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槇原敬之「Appreciation」の歌詞が問いかけるもの

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いわゆる槇原敬之の「Appreciation」という曲が「原発擁護」「いやそうではない」といった形でいくつかの議論があり、それを通じて感じたことなどを書いてみることにする。

もっとも、自分は同氏の曲をそれほど知っている訳でもないし、特段ファンという訳でもなく、勝手な忖度を投影してのものであることを予め含み置き頂きたい。
 

■歌詞の内容が指すもの

壊れた原子炉よりも

手に負えないのはきっと
当たり前という気持ちに
汚染された僕らの心
ほら「有り難う」も言えない
これが批判される歌詞の一部である。これを文字通り読むならば、「手に負えない」ものは「よりも」という表現によって「壊れた原子炉」をも含むもの、として捉えることはできるだろう。問題になるのはこの5行の最後の部分、「有り難う」が指す先が何なのか、という点。

これを「原発」と読むことは当然できない訳ではないが(何しろ明示されていないのだから)、「手に負えない」ものとして「壊れた原子炉」を含むと解釈すれば、「有り難う」の先が「原発」であるとは素直には考え難い面もある。
むしろ、この曲において主要なテーマとなるのは、実は「壊れた原子炉」ではなく、「当たり前という気持ちに汚染された僕らの心」ということにあるのではないだろうか。
失ったものは全て

当たり前に思って
それがあることの喜びを
感じずにいたもの
このまま感謝できない
僕らのままでいたなら
もっと多くを失う時が

来るのは確かだろう
歌詞の別の部分であるここにもそれは集約されている。曲の冒頭は電車や家庭内での照明を明示するなど、「原子炉」を直接表現していることからも、この曲が見据えているものが現在の「原発」を巡る諸相にあることは間違いない。それは事実だろう。
しかし、この曲が一方で繰り返しモチーフとしているのは「失われた“日常”」であることも事実と言える。
この時、たとえば忌野清志郎やブルーハーツのいわゆる「反原発ソング」のような、直截的批判とは異なる、もっと別の相が見えてくるように思えてならない。

忌野清志郎やブルーハーツの歌詞に表れる「原発」というのは、とにかく「放射能」は危険であり不要であり、またそこに少なからぬ「利権」の影があるものである。これはこれでメッセージとして当然あるべき姿の一つではあるだろう。
しかし、一方でこれらの曲からは、「被害を蒙れば全て終わりだ」とでも言うべき(そしてそれは一面では正しくもあるのだが)メッセージ性をも受け取ることができる。だからこそそのメッセージは強いものとして、多くの人がそれを受容したのであろう。
 
それではこの「Appreciation」という曲の歌詞にそれがあるのか。無いのである。例えば忌野清志郎「ラブ・ミー・テンダー」に描かれる、「放射能に汚染された牛乳」(実際の歌詞は「放射能はいらねぇ 牛乳を飲みてぇ」である)も出てこなければ、ブルーハーツの「チェルノブイリ」のように「行きたくねぇ」場としての「チェルノブイリ」のようなものも出てこない。この曲で歌われるのは、少なくとも「3.11」以前はそれが「当たり前」であって誰も意識しない「日常」そのものだ。先に挙げた歌詞もそれを意味している。

実際問題、現実としてこの「日常」を最大に喪失してしまったのは他ならない「福島原発」周辺の人間であり、「飲みたくない」「行きたくない」と歌われる、その「場」そのものに住んでいる(住んでいた)人である。
それに対して、自分は他の「反原発ソング」と呼ばれるものには無い、「当事者」としての「福島原発」周辺の人間を想起せずにはいられない。加えて、「手に負えない」「壊れた原発」と悪戦苦闘しているのもまた、「当事者」としての「作業員」に他ならない。東電幹部や国の不作為によって、いわゆる「原発ジプシー」と呼ばれる存在がいることは過去に発刊されているルポタージュなどでも明らかにされている。今回の高レベル放射線エリアで作業に従事する人々もまた、通常運転時における「原発ジプシー」とは比にならない「当事者」として、また「日常」を奪われた人であるはずだ。

もちろんこれらの事実は、それを「生贄」とすることを求めるべきではないし、それに「感謝(=Appreciation)」することは、一方ではその「賛美」を生み「生贄」化しかねない危険はあるが、それでもなお、「3.11」以前に「当たり前」に供給される「電力」を担い、残念ながら具現化してしまったその危険と共に生活を送ってきた数多の「住民」「従事者」に対して、それを「当たり前」であるが故に「意識せずに過ごしてきた」のは誰だったのか。それは「当たり前という気持ちに汚染された僕らの心」ではなかったか。このとき、「有り難う」は他ならない、これらの当事者に対して向けられるべき言葉となるのではないだろうか。
 
この「Appreciation」という言葉の持つ意味。
それは「感謝」であると同時に「正しい認識、理解」でもある。
「感謝」が「当たり前」であれば生まれないことであると同時に、それは「当たり前」という意識そのものが「正しい認識、理解」を阻害してはいないだろうか。

単純に「感謝」を求めるものだけであるならば、もっと解り易く馴染みもある「thanks」や「gratitude」という言葉でも良かったはずである。しかし、この解り易い言葉には「Appreciation」に含まれる「認識、理解」という意味合いは含まれない。
度々繰り返される「失ったものは全て 当たり前に思って」という歌詞に含まれる「日常」の意味合いを考えた時、果たしてこの用語を曲のタイトルに持ってきた意図を、全くこのことなしに彼がタイトル付けを行ったとは、自分には思えない。そういった歌詞ではないのだから。

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