記事

達人10人が選ぶ 教養力増強ブックガイド〜野口悠紀雄の三冊

エコノミスト

挑戦なしに成長はない

 一五一九年九月二〇日、マゼラン(フェルナン・デ・マガリャインス)率いる五隻の船が、スペインのサンルーカル・デ・バラメーダを出港した。目的は、西回りで香料諸島に達する航路を発見すること。しかし、そのような航路が実際に存在するのかどうか、確たる根拠は何もなかった。

 この無謀な航海の動機は何だったのか? 科学的探究でもないし、キリスト教の布教でもない。『マゼラン・アメリゴ』(シュテファン・ツヴァイク著、みすず書房)の冒頭にある言葉「始めに香辛料ありき」が、その答えだ。商業的利益の獲得が目的だったのである。

 「大航海」とは、イスラムの領土を通らずに東方貿易を行なえる方法の探索だった。この時代以降、イタリア都市国家によって独占されていた東方貿易にスペインとポルトガルが参入し、思いもかけずに「発見」した新大陸によって、ヨーロッパが世界を制覇する時代が訪れることになった。

 両国成功の原因は、きわめて大きなリスクに挑戦したことだ。ツヴァイクのこの名作は、海峡発見への航海という感動的な物語を通じて、このことを教えてくれる。

 いまの日本にもっとも欠けているのが、リスク挑戦の精神と、それを支える社会構造だ。成長戦略が必要というが、誰もリスクを取ろうとしない社会で、成長が実現するはずはない。

 大航海の成功を通じて、スペインとポルトガルは空前の繁栄を手にした。しかし、栄華は続かず、イングランドとオランダという新興国が代わって台頭した。

G・ハバード、T・ケイン『なぜ大国は衰退するのか』(日本経済新聞出版社)
G・ハバード、T・ケイン『なぜ大国は衰退するのか』
(日本経済新聞出版社)
 なぜ覇権国が交代したのか? いくつもの説があるが、私がもっとも納得できる考えは、経済学者が書いた歴史書に示されている。近刊では『なぜ大国は衰退するのか』(グレン・ハバード、ティム・ケイン著、日本経済新聞出版社)だ。

 同書によれば、大航海時代に先頭を切ったスペインは、新天地を略奪するだけで、新しい産業を築けなかった。世界最大の銀鉱脈をペルーに見出し、貨幣が大量に増えたにもかかわらず、近代的な科学・技術の発展や生産性の向上に結びつけられなかったのだ。

 同書は、さまざまな国家の栄枯盛衰を分析している。

 例えば、ローマ帝国はなぜ衰退したのか? これも「歴史家の数ほど説がある」と言われる問題だが、「通貨改悪、つまり、通貨価値の切り下げにしか解決策を求めなかったことにある」と同書は指摘する。普通のローマ史では賢帝と言われる皇帝たちの時代において、衰退が進行していた。

 実体経済の生産性を向上させられなかった国は、いずれは衰退する。スペインやローマの歴史は、金融緩和と円安だけで株高が進行するいまの日本が、将来辿るはずの道を示している。

ソ連は特異点か

 『スターリン』(サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ著、白水社)は、スターリン時代の戦慄すべきソ連社会を詳細に描いている。この国では、国民一般や戦場の兵士たちが地獄をさまよっていただけでなく、クレムリンの最高権力者たちも、密告と粛清におびえる日々を過ごしていた。ソ連のような国は、人類の歴史における特異点だろうか? 私はそうではないと思う。冷静に考えればありえない社会が、現実に存在した。その事実こそが重要である。存在しただけでなく、ある時期まで、労働者の天国というイメージを外国にむけて発信することができた。もしソ連の実情が知られていたら、戦後世界史は大きく違うものになっていただろう。日本でも、「進歩的文化人」と呼ばれた人々が存在する余地などありえなかったに違いない。

 いまの時代でも、ソ連的社会が再現する可能性は決して否定できない。粛清というあからさまな方法は、インターネットで情報が全世界に伝わる現代社会では、考えられない。だが、もっと巧妙な方法によって、体制批判者が緩慢な社会的死に追い込まれる社会は、十分に考えられる。それを防げるかは、メディアがその危険を自覚するかどうかにかかっている。

