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続・伝説のテレビマン・井原高忠氏の金言

これは前回、意外に大きな反響があった「井原高忠氏の金言」のパート2である。テレビ創生期、井原氏は度々アメリカに渡って、ショービジネス・エンターテイメントの真髄を研究し、日本にローカライズ化した。1953年、まだ、敗戦のにおいが色濃く残る暗く貧しかった日本で日本テレビは開局した。井原さんは入社後八面六臂の大活躍をしたが、しばらくして何か閉塞感を感じ、上司を口八丁手八丁で口説き旅費を捻出し最先端のNY・LAでエンターテイメントを研究し、山の様な書き込み・スケッチをしたノートと膨大な写真を持ち帰り、その方法論を日本に導入した。今でいえばスタンフォード大やMITで研究者が最先端に触れていたのと同じ事である。

そして、私は現在、井原さんほど探究心に溢れ、物の本質を掴めて、新しいモノを求め、徹底的に手を抜かない仕事人であるテレビマンは日本に存在するのか?とも思うのだ。「テレビが面白くなくなった。」と巷間伝えられる度に、井原さんほどのテレビマンが現在存在しないからではないか?と思うことがある。テレビが面白い・面白くない等と言う問題は結局、コンテンツを作る人の問題なのだ。現在、テレビ業界はそういう人を探して来たり、本気で育てているのか?そう問いたくなる。

今の世の中、ちょっと話題になった番組を作ったと言うだけで調子に乗ってしまうテレビマンもいるだろう。前回、井原さんが言ったとおり、この業界では「周りに、ちやほやされて感違いするバカ」が生まれやすい。そういうバカとバカに任せている人達がテレビを面白くなさせていると思う。

井原さんはグッチのモカシンを履き、ジバンシーのシャツを着た洒落た粋人であったが、同時に徹頭徹尾、仕事人であった。ショービジネスの表面だけを真似するのではなく、バックステージ・劇場の構造や仕組み・セットの動かし方・照明方法・台本の作り方も研究してきた。そして今、果たして「アメリカ・イギリスに1年ほどエンターテイメントの勉強に行きたい。」などと上司に申し出る野心と好奇心のある若者はいるのであろうか?また会社は組織としてそれを受け入れる様な制度を考えているのだろうか?

パート2では「元祖テレビ屋大奮戦」(1983年刊・井原高忠著・文藝春秋社・現在廃刊)の冒頭の示唆に富む文章を一部編集しご紹介する。

「僕にとって、テレビ番組を作るってのは、最大のホビー(趣味)だったわけです。酒も飲まない、煙草も喫わない、ゴルフもしない、ナイトクラブも行かない、麻雀もしない。大体ああいうものは仕事の憂さ晴らしでしょ。仕事のストレスを解消したりするための。でも、僕にとってはテレビを作るのが最大のホビーだったから憂さを晴らすも、へったくれもない。いつも晴れっぱなしなんだから。

テレビってのは、一に出るもの、二に作るもの、三、四がなくて、五に見るものだ、と僕はいつも言っているんです。出るのがいちばんいい。出るとお金くれるじゃない。次に作るの。これはともかく自分が27年テレビ経験して、こんなに面白いことはなかった。ただし、出るよりはるかにお金にならないという意味で2番目。

・・・で。テレビ番組というもの。これは、こんなつまんないものを見る人の気が知れない。僕はテレビって本当に見ません。タダでひねって出てくるものにそんないいものがあるわけない。これは僕一流のパラドックス(逆説)ですけれどもね。やっぱり平均化されているものだから、誰の趣味嗜好にもぴったり重ならない。どっかで妥協してもらわないと。だから本当に好きなものは、演劇だろうと、映画だろうと、シンフォニーだろうと、オペラだろうと、歌舞伎だろうと、落語だろうと、絶対自分で金を払って行くべきものですね。テレビみたいに、(NHKは金取りますが)タダでピッと押したりしたりして出て来るものに、それだけ100%満足させられるわけがない。

日本人て真面目なのかバカなのか知らないけど、よく『テレビを見て勉強する』って言うでしょう。僕に言わせりゃ、ただひねって勉強しようってのは図々しいよね。勉強ってのは月謝を払ってするものだから。テレビに期待しちゃいけないんですよ。見る側が。

