記事
- 2011年04月06日 16:04
SNSの歩き方
あつまろです。
日に日にSNSのプレゼンスが高まっています。Facebookが民衆をつないで、チュニジアではベン・アリを打倒しジャスミン革命が起きました(ジャスミンはチュニジアを代表する花の名)。エジプトではムバラク政権が崩壊したことは記憶に新しいですね。普段インターネットと無縁だった多くの高齢者もこれらのニュースからFacebookなどの存在を知ることになりました。
この勢いが中東各地に飛び火して、現在ではリビアではカダフィ大佐の独裁政権体制と反政府運動との間で武力行使が行われています。
※SNS・・・ソーシャルネットワーキングサイト。人と人とのつながりや促進・サポートするコミュニケーションの場や手段を提供するサービス。本記事ではTwitterも広義のSNSとして取り扱います。
日本においては、大地震において携帯電話での連絡が利用できないときもTwitterがコミュニケーションツールとして機能し続けて、その後も災害情報連絡としての役割を、利用ユーザに知らしめることになりました。
さらにFacebookやTwitterなどのサービスを利用するハード製品として、携帯電話もスマートフォンが急速に浸透し、その役割を「電話」「メール」から、PCの代替品としての「情報端末」として変化してきています(先日会社の同僚6名とランチに行ったとき、私以外は全員がスマートフォン保有者であることにビックリしました)。
「SNSがくれたもの」
旧来、友人や知人とのコミュニケーションは場所(空間)や時間を共有することが前提でした。しかし、SNSが異なる場所、異なる時間であってもコミュニケーションを可能にしました。また電話やメールではコミュニケーションの前提が1対1とクローズだったものが、SNSは多対多のコミュニケーションを容易にしました。
また、SNSは自分が興味を持つジャンルに対して、新たな出会いやコミュニティへの参加を可能としました。例えば私の場合、Twitterで投資という共通項で多くの人と緩やかな繋がりを持つことができました。従来では、投資に興味を持っていても既に知人や友人の中から同じ興味を持つ人を探すという地道な活動でしたが、Twitterが新たな人的繋がりの機会を提供してくれました。
SNSは友人・知人との関係性を維持・強化すること貢献し、新たな人的ネットワークを構築に貢献するツールなのです。
「SNSは万能でない」
「1.暴力装置」
人間は共感・共鳴する生き物です。ある一人の投げかけた声に他の誰かが共感してこだま(反響)する。反響が反響を呼び、膨張し、いつしか大きなうねりとなります。そうなってくると異なる意見は攻撃されて排除される恐れが生まれます。下手をするとコミュニケーションの暴力装置に変化する可能性を秘めているのです。ジャスミン革命やエジプト革命も人々の声が声を呼び、行動に掻き立てた側面はあります。
「2.ネット世界でしか住めない人々」
近年『無縁社会』というキーワードを見聞きする機会が増えました。誰とも話さず、家に引きこもってる人も、インターネットの世界でつながりを持っていたりします。ネットでは顔をあわせて、目をみて話す必要もなく、現実の対面と比べて気楽だったりします。無縁社会と言われていても、意外と縁はあるものです。
しかし、現実よりもネットの方が居心地がよくて、いつしかネットでしか自分の居場所を見いだせない人も出てきます(既に存在しています)。ネットでビジネスをやって稼いで生活できているなら、それはそれで一つの生き方として否定はしないのですが、やっぱり人と接する機会が極端に少ないと寂しい感じがします。
「3.堕落世界(ワールド)」
おしゃべりすることの心地良さ。SNSで人とつながることへの志向から、現在自分がすべきことを見失い、時間だけがただ過ぎることがあります。その時間を読書して過ごせば発見があったかもしれない。自分と向きあう時間がとれたかもしれない。学習していけば技能が身についたかもしれない。スポーツしていたら心身が健康になったかもしれない。友人に夕食を誘っていたらもっと深い付き合いができたかもしれない。SNSは堕落ワールドの入り口です。時が過ぎていくだけで、あとは何も残らない、そんなことになる恐れがあります。
「4.SNS参加への強迫観念」
SNSでのコミュニケーションに相容れないという人も多いと思います。FacebookでもmixiでもTwitterでもよいのですが、アカウントはあるものの、ログインしていないという人も多いでしょう。時に知人や友人が使いこなしたりしているのを見て、乗り遅れてるような感覚に襲われるかもしれません。ひょっとしたら、乗り気でなくても皆がやってるからという強迫観念からSNSへ参加してる人もいるかもしれません。
「SNSの歩き方」
学生時代の友人、仕事仲間、恋人、家族。自分が大事と思える人がいて、コミュニケーションをとることができて問題だと思わなければ、SNSと関わる必要はありません。SNSは、ただコミュニケーションの選択肢の一つなだけです。
一方で、どんな世界が広がってるのだろう?という好奇心から覗いてみるというのも素敵なことだと思います。知らない世界に踏み出すときのメンドーな感じがあるかもしれませんが、現実世界と違ってネット世界はハードルがとても低いので、まずは一歩踏み出して覗いてみるとそこから世界が広がるかもしれません。
私たちは多くの選択肢を持っています。どれを選択するのも本人の自由です。街を散歩するのと一緒で、ふらりとカフェに入るようにSNSに入るもよし、入らないもよし。自分が好きな道を行けばいいんですね。
