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- 2011年03月08日 17:55
アフリカ中東の民主化運動
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今後出てくる様々なニュースを解釈する時に、過去の歴史、経緯を知っておくことは重要です。
<< 複雑な歴史と地政学的ファクターが入り乱れる地域特性 >>
中東アフリカは古代史(ローマ時代)では先進国でした。特に北アフリカは、ローマに小麦を輸出する食糧基地として繁栄を極めました。
しかし、その後は先進国による植民地化と第二次世界大戦後の植民地宗主国のご都合主義による国境策定で、苦難の歴史を歩んでいます。
アフリカ中東は、イスラム教が勃興して以来、200年足らずでアラビア半島から北アフリカ、イベリア半島(スペイン・ポルトガル)、バルカン半島を武力で席巻した歴史的事実は重要です。
北アフリカは征服され、土着のアフリカ人は南に押しやられました。
それゆえアラブ人(?)とアフリカ人は別だという意識(=軽視している??)が強いと聞いています。
中東アフリカは、アフリカ大陸内でアラブ(侵略者)かアフリカ(土着)かの歴史的確執が7世紀以降続いています。その上、産油国か、非産油国かによる利害関係の違い(持てる国、持たざる国)も拡大しています。
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新興宗教イスラム教とキリスト教の流血の歴史
過去1400年にわたるイスラム教徒とキリスト教徒の武力衝突、戦争の歴史は、サッパリ水に流してなどと言う「きれいごと」にはなりません。
トルコのEU加盟にフランス、ギリシアが口では何を言おうと、絶対永遠に反対である事実は決定的に重要です。
特に、オスマン・トルコ帝国が欧州深く侵入した14世紀以降は、バルカン半島〜オーストリア(ウィーンの城壁寸前まで)の一部まで占領されました。
ユーゴスラビア、ボズニア・ヘルツェギビナ問題は、宗教と民族が複雑に絡んだ血を血で洗う泥沼の戦いですが、14世紀から続いているのです。
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特に1500年代〜1600年代は、オスマン・トルコの最盛期で、ウィーンまでイスラム勢力が攻め込んだ事件(ウィーン攻防戦)のは有名な話です。
ドラキュラ伯爵(ワラキア公ヴラド三世)で有名なトラキア地方は激戦の地であり、イスラム教徒の戦士を串刺しにして処刑したことから、現在のドラキュラ伝説が生まれたと言われています。
参考:ワラキア公ヴラド三世(ウィキペディア: ヴラド・ツェペシュ )
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宗教には妥協がありません。
特に、一神教は妥協(唯一の神でなくなる)は負けを意味します。
解決は夢でしょう
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<< 対外よりも宗教内部の宗派対立の方が根深く陰湿になる >>
アフリカ中東自体の問題は、多数派の宗派と支配層の宗派が異なる場合には、大きな武力紛争を起こします。
国によっては、少数派が国民の多数派を支配しています。
民主化による選挙が実施されると、多数派が勝利し、これまでの少数派(既得権層)は追放されます。そのプロセスは平和的でない場合が多いでしょう。
イラクでフセイン(スンニ派)追放後に起こっている混乱は、イラクで多数のシーア対スンニ(旧支配層の少数派)の根深い対立であることは既知の事実です。
宗教には妥協が存在しないので、早期解決はありえないでしょう。
今後出てくる様々なニュースを解釈する時に、過去の歴史、経緯を知っておくことは重要です。
<< 複雑な歴史と地政学的ファクターが入り乱れる地域特性 >>
中東アフリカは古代史(ローマ時代)では先進国でした。特に北アフリカは、ローマに小麦を輸出する食糧基地として繁栄を極めました。
しかし、その後は先進国による植民地化と第二次世界大戦後の植民地宗主国のご都合主義による国境策定で、苦難の歴史を歩んでいます。
アフリカ中東は、イスラム教が勃興して以来、200年足らずでアラビア半島から北アフリカ、イベリア半島(スペイン・ポルトガル)、バルカン半島を武力で席巻した歴史的事実は重要です。
北アフリカは征服され、土着のアフリカ人は南に押しやられました。
それゆえアラブ人(?)とアフリカ人は別だという意識(=軽視している??)が強いと聞いています。
中東アフリカは、アフリカ大陸内でアラブ(侵略者)かアフリカ(土着)かの歴史的確執が7世紀以降続いています。その上、産油国か、非産油国かによる利害関係の違い(持てる国、持たざる国)も拡大しています。
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新興宗教イスラム教とキリスト教の流血の歴史
過去1400年にわたるイスラム教徒とキリスト教徒の武力衝突、戦争の歴史は、サッパリ水に流してなどと言う「きれいごと」にはなりません。
トルコのEU加盟にフランス、ギリシアが口では何を言おうと、絶対永遠に反対である事実は決定的に重要です。
特に、オスマン・トルコ帝国が欧州深く侵入した14世紀以降は、バルカン半島〜オーストリア(ウィーンの城壁寸前まで)の一部まで占領されました。
ユーゴスラビア、ボズニア・ヘルツェギビナ問題は、宗教と民族が複雑に絡んだ血を血で洗う泥沼の戦いですが、14世紀から続いているのです。
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特に1500年代〜1600年代は、オスマン・トルコの最盛期で、ウィーンまでイスラム勢力が攻め込んだ事件(ウィーン攻防戦)のは有名な話です。
ドラキュラ伯爵(ワラキア公ヴラド三世)で有名なトラキア地方は激戦の地であり、イスラム教徒の戦士を串刺しにして処刑したことから、現在のドラキュラ伝説が生まれたと言われています。
参考:ワラキア公ヴラド三世(ウィキペディア: ヴラド・ツェペシュ )
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宗教には妥協がありません。
特に、一神教は妥協(唯一の神でなくなる)は負けを意味します。
解決は夢でしょう
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<< 対外よりも宗教内部の宗派対立の方が根深く陰湿になる >>
アフリカ中東自体の問題は、多数派の宗派と支配層の宗派が異なる場合には、大きな武力紛争を起こします。
国によっては、少数派が国民の多数派を支配しています。
民主化による選挙が実施されると、多数派が勝利し、これまでの少数派(既得権層)は追放されます。そのプロセスは平和的でない場合が多いでしょう。
イラクでフセイン(スンニ派)追放後に起こっている混乱は、イラクで多数のシーア対スンニ(旧支配層の少数派)の根深い対立であることは既知の事実です。
宗教には妥協が存在しないので、早期解決はありえないでしょう。



