- 2015年07月20日 11:22
「ネトウヨ」というスティグマ
最近、ブロゴスに掲載して頂くようになってから、私のことを「ネトウヨ」だと非難する声が届くようになった。
「ネトウヨ、黙れ」
「うるさい、ネトウヨ」
といった類のメッセージが届くが、正直言って、不愉快である。
この「ネトウヨ」という言葉は、既に「スティグマ」と化している。
スティグマについては、以前「ヘイトスピーチ」について論じた際に、その定義を紹介したことがあるので、そのまま引用し紹介することにしよう。
「スティグマ」とは、いささか聞きなれない言葉であろうから、簡単に説明しておこう。
古代ギリシアでは、人間の内面に問題があると判断された人々に対して、肉体的な烙印を押して大多数の「普通の人々」にその人物の異常性を知らしめようとする風習があった。奴隷、犯罪者、謀反人は、穢れた者、忌むべき者、避けられるべき者であるとされ、「普通の人々」から一目で区別することが可能なように烙印が押されたのだ。烙印を押されることによって、「異常性」が可視化され、「普通の人々」は、烙印を押された人間を避けることが可能となった。この烙印をスティグマと呼んだ。近年では、ある特徴を以て人々を分類し、そうして分類された集団の成員全員が同様の「異常性」を有していると断定する、差別意識に基いた精神的な烙印を「スティグマ」と呼ぶ。
民族、宗教、性的指向(LGBT等)、いずれの場合においてもそうした集団に属する人々には共通の悪徳、劣等性が存在するものとされ、その集団に属する一員であるというだけで、「普通の人々」の持たない「異常性」を有した危険な存在であるとみなされる。例えば、「在日(朝鮮人)は嘘つきだ!」「あの宗教の信者は頭がおかしい!」という偏見が流布した場合、「在日である」こと自体、「ある宗教の信者である」こと自体が「嘘つき」や「頭がおかしい」ことの根拠とされてしまうのだ。こうしてメルクマール(指標)はスティグマと化す。
「在特会と大江健三郎 : ヘイトスピーチを保守は認めない」『正論』2015年1月号
「在日(朝鮮人)」であるという一つの事実を持ち出して、それが相手が劣った証拠であるかのように語る態度は、まことに野蛮な態度だ。私はこういう態度をとる人々には与することが出来ない。
だが、この「在日」というスティグマを押し付けるのが、所謂「右派」にあたるとしたら、「ネトウヨ」というスティグマを押し付けるのは、所謂「左派」だ。
自分からみたら、気に入らない保守的な言説をする人間を見つけたら、議論の内容などどうでもいいから、とにかく「ネトウヨ」のスティグマを押しつけ、それだけで、自分が優越しているかのような気分に浸る。まことに愚かである。
インターネット上の奇説、珍説のような言説だけを信じ、他者を攻撃する人間が存在するのならば、そういう人間を批判するのは、構わない。端的に言って、偽の情報に騙されやすい知性に欠損のある人物だろう。だが、保守的な主張をする人、全てがそのような人々であると言い募るのは、少なくとも事実に反する。
「あいつは在日だ」という下らないスティグマもそうだが、「あいつはネトウヨだ」という下らないスティグマを押しつける人間自体の方が、人としての常識をわきまえない人間だという事実が常識となることを願っている。少なくとも、私は日本を愛し、若干のお酒をたしなむ人間ではあるが、「ネトウヨ」ではない。