たとえばテレビでかわい子ちゃん歌手ブームってのが、ありましたね。山口百恵・桜田淳子・森昌子からピンクレディーまで。これは新人タレント発掘番組『スター誕生!』とかで、まったく僕らのやった仕掛けで、僕らが今のアイドル乱発の元凶なんだけど、子供達やティーンを大量にテレビスターに育てた。そうすると世の中にはまたバカなのがいっぱいいてね、テレビであんなにロクに歌も歌えないのを、歌手だといって売るのはけしからんなんて言っている。僕に言わせれば、そんなのよけいなお世話でね。しわくちゃのばばあや、よぼよぼのじじいがいくらうまくたって、そんなものテレビで年中写して面白いか、ってうのが僕のテレビ屋としての考え方なんです。いい歌が聞きたい人は、お金をだしてそれを劇場やコンサートホールに聞きに行けばいいの。

ただそうは言ってもテレビってメディアは使いようによっては本当に恐ろしいですよ。僕が局長の時に始めた『24時間テレビ』。あれは一晩やっただけで十数億集まってしまったわけだ。子供たちが、欽ちゃんの魅力にひかれてコーラの瓶に、10円とか100円玉とか入れたのを持ってきて十数億ですからね。そうとうな恐ろしさですよ。

そのほか、スプーン曲げの超能力者ユリ・ゲラーなんてのもあったけど、あの人は確かにある特殊な能力は持ってます。でも、カメラの前で『はい、超能力お願いします』っていったて、急にその能力がでるわけでないから、そのへんは手品が出てくるわけだ。そうすると本物の手品師まで出してきて暴き立て『週刊朝日』まで大騒ぎする。バカの寄り合いみたいなもんだね、これも。

僕が思うに、テレビっていうのは縁日の夜店なのよ。そうすると、中には変な見世物とか、安直なものがいっぱいある。それも全部インチキ。『大イタチ』とか書いてある小屋に入ると、大きな板に血が塗ってあって、それを大イタチとかね。おどろおどろしいものだけど非常にインチキ。テレビっていうのは本質的にそういうもんですよ。

ところで、テレビも30年もたつと、だんだんいいカッコ付けたくなるのね。とくにテレビ局の偉い人達は、夜店の縁日じゃなくて国立劇場にしたがる。本物のエンターテイメントを見せられれば、非常に結構な事だけど、でもそうは言っても、今のところ、中身は縁日の夜店なんだ。国立劇場で大イタチや金魚すくいを見せているって言うことになっちゃう。

これはどうしてかって言うと、日本にはショービジネス・エンターテイメントと言うものの基礎がないし、また、人を育てていないからね。ビジネスだったら、商品を開発するのに、色んな角度から研究するでしょう。たとえ電球一個作るにも。そうした試作、研究を重ねた上でビジネスにするから、定価がいくらって売り出せるわけでしょう。

テレビで言えば、アメリカは制作会社がパイロット版(試作番組)というのを、お金と時間と才能をかけて作るわけ。例えば、あの『セサミストリート』(人形劇番組)でも世に出るまでにだって、何百万ドルっていうお金が使われているんですよ、その準備段階で。

ところが、日本の場合は予算も付かないからパイロットも作れず「企画書」と称して紙っぺらを作ってスポンサーの所に行くわけでしょう。そういうやり方では、番組が本当の商品だとは言えないと思うのね。

アメリカでは、ショー・ビジネスというのは、ひとさまに夢を与える非常に大事な仕事だと言う認識がある。キャスト・スタッフに最大の敬意が払われている。つまり時間・お金・才能、この三つがショー・ビジネスには絶対必要な前提だと思う。

でも、そういう前提を全部すっ飛ばしているところに、日本のショービジネスのさきゆきの暗さがあって、それがとてもいやなんですよね。

参考までにアメリカのショー・ビジネスの歴史は、まず、100年以上前に、ヨーロッパからオペレッタとか、そう言う類のものが人間と一緒に新大陸アメリカにやって来た。そこにルーツがある。東海岸のNY・ブロードウエイから西海岸のLAに行ってハリウッドで映画の華がひらいたわけです。20年代にラジオが出て来て40年代にテレビが出る。