日に日にSNSのプレゼンスが高まっています。Facebookが民衆をつないで、チュニジアではベン・アリを打倒しジャスミン革命が起きました(ジャスミンはチュニジアを代表する花の名)。エジプトではムバラク政権が崩壊したことは記憶に新しいですね。普段インターネットと無縁だった多くの高齢者もこれらのニュースからFacebookなどの存在を知ることになりました。
この勢いが中東各地に飛び火して、現在ではリビアではカダフィ大佐の独裁政権体制と反政府運動との間で武力行使が行われています。
※SNS・・・ソーシャルネットワーキングサイト。人と人とのつながりや促進・サポートするコミュニケーションの場や手段を提供するサービス。本記事ではTwitterも広義のSNSとして取り扱います。
日本においては、大地震において携帯電話での連絡が利用できないときもTwitterがコミュニケーションツールとして機能し続けて、その後も災害情報連絡としての役割を、利用ユーザに知らしめることになりました。
さらにFacebookやTwitterなどのサービスを利用するハード製品として、携帯電話もスマートフォンが急速に浸透し、その役割を「電話」「メール」から、PCの代替品としての「情報端末」として変化してきています(先日会社の同僚6名とランチに行ったとき、私以外は全員がスマートフォン保有者であることにビックリしました)。
「SNSがくれたもの」
旧来、友人や知人とのコミュニケーションは場所(空間)や時間を共有することが前提でした。しかし、SNSが異なる場所、異なる時間であってもコミュニケーションを可能にしました。また電話やメールではコミュニケーションの前提が1対1とクローズだったものが、SNSは多対多のコミュニケーションを容易にしました。
また、SNSは自分が興味を持つジャンルに対して、新たな出会いやコミュニティへの参加を可能としました。例えば私の場合、Twitterで投資という共通項で多くの人と緩やかな繋がりを持つことができました。従来では、投資に興味を持っていても既に知人や友人の中から同じ興味を持つ人を探すという地道な活動でしたが、Twitterが新たな人的繋がりの機会を提供してくれました。
SNSは友人・知人との関係性を維持・強化すること貢献し、新たな人的ネットワークを構築に貢献するツールなのです。
「SNSは万能でない」
「1.暴力装置」
人間は共感・共鳴する生き物です。ある一人の投げかけた声に他の誰かが共感してこだま(反響)する。反響が反響を呼び、膨張し、いつしか大きなうねりとなります。そうなってくると異なる意見は攻撃されて排除される恐れが生まれます。下手をするとコミュニケーションの暴力装置に変化する可能性を秘めているのです。ジャスミン革命やエジプト革命も人々の声が声を呼び、行動に掻き立てた側面はあります。
「2.ネット世界でしか住めない人々」
近年『無縁社会』というキーワードを見聞きする機会が増えました。誰とも話さず、家に引きこもってる人も、インターネットの世界でつながりを持っていたりします。ネットでは顔をあわせて、目をみて話す必要もなく、現実の対面と比べて気楽だったりします。無縁社会と言われていても、意外と縁はあるものです。
しかし、現実よりもネットの方が居心地がよくて、いつしかネットでしか自分の居場所を見いだせない人も出てきます(既に存在しています)。ネットでビジネスをやって稼いで生活できているなら、それはそれで一つの生き方として否定はしないのですが、やっぱり人と接する機会が極端に少ないと寂しい感じがします。
「3.堕落世界(ワールド)」
おしゃべりすることの心地良さ。SNSで人とつながることへの志向から、現在自分がすべきことを見失い、時間だけがただ過ぎることがあります。その時間を読書して過ごせば発見があったかもしれない。自分と向きあう時間がとれたかもしれない。学習していけば技能が身についたかもしれない。スポーツしていたら心身が健康になったかもしれない。友人に夕食を誘っていたらもっと深い付き合いができたかもしれない。SNSは堕落ワールドの入り口です。時が過ぎていくだけで、あとは何も残らない、そんなことになる恐れがあります。
「4.SNS参加への強迫観念」
SNSでのコミュニケーションに相容れないという人も多いと思います。FacebookでもmixiでもTwitterでもよいのですが、アカウントはあるものの、ログインしていないという人も多いでしょう。時に知人や友人が使いこなしたりしているのを見て、乗り遅れてるような感覚に襲われるかもしれません。ひょっとしたら、乗り気でなくても皆がやってるからという強迫観念からSNSへ参加してる人もいるかもしれません。
「SNSの歩き方」
学生時代の友人、仕事仲間、恋人、家族。自分が大事と思える人がいて、コミュニケーションをとることができて問題だと思わなければ、SNSと関わる必要はありません。SNSは、ただコミュニケーションの選択肢の一つなだけです。
一方で、どんな世界が広がってるのだろう?という好奇心から覗いてみるというのも素敵なことだと思います。知らない世界に踏み出すときのメンドーな感じがあるかもしれませんが、現実世界と違ってネット世界はハードルがとても低いので、まずは一歩踏み出して覗いてみるとそこから世界が広がるかもしれません。
私たちは多くの選択肢を持っています。どれを選択するのも本人の自由です。街を散歩するのと一緒で、ふらりとカフェに入るようにSNSに入るもよし、入らないもよし。自分が好きな道を行けばいいんですね。



