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インサイドヘッドは誤訳?~ディズニー・ピクサー映画「邦題」の問題点

原題とは違う邦題

ディズニーが配給し、現在はディズニーの一部となったピクサー映画。その邦題、つまり日本語タイトルについてずっと気になっていたことがある。そして、今回のピクサーの新作『インサイドヘッド』もまた、この「気になっていること」が露呈したことになったのだが。

最近のピクサー映画、そしてピクサーがディズニーに買収されて、ピクサーのヘッドであったJ.ラセターがウオルト・ディズニー・アニメーション・スタジオズのチーフ・クリエイティブ・オフィサーとなってからの作品群(長編)のうち、邦題が原題とは変更されたものをあげてみよう。

『Mr.インクレディブル』→The Incredibles
『レミーのおいしいレストラン』→Ratatouille
『カールじいさんの空飛ぶ家』→Up
『プリンセスと魔法のキス』☆→The Princess and the Frog
『塔の上のラプンツェル』→Tangled
『メリダとおそろしの森』→Brave
『アナと雪の女王』☆→Frozen
『ベイマックス』☆→Big Hero 6
『インサイドヘッド』→Inside Out
※☆はディズニー作品

邦題は「の」ばっかり

ラセターが短いタイトルを好むのがよくわかる。そして毎回、この短いタイトルの中に映画のメッセージを凝縮させて詰め込むという芸当をやっている。つまり、タイトルに作品のメッセージの本質がしっかり込められているのだが、なぜかこれが日本版となると完全に骨抜きになり、突然「お子様向け」映画に映るようになってしまう。ちなみにタイトルが原題と変更させられたこれら9作品(2004年以降)のうち、なんと6作に共通する文字がある。それは「の」だ。『レミー「の」おいしいレストラン』『カールじいさん「の」空飛ぶ家』『プリンセスと魔法「の」キス』『塔「の」上「の」ラプンツェル』『メリダとおそろし「の」森』『アナと雪「の」女王』。僕はこれ、どうみてもジブリ映画の悪影響じゃないかと踏んでいる(笑)(ジブリ映画は「~の」というタイトルだらけだ。ちなみにラセターはジブリ作品のいくつかにエグゼクティブ・プロデューサーとして参加している)。

原題のメッセージとは

そこで、今回はピクサーを中心とするラセター作品群の本質をタイトルから紹介してみたい。
『Mr.インクレディブル』→The Incredibles
”The Incredibles”だからそのまま訳せば「インクレディブル一家」となる。この作品はMr.インクレディブル=ロバート・パーが主人公ではなく、一家が力を合わせてインクレディブルをトラウマとしてこれを倒そうとするシンドロームを撃退する。だからファミリードラマなのだ。

『レミーのおいしいレストラン』→Ratatouille
ラタトゥイユはフランスの田舎料理。そして刑務所などの、いわゆる「臭い飯」の意味もある。本作ではドブネズミという衛生上はきわめて好ましくない生き物だが料理好きのレミーが才能のない見習い料理人リングイニ(実は天才シェフ・グストーの息子)と協力して最高のラタトゥイユを作る。タイトルには田舎料理やネズミであっても天才の息子であっても本質は変わらない。料理のジャンル、ネズミや天才シェフという形式ではなく、内容こそが重要という意味が込められている。

『カールじいさんの空飛ぶ家』→Up
亡き妻・エリーとの思い出の詰まった家の立ち退きを強いられ、カールは家に風船を付けてエリーとの約束である南米のパラダイスフォールへ向かう。つまり家をUpさせるわけなのだが、事の本質、つまりupの本当の意味はカールがエリーとの過去の思い出の中に浸っているのではなく、次の冒険に旅立っていくことにある。そして、その旅とはパラダイスフォールへ向かうことではなく、日常をラッセルというたまたま知り合ったアジア系の子どもと楽しく過ごすところに求められる。それはエリーとの日常が冒険であったように。つまり、ここではカールの人生、日常、そして冒険の意味がup、より厳密に表現すればアップデートされる。(詳細については本ブログ「『カールじいさんの空飛ぶ家』を徹底分析する」http://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/61239970.htmlを参照)

『プリンセスと魔法のキス』☆→The Princess and the Frog
本作ではプリンセスでない普通の貧乏な黒人ティアナが主人公。彼女は魔法でカエルに変えられてしまうが、それによってプリンセスの本当の意味、成功の本当の意味、パートナーの本当の意味を知る。タイトルは「プリンセス」(夢)と「カエル」(現実)が見かけでしかないこと。二つが同じレベルにあること。これを、両極端の存在である二つ(プリンセスとカエル)をコントラストとして提示することで示している。

『塔の上のラプンツェル』→Tangled
tangledとは「こんがらがって」という意味。ラプンツェルは髪の毛が長いことによって、自らの人生が「こんがらがって」しまっている。ニセの母、ニセの言いつけ。だが夢を持ち続け、それを最終的に長い髪の毛を切り落とすことによって実現する。つまりこんがらがりをほどく。

『メリダとおそろしの森』→Brave
メリダは男勝りのじゃじゃ馬娘。とにかく元気で勇敢、つまりbrave=勇者、勇敢な存在。ただし、その元気さは無鉄砲の元気さ。言い換えれば「野蛮」でもある。ところが自らの野蛮さが招いた母がクマに変貌させられてしまう事態を契機に愛他心とは何かを自覚し、Braveは本当のものとなっていく。つまり、この作品のタイトルは「勇敢とはどういうことを意味するのか」