戦後日本はアメリカから輸入したんだけど、そのとき基礎的な根っこの部分は輸入しないで、上に生えている花だけを持って来た。その基礎とは何かと言えば、さっき言ったお金・時間・才能に尽きると思うんです。ところが日本のショー・ビジネスは「時間が無いからあさってまでにお願いします」とか「予算がないので今回は泣いて下さい」とかでしょ。その上、勉強不足のバカの寄り合いみたいなのが作るわけだから。これはテレビだけでなく全てのエンターテイメントにあてはまるわけです。あの優秀でビジネスが上手いの浅利慶太さんの「劇団四季」でさえ、おそらくみんなが満足するほどのペイメントはできてないと思います。

僕はどこかで誰かが儲けて、誰かが泣いている状態っていうのがいやなんだ。「自分が好きでやってるんじゃないか」と雇った側がスタッフや演者に言っても、払うものは払わなくちゃ、アマチュアにすぎないと思うんだ。日本ではビジネスの基礎とか、そういうことがないがしろにされていて、僕はほんとうにいやな思いをするんです。

僕は金・才能・時間をつぎ込んだアメリカの物を、咀嚼して、自分のものにして、ローカライズする能力があれば、日本で貧弱でつまらないモノやっているよりよっぽど合理的で効率的だと思った。或る人は、井原はいばっとるが、あれは全部、アメリカの模倣じゃないかって言うのね。まさにその通り、オレが自分でそう言っているんだから、確かだね。 公言しているのにバカな評論家が、まだそんなこと言ってるんだね。だいたい評論家なんて、だいたいバカだから、何言ったていいんだけどね。」

相変わらずの井原節。でもこの冒頭の前文には「日本のテレビ・エンターテイメント、ショービジネスが質的向上を遂げてほしい。」という井原さんの隠れた強い思いが横たわっていると思う。実際に実績をあげた、ビジネスとしてのテレビを知り尽くして来た男の放言だと思う。実は井原さんは戦前戦後の映画も一冊の本が書けるぐらいに見ていた。本人は本文の中で「模倣した」と言っているが、「コピー」や「パクり」ではなかったと思う。アメリカのショー・ビジネスの原理を研究し応用し使用したのだ。しかも、日本で受けないと思うものは絶対にやらなかった。

アメリカかぶれに見られる井原さんだが当時エンターテイメントの頂点は確実にアメリカにあった。しかし、最近聞いたのだが、ある大物タレントさんに言わせると「日本の番組が一番面白い。」ということになる。しかし私など世界のテレビを見ることのできた立場にあった人間は日本はまだまだ「エンターテイメント・辺境の地」でドメスティックカルチャーで、アメリカやイギリスの底力を実感を持って見てしまったので、このひらきに空恐ろしくなることがある。

日本のドラマ班の人間など、ハリウッドの連続ドラマの高度な台本の作り方等を学びに行くだけでも度肝を抜かれるだろうと確信する。あるいは韓国ドラマの制作過程の研究なども日本と根本的に違うので、新風を吹き込めるかもしれない。でも、現状ではこういうプランを考えるだけでもアウトサイダーになってしまう可能性があり、半ば共同体化している日本のドラマ班では難しいのかもしれない。日本のテレビドラマには今、革新が必要だと思うのだが。

実は、告白するが、不肖、私はレベルは違うが、井原高忠氏のやり方を模倣している。月曜夜8時放送の「世界まる見え!テレビ特捜部」を25年前に企画したとき、「番組を当てたい」という気持ちはもちろんあったが、むしろ、こんな下ごころがあった。「この企画が通れば会社の経費で堂々と世界のテレビ局・制作会社・スタジオを見学できる。各国にテレビ・映像人脈もできる。それに米英を含む世界中のあらゆるテレビ番組が見れる。いつかそれを参考にまた新しい番組を企画出来る。」と目論んでいた。

『海外で勉強したい。』そこには井原さんの影響が確実にあった。おかげで世界10カ国・34か所のテレビ局・スタジオ・プロダクションを訪ねることが出来た。自分の中にコント・リアリティショーからドキュメンタリーまで様々なテレビジャンル・企画の引き出しが出来た。こうした欲求を持ったのも全て井原さんの影響であった。
「どうせ一度のテレビ人生、面白おかしく一生懸命働いて、いい番組作った方が勝ちですよ。自分も幸せ、見てる人も幸せ。これが出来れば最高。・・・もちろんテレビ屋は当てないと厄介だから、会社に迷惑かけない程度に当てないと、次にお声がかからなくなりますから、その点はお気をつけて。」・・・と井原さんがお墓に下から静かに言っている様な気がする。(了)

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