のぐち ゆきお 1940年生まれ。早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問、一橋大学名誉教授。『「超」整理法』『1940年体制』『金融政策の死』『数字は武器になる』など著書多数。野口悠紀雄online

永久保存版 教養で勝つ 大世界史講義

◎日本人よ、世界史で武装せよ ドローン、宗教戦争、そして核の脅威──「分析不能」の現代を読み抜く 池上彰×佐藤優

●世界史から何を学ぶか 野田宣雄/カエサルはなぜ殺された? 佐々木毅/ローマ帝国滅亡の真犯人 本村凌二/どうして釈迦は仏教を開いたか 呉智英/考古学でわかったイエスの正体 長谷川修一/預言者ムハンマドのリーダーシップ 山内昌之/ムスリム商人が作った中世グローバル経済 宮崎正勝/史上最強帝国モンゴル支配力の秘密 杉山正明/ルネサンスは魔術の最盛期 樺山紘一/コロンブス 野望と空想の海へ 増田義郎/ウェストファリア条約「宗教戦争」の終わらせ方 佐藤健志/人口減がニュートン、ライプニッツを生んだ 柳谷晃/国際比較江戸期日本が超平等社会だった理由 斎藤修/フランス革命が明かす「暴力」と国家の真実 萱野稔人/ナポレオンはなぜ強かったのか 鹿島茂/ヨーロッパ覇権競争 勝者の条件 玉木俊明/なぜイギリスで産業革命が始まったか 中野剛志/アヘン戦争 大清帝国vs.大英帝国 平野聡/南北戦争は世界初の「総力戦」だった 阿川尚之/三つの世界大戦を戦った男チャーチル 中西輝政/独裁の秘術 ヒトラー・スターリン・毛沢東 福田和也/「イスラム国」指導者の歴史観 浅川芳裕/ヒラリーの試練 米国覇権は崩壊するか 三浦瑠麗

◎達人10人が選ぶ 教養力増強ブックガイド
野口悠紀雄 ヤマザキマリ 成毛眞 鈴木敏夫 松原隆一郎 浜矩子 橋爪大三郎 高島俊男 新将命 佐伯啓思

◎白熱座談会 黒船が来た! 日米中衝突の宿命 世界史の中の幕末明治 半藤一利×船橋洋一×出口治明×渡辺惣樹

◎カタヤマ教授、世界史入試問題を解く 片山杜秀 ◎ビジネスに効く「2500年」年表 東谷暁



文藝春秋 (2015-05-26)
売り上げランキング: 26,586

あわせて読みたい

「書評」の記事一覧へ

トピックス

  1. 一覧を見る

ランキング

  1. 1

    コロナ対策は菅内閣にも直結 東京の新規感染者数が5000人超えなら菅内閣はもたない

    田原総一朗

    07月28日 14:43

  2. 2

    東京3000人は五輪強行開催によるモラル崩壊の証。もう誰も自粛しない

    かさこ

    07月28日 08:46

  3. 3

    西村大臣の酒類販売事業者への要請撤回 首相官邸の独断に官僚からも疑問の声

    舛添要一

    07月28日 08:34

  4. 4

    「きれいごとだけでは稼げない」週刊文春が不倫報道をやめない本当の理由

    PRESIDENT Online

    07月28日 12:30

  5. 5

    上司も部下も知っておきたい 「1on1」を機能させるためのコツ

    ミナベトモミ

    07月28日 12:00

  6. 6

    テスラのマスク氏、豪邸売払い、500万円の狭小住宅暮らし!

    島田範正

    07月28日 15:45

  7. 7

    「インチキはいつか必ずバレる」熱海土石流は人災か

    毒蝮三太夫

    07月29日 08:08

  8. 8

    ロッキンは中止する必要があったのか?〜7 /8の議院運営委員会で西村大臣に質疑を行いました〜

    山田太郎

    07月28日 09:58

  9. 9

    逮捕されても臆することなく、取材を続けよう〜田原総一朗インタビュー

    田原総一朗

    07月28日 08:07

  10. 10

    立憲民主党・本多平直議員は「詰腹」を切らされたのか?近代政党のガバナンスにおける危機感

    音喜多 駿(参議院議員 / 東京都選挙区)

    07月28日 09:53

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。