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- 2011年02月23日 18:37
植民地支配は現代において「価値中立」では有り得ない
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「国を守るという意味」というアゴラの駄文(そう、あれは駄文でしかない)に対するブコメの中で、一際気になったものがあったので、それに対して突っ込んでみた。
これは、「応答」における「厚生が向上してみんなが幸せになるんだったら、植民地支配もオッケーなんじゃないのかなあと。(仮にチベットが解放されて、独立国家ができたとして、援助がないと延命できない低開発国がまた一つ生まれるだけじゃないかな。)」という発言によって補強することはできると考える。(それにしても、過去の正当化はいざ知らず、現在進行形の仮定として留保条件付きとはいえ「オッケー」と言う人もいるのだなぁ、と面喰った)
ここでチベットを持ち出すところがまた凄いな、とは思うのだが、少なくともチベットは7世紀の古王朝時代から1950年の人民解放軍による「解放」まで1000年以上一貫して独立を保ってきた地域(国)であり、チベットが再独立を果たしたとして、それで「援助」が無ければ存続もし得ないような状況になっているとしたら、それこそ地元の経済を根本から破壊したからに他ならないだろう(その他に中華民族の大量流入という問題は存在する。これは意識的に行われている『植民』と言えるだろう)。
さて、本論に入ろう。
「応答」においてy-mat2006氏は「植民地支配は(略)、それ自体は価値観としては中立じゃないのかなあと思ったりする」と述べているが、国連決議1514第15号、通称「植民地独立付与宣言」が何を指摘しているのかを御存じ無いと思われる。
同決議において第2項で「すべての人々には自決権があり、その権利によって、自由に自らの政治的な地位を決め、自由に自らの経済的・社会的・文化的な開発を遂行することを得る。」と規定されている。
この「自らの政治的な地位を決め〜」の件は、一見「自ら望めば植民地化も認めらる」ように読むことも単体では可能だが、そもそもこの決議は「単独での主権独立国家」「独立国家との自由な連合」「独立国家への統合」といういずれかをもって合法としている。このいずれも「植民地」としての存在を否定しているため、第2項で植民地を容認することはできない。仮に日本が中国と「自由な連合」または「統合」を選らんだ場合、それは「植民地ではない」のであり、いずれも「植民地」の用語は当てることは不適当である。植民地が「自らに政治的自決権を与えない」存在である以上、国連決議によって「否定」されているのであり、「価値中立」では有り得ない。「搾取」「疎外」と言った言葉を持ち出すまでも無い。
元文 id:y-mat2006氏
国士さまとか自称・リアリストさまとかが噴きあがりそうな挑発的なエントリ。/中央銀行の仕事のベクトルを考えると、中国に支配された方が国民は今よりも幸せになる可能性は否定できない。
疑問(自分)そうしたところ、ハイクの方からこんな答えが返ってきた。
「中国に支配された方が」って凄いね。それ朝鮮半島の人に言える?「当時の大韓帝国の統治不全を考えたら日本に支配された方が幸せだったんじゃね?」って。その言い方は植民地支配正当化に繋がるよ?
応答y-mat2006氏一番最初の「元文」が主に日本銀行の政策の錯誤ないし停滞または判断の過ちなどを指しての発言ではあろう。その上で「中国に支配された方が国民は今よりも幸せになる可能性は否定できない。」という内容は主に経済的側面を指しているのだろう、ということは推測する。
搾取とか疎外とかって、マル経っぽい言葉が辞書にない人なので、植民地支配は効率がとか厚生が低下しがちなのが悪ではあるけど、それ自体は価値観としては中立じゃないのかなあと思ったりするワケで、だから、まずありえないのかも知れないけど、厚生が向上してみんなが幸せになるんだったら、植民地支配もオッケーなんじゃないのかなあと。
(仮にチベットが解放されて、独立国家ができたとして、援助がないと延命できない低開発国がまた一つ生まれるだけじゃないかな。)
これは、「応答」における「厚生が向上してみんなが幸せになるんだったら、植民地支配もオッケーなんじゃないのかなあと。(仮にチベットが解放されて、独立国家ができたとして、援助がないと延命できない低開発国がまた一つ生まれるだけじゃないかな。)」という発言によって補強することはできると考える。(それにしても、過去の正当化はいざ知らず、現在進行形の仮定として留保条件付きとはいえ「オッケー」と言う人もいるのだなぁ、と面喰った)
ここでチベットを持ち出すところがまた凄いな、とは思うのだが、少なくともチベットは7世紀の古王朝時代から1950年の人民解放軍による「解放」まで1000年以上一貫して独立を保ってきた地域(国)であり、チベットが再独立を果たしたとして、それで「援助」が無ければ存続もし得ないような状況になっているとしたら、それこそ地元の経済を根本から破壊したからに他ならないだろう(その他に中華民族の大量流入という問題は存在する。これは意識的に行われている『植民』と言えるだろう)。
さて、本論に入ろう。
「応答」においてy-mat2006氏は「植民地支配は(略)、それ自体は価値観としては中立じゃないのかなあと思ったりする」と述べているが、国連決議1514第15号、通称「植民地独立付与宣言」が何を指摘しているのかを御存じ無いと思われる。
同決議において第2項で「すべての人々には自決権があり、その権利によって、自由に自らの政治的な地位を決め、自由に自らの経済的・社会的・文化的な開発を遂行することを得る。」と規定されている。
この「自らの政治的な地位を決め〜」の件は、一見「自ら望めば植民地化も認めらる」ように読むことも単体では可能だが、そもそもこの決議は「単独での主権独立国家」「独立国家との自由な連合」「独立国家への統合」といういずれかをもって合法としている。このいずれも「植民地」としての存在を否定しているため、第2項で植民地を容認することはできない。仮に日本が中国と「自由な連合」または「統合」を選らんだ場合、それは「植民地ではない」のであり、いずれも「植