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ピンピンコロリの長野県、長寿日本一の秘密[2]

ルポライター 山川 徹=文 プレジデント編集部=撮影(色平氏)

ある地域では当たり前のことが、よその地域では新鮮に映る。「予防は治療に勝る」を実践する長野人の暮らしぶりとは──。

【前回記事】ピンピンコロリの長野県、長寿日本一の秘密[1]

「予防」を徹底すれば医者はいらなくなる

若月俊一医師は「農村医療の父」と呼ばれた外科医である。1945年に南佐久郡臼田町(現・佐久市)の佐久総合病院に赴任した若月医師は、「農民とともに」というスローガンを掲げ、看護師や保健師とともに村々を訪ね、あぜ道で血圧を測り、健康相談に応じた。八千穂村(現・佐久穂町)では現在の健康診断のモデルになった集団健診を実施した。また、冬の寒さ対策で家のなかの一部屋は暖房を絶やさない「一部屋温室運動」を呼びかけるなど、農山村の生活改善の啓蒙も行った。

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「農村医療の父」 若月俊一医師の言葉(写真提供=佐久総合病院)

予防は治療に勝る――。

その信念を体現したのが、公衆衛生や健康をテーマにした演劇である。地域の公民館や集会所の舞台に立ったのは、医師や病院職員たちだった。娯楽を通し、住民たちに健康の知識や意識を述べ伝えていったのだ。

若月医師は著書『村で病気とたたかう』(岩波新書)で自身が手がけた演劇の脚本を紹介している。盲腸が破れてから10日も経った患者が無医村から運ばれてきた。手術は成功したが、看護師のミスで患者は肺炎を起こして亡くなる。劇のクライマックスで看護師が<わたし保健婦になって、無医村に行って、盲腸や、ほかの病気を見つけるために、予防の医学をするために働きたいと思います>と訴える。

看護師のセリフに医師が応える。<それがなくては本当の農村医療など確立できやしない。盲腸を切る医者だけじゃだめなんだ。盲腸を早く発見し、できるなら病気をあらかじめ防ぐような組織が、どの町や村にもできるようにならなくちゃだめなんだ……>

「こうした若月先生たちの健康教育が住民の生活習慣を見直すきっかけになり、結果的に県民の医療費が下がっていったんです」

長野市信州新町に立つJA長野厚生連新町病院の当直室で、内科医の色平哲郎さんは「でも」と笑った。

「『予防は治療に勝る』と若月先生がいったとき、困った医者は大勢いたと思いますよ。だって予防を徹底すれば、医者の仕事がなくなるわけですから」

色平さんが勤務する佐久総合病院も、この日当直する新町病院もJAが運営する病院である。オーナーは農民たち。みな「オラが病院」という意識を持つ。

「普通の病院なら患者さんが増えれば増えるほどお金が入るわけです。予防に力を入れて患者さんが減れば、医療機関として成り立たなくなってしまうかもしれません。でも、ぼくらは農協に雇われているわけです。我々は、ボスであり、利用者でもある農民のニーズを尊重しなければなりません」

「名医」や「ヘリ」より患者のニーズが優先

色平さんは、現在の医療は利用者の“ニーズ”を軽視して、患者の“ウォンツ(欲求)”だけに目を向けている、と指摘する。「腕のいい医師に診てほしいか」と問われれば多くの人が「はい」と応えるだろう。また医療用のヘリコプターがない地域で「必要か」と聞けば「はい」と口を揃えるに違いない。だが、そんなウォンツとは別に優先すべきニーズがあるはずだ、という。

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色平哲郎氏●1960年、神奈川県生まれ。内科医。佐久総合病院地域医療部地域ケア科医長。東京大学を中退後、世界を放浪し、医師を目指し京都大学医学部へ入学。1998年から2008年まで長野県南相木村の診療所長をつとめる。

「自身のニーズを自覚していない人もいます。そんな人から話を聞き、健康な体を維持できるよう促す。長野県では保健師たちが中心になり、何十年も住民のニーズを聞き出してきたのです」