『アナと雪の女王』(☆)→Frozen
Frozenとは「凍てついた」という意味。北欧の街アレンテールはエルサのコントロールの効かない魔法によって凍てついてしまうが、こちらはやはり形式。本当に凍てついているのは自分の殻に閉じこもっているエルサの心性、そしてプリンセス物語を本当と思い込んでいる、つまりこの物語に凍てついているアナの心性。この二つが愛他心を獲得することで解凍されていくのがこの物語の展開。ちなみにオラフは雪の精だが、夏を愛するという犠牲心、そして愛他心のメタファーで、frozenの逆のmelt=溶けることが最高の幸せと考えている。

『ベイマックス』→Big Hero 6
これもThe Incredibesと同じく、六人のヒーローが力を合わせて敵を倒していくという物語。実は決してヒロとベイマックス二人の話ではない。どちらかというとイメージすべきなのは『アベンジャーズ』だ。

『インサイドヘッド』の本当の意味

そして、今回の作品『インサイドヘッド』だ。

この意味は「インサイド=内側」「ヘッド=頭」、つまり頭の内側を意味しているのは明らか。ただし、英語では普通”inside head”という表現はしない。二つの単語の間に前置詞を入れて”inside of the head”とかになるはずだ。だから、これは日本語英語と判断してよいのではないか。まあ、それはよいとして、この邦題の理解からすれば「頭の内側で起こっていること」となる。実際、登場する11歳の子ども・ライリーの頭の中の「ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリ」五つの感情が、この作品を展開するキャラクターとなる。

だが原題”Inside Out”は似たような音だが全く意味が異なっている。これは熟語で「ひっくり返し、裏返し、裏表」。そして、この作品もこの裏表が重要なテーマとなっている。

この裏表は三つある。

一つは、最もわかりやすい表=ライリーという人物、裏=ライリーの感情を司る五つのキャラというinside out=裏表。これはとりあえず『インサイドヘッド』という訳でも一応理解は可能だ。

二つ目は、大きなテーマである、これらの感情がどのように機能しているのかについてのinside out=裏表。ヨロコビはとにかくライリーを喜ばせることに夢中だ。そしてそれが正しいことと信じて止まない。ところがただ喜ばせようといろいろやっただけではライリーの心は動かない。動かすためには怒らせたり、ビビらせたりすることも必要。そして最も重要なのが悲しむこと。ヨロコビが作る記憶は輝くボール、一方カナシミが作る記憶は青のボール。輝くボールにカナシミが触れるとボールの色は青色に変わる。ヨロコビはそれをさせないようカナシミにボールに触れることを禁じるが、結果としてこのボールにカナシミが触れ色が青に変わることで、輝くボールはいっそう輝くことになる。その結果、大切な記憶は喜びや悲しみ、怒り、むかつき、ビビりと表裏一体になっていることにヨロコビは気づくようになる。つまり喜びは悲しみのひっくり返し。表裏一体、感情の裏表なのだ。

ライリーの主体は誰か?

そして三つ目。これはきわめて哲学的な命題だ。気づきにくいテーマでもある。それは「この映画の主体は誰か?」という問題についてのinside out=裏表だ。

作品の中でカナシミはライリーを喜ばせようといろいろと感情を起動させる装置をいじる。そして他の感情を管理している。ところがカナシミは時にヨロコビの言いつけに反するように、触ってはいけないというボールや装置に触れてしまう。そして、その理由をカナシミ自身が説明できない(このへんのイライラする、うざったいキャラクターの声を大竹しのぶが絶妙の吹き替えで展開している)。

なぜカナシミはヨロコビの意に反して、そして自らの意にも反してこういった行動をとってしまうのか?

それは、この五つの感情があくまでもライリーの感情であるからだ。しかしながらヨロコビはそのことに気づいていない「ライリーを喜ばせることはよいこと」という立ち位置に基づいて、そのことの是非を振り返ることもなく、これを推進していく。この時、ライリーの主体はライリー自身ではなくヨロコビという感情になってしまう。これは感情と理性という二元論を設定し、その二つの合力で主体の意志が決定するという前提を是とするならば「感情の赴くままに行動する」という危険な行為になるのだ。このままではライリーは単なる快楽主義を求める存在でしかない。

だから、時にカナシミが自分の意志ではわからないようなことをやってしまうのは、要するにライリーという主体が無意識のうちに意志を持ってカナシミをコントロールしてしまうから。そしてこの五つがライリーの感情であるとするならば、こういった感情の運用の仕方(され方)こそが子どもの、そして人間の成長、振る舞いにとっては最も健全で正しいものとなる。いいかえれば、ライリーの感情の中で最も誤っている行動をとっているのが、実はヨロコビなのだ(ヨロコビが正しいと思っていたとしたら、あなたの認識も同様にinside out されている。竹内結子の元気いっぱいの吹き替えに(これまた絶妙だが)ダマされてはいけない(笑))。そして、映画の最後、そのことをヨロコビは理解する。

そう、この作品の三つ目のinside outとは、この映画が五つの感情が主体と思わせておいて、結局のところ、実はライリーの側にあるというひっくり返しなのだ。そしてそのひっくり返しもまた真。つまり主体の意志にとって理性と感情は表裏一体、つねにinside outされつづけるものとして存在しているのだ。

というわけで、今回もまた邦題によって原題が隠蔽されることで、作品のメッセージが読み取れなくなっている。

ラセター印の作品のメッセージを読み取りたければ、先ず原題のタイトル分析から入ってみるのをオススメしたい。

※ちなみに、今回映画のはじめに監督のピート・ドクターによる日本人向けの解説が入っているのだけれど、なんとこの時、ドクターは作品のことを「インサイドヘッド」と読んでいる。う~む、商魂たくましい!

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