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マスコミはなぜ「保守化」できないのか?

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■保守がいなくなった国

 「日本の常識は世界の非常識」という竹村健一氏の言葉を持ち出すまでもなく、「この国はどこかおかしい…」、そんな漠然とした違和感を感じたことがある人は結構多いのではないかと思う。
 昨今の安保法制問題にしても、奥歯に物が挟まったような建前論議ばかりで、なぜか本音論はほとんど聞かれない。ネットの世界ではたまに保守的な意見も聞かれるのだが、テレビともなると、保守的な意見など全く無いが如しだ。
 言論を統制する独裁者がいるわけでもない日本という国で、多くの人々がまるで、目に見えない独裁者に縛られて(操られて)でもいるかのようですらある。この目には見えないが直観的に感じられる違和感の正体こそが、戦後レジームというものが生み出した「日本の常識」という名の名も無き宗教の幻影である。

 戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が「レッドパージ」(通称:赤狩り)を行ったことは有名な話だが、その前に「保守パージ」(公職追放)が行われたことにより、日本には基本的に保守的な(右寄りの)言論人がいなくなった(正確に言えば、表に出ることができなくなった)。
 右翼と保守がパージ※された後、左翼(主に極左)もパージされ、残ったのは、リベラル(自分勝手な個人主義者)と中途半端な左翼だけとなり、終戦後間もない時点で、国家観を有した論客は誰もいないという歪な言論空間が出来上がることになった。GHQの目的が「日本人の愛国心」のパージだったことを考えると、これはある意味で当然の帰結だった。

 戦後70年が経過し、本来であれば既に形骸化しているはずのこの体制は現代でも未だに生き続けており、比較的まともなことを言う保守論客は陰に追いやられ、右翼と極左は今でもパージされている。極左(言論人)を嫌う左翼(マスコミ)という構図は、つい最近も我々の目に映ったことは記憶に新しい。

※コンピューター用語で「削除・消去」を意味する。

■「思想は丸かった」

 思想というものは、平面的に見れば左右一直線に広がっていくかに見えるが、立体的に見れば丸いものでもある。極右思想と極左思想というものは、左右にどこまでも離れていくわけではなく、円弧を描いて離れていき、最終的には交差する。
 「地球は青かった」という宇宙飛行士ガガーリンの言葉に準えて言うと「思想は丸かった」ということになるだろうか。「思想は丸かった」というのは私の造語だが、思想というものは地球を1周するが如く丸いものだと言っている識者もおられる。

 話を解り易くするために、地球を正面から見た場合、左側を左翼、右側を右翼と考えると、真ん中にあるのが保守になる。しかし、戦後の日本では、このセンターに位置するはずの保守が30°から45°右側に寄っており、中心がリベラルになっている。(本ブログ記事右上の図参照)
 太陽の光は地球の半分(180°)を照らすことになっているが、日本の場合、思想的には右側には光が当たらず、左半分のみ(リベラルから左翼まで)しか光が当たっていない。つまり、90°という限られた思想空間の中で、言論が論じられていることになる。地球の裏側に当たる極右と極左に光が当たらないのは良いとしても、右側に全く光が当たらない状態というのは日本の常識であっても世界的には非常識なのである。

■GHQ教の信者の誕生

 敗戦後の占領政策(W・G・I・P)により日本のマスコミは戦犯と目され、罪滅ぼし(死刑回避の交換条件)として、「日本は悪い国だった」という自虐思想を伝播することに奔走した。
 当時のマスコミ人のことを考えると、これは同情の余地もある苦渋の選択だったに違いない。誰しも死刑にはなりたくないので、当初は、ほとぼりが冷めるまでは仕方がないというような感覚でGHQに指示されるがままに「日本は悪」という洗脳報道を行わざるを得なかったのかもしれない。
 しかしながら、この洗脳報道は、GHQの狙い通り…いや、予想を遥かに超えて多くの人々の心の奥深くに刷り込まれていった。特に、元々、反国家を信条とする左翼には、これらの言葉は言霊となり、彼らがGHQ教の信者に成り果てるのにさほどの時間を要しなかった。付け加えて言うならば、GHQの占領政策に便乗する形で自らの反国家思想を流布した人々もいたはずだ。

 「GHQ教の信者なんていない」という人もいるかもしれない。しかし、世の中を見渡すと、そこかしこにGHQ教の信者は存在しているかに見える。例えば、反米でありながら、憲法は礼賛するという論理的に説明不可能な行動様式を持つ人々も、GHQ教の信者であることを無言のうちに語っている。彼らのもう1つの特徴は、自らがGHQ教の信者に成り果てているなどとは夢想だにしていない(あるいはGHQの存在すら知らない)ところにある。まるで映画『マトリックス』の世界の住人のようだが、こういった例からも、この洗脳の根深さが観てとれる。

■マスコミを変える「鍵」は国民が持っている

 左翼ばかりになったかに見える現在のマスコミが、かつて(戦中ではなく戦前)のような保守的な報道機関に原点回帰できるか?
 結論を先に言えば、その成否は国民次第だと思う。

 マスコミが、敗戦を契機としてGHQの走狗と化し、真実を報道するというマスコミ本来の使命を失ったことは、別の意味での自殺行為でもあったのだろうけれど、当時のことを考えると、処世術としては仕方のない一面もあったのではないかと思う。しかしながら、その洗脳報道があまりにも上手く行き過ぎたために、GHQが解散した後も取り消しが極めて困難な状況となってしまったことは想像に難くない。

 想像してみよう。現代になって、彼らマスコミが、「70年前は嘘をつくしか仕方がなかったのです」と言った場合、国民はどういう言動に出るだろうか?
 おそらく、「マスコミは嘘をついていた。我々はずっと騙されていた。マスコミを潰せ! 脱マスコミだ!!」という、どこかで聞いたようなフレーズの金切り声が日本中で鳴り響くことになるはずだが、事勿れ主義を貫いているマスコミにとっては、自らの謝罪からオウンゴールを招くことは有ってはならないことだろう。
 しかし、多くの国民が当時の事情を理解し、彼らの罪を許すことができたのならば、マスコミはこぞって保守的な報道機関に原点回帰(思想的にポールシフト)するかもしれない。

 あくまでも希望的観測ではあるが、マスコミの中にも真実を報道したいという正義感を持った人は大勢いるはずだ。しかし、そういった人々が表立って発言できなくなっている現状を国民の側が正しく理解しなければ、政治家と同様に、彼らマスコミもポピュリズムに陥るしかなくなる。左翼ばかりの言論空間にあっては、多数決の原理で左寄りの報道をせざるを得なくなる。まともなことを言えば社会的に干されるという空気を作り出しているのは、マスコミだけでなく我々国民の側にも責任があるのではないだろうか? この自縄自縛とも呼ぶべき窮屈な日本の言論空間を、本来の健全な姿に変える力を持っているのは、マスコミではなく、実は我々国民の方だとは言えないだろうか?

 いつになるか判らないマスコミからの謝罪を待つのではなく、国民の過半数が真実を知るようになれば、ポピュリズムの原理が逆に機能し、この現状を変える力になるかもしれない。マスコミの保守化、ひいては、この国がまともな国に戻れるかどうかを決する鍵は、我々国民の手の中に握られている。

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