医師が治療の専門家だとすれば、保健師は健康の専門家である。保健師たちが掘り起こした本人すら自覚していなかったニーズが、減塩運動や一部屋温室運動に繋がった。

「病気になりたくないというのはすべての人の願いですが、人はいつか必ず死を迎えます。勉強が苦手な子どもがテストを受けたくないのと同じで、健康診断を受けたくないと思う人が出てくる。しかし早めに受診したほうが病気が重くなる前に治療ができ、医療費も安くなる。ピンピンコロリに近づける。長年の啓発活動や自宅で大往生する身近な人たちを目の当たりにした結果、住民の方々が何が得なのかわかったのではないでしょうか」

佐久総合病院では患者が在宅治療か入院治療かを選択できる。色平さんの著書『大往生の条件』(角川Oneテーマ21)によれば、佐久地方では5割以上の人が在宅死を遂げているという。

家族に看取られて住み慣れた家で逝く。理想的な死に方である。親しい人や家族が在宅死で大往生したとなれば「自分もあやかりたい」と考える人も出てくる。また看護師や医師と力を合わせて看取った家族は、成し遂げたという充実感を抱く。好循環が生まれているのである。色平さんはいう。

「長野には『お互いさま』『おかげさまで』というような日本古来の感覚が残っている。農村に息づくソーシャルキャピタルがピンピンコロリを支えているといえるのです」

ソーシャルキャピタルとは、地域の繋がりや信頼、規範などを、その社会の豊かさとしてとらえた概念である。村祭りや寄り合いなどの地域行事、保健補導員や食改さんの活躍もソーシャルキャピタルのひとつだといえる。長野県の長寿が、こうしたソーシャルキャピタルに支えられたものだとすれば、少なくとも「ピンピンコロリ」を実現するために、大金を投じてメディアに登場するような“名医”に診てもらう、というのは見当違いだといえそうだ。

「なぜ長寿なのか、その答えはやはりよくわからないんですよ」と色平さんも語る。「でも、どうすれば寿命が短くなるか、医療費が高くなるかはわかります。それは、アメリカ式の医療制度にすればいいんです」。

混合診療の「解禁」は誰も幸せにしない

日本はすべての国民が医療保険で治療を受けられる「国民皆保険」だ。しかしアメリカでは無保険者が約4800万人に上る。アメリカでは臓器ごとに、またはあらかじめ決めた一部の疾病やケガに応じて民間の保険会社と契約する。すべてをカバーできる「良い」保険に加入できるのは金持ちだけ。

「TPPへの参加により、もっとも危惧されるのは混合診療の全面解禁です。アメリカ型の医療制度になる危険性がある」と色平さんは心配する。

混合診療とは、公的な健康保険を適用した診療と、医療機関が独自に価格を決める自由診療を併用した診療だ。経営が厳しい医療機関が割のいい自由診療に飛びつくのは目に見えている。すると保険診療の枠が狭まり、やがて国民皆保険が崩壊する可能性もある。

「儲けを優先させる医療機関ばかりになれば、誰も予防に取り組まなくなる。ただでさえ人手が足りない地域の医療システムが崩壊してしまうのです」

医療システムの崩壊は、地方だけの問題ではない。2025年、65歳以上の高齢者が3600万人を超す。東京に隣接する神奈川、埼玉、千葉の高齢化が著しく進む。これを色平さんは「三県問題」と命名した。しかし病院のベッド数は限られている。核家族が多いため在宅治療も限界がある。何より都市部では、農村に根付くようなソーシャルキャピタルは崩壊している。

「都市部で認知症になったらお金などの管理ができなくなり、生活が困難になる。一方、農山村では長年続いてきた人間関係の支えがあります。都市部に比べ、生活上の不都合も少ない。かつて長野には無医村が数多くあった。そんな状況で必死に工夫して築き、つくり上げたのが、地域の人間関係やネットワークを活かした予防だったのです」

病気を治すだけではなく、病気の予防を心がける。長野県の長寿を支えているのは、地域で培われた県民一人ひとりの意識なのかもしれない。

大往生のための「AKA」
・医者を(A)あてにしない
・(K)期待しない
・(A)あきらめる

病気になってから「名医」を探すのではなく、普段から予防に励むことが重要

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