターの後に乗せて行く姿は時に嘲笑の対象だったりもして、子ども心に感じた淫靡な雰囲気も含めて、それはなんとなく妖しいものだと思っており、だからこそ「占い」と聞いた瞬間にいやな予感がした。

「あなたの誕生日はいつ?お母さんは?お父さんは??」
立て続けに質問をしたあげくに言った。
「お母さんは69歳で亡くなるわ」
そんな・・。
それだけで胸が張り裂けそうになる。

「それとね、あなた、約束して。広島の人と結婚したらダメよ」
広島の人・・。
ワタクシは西城秀樹のファンだった。「ローラ」と歌う時の目線はワタクシにだけ送っていると信じていた。それは秀樹とワタクシ、ふたりだけの秘密だった。秀樹は広島出身だ。それがなぜ?

「原爆があるからね。広島出身の人はみんなそれ持っているから、怖い後遺症が出るから、子孫に。広島の人は子どもを産んじゃダメなの」
嘘っぱちだ。そんなことはない。
怒りが湧いて、しかし10歳のワタクシはそれを言葉にすることができなかった。思いを飲み込む。ぐい、と。

そのうち、頭まで痛くなってきた。どうしよう。もう限界。
そう思った時に列車が上野駅についた。
「お父さん」
ホームに降りて父を見た瞬間、私は吐いた。
父は乗り物酔いだと思ったらしいが、それは違った。

私はご婦人を今も許さない。
ありとあらゆる差別と闘う人生になったのは、10歳のワタクシに訪れたあの日がきっかけだったのかもしれないと思う。戦後30年目の夏だった。

そして、それから40年が経つ。 戦後70年目。日本人が問われる夏となっている。
原爆が投下された日。犠牲者とそのご家族に心からの哀悼と、、長い間偏見を受けながら生きてきた、生きている全ての方々とともに、私は闘い続けることを改めて誓う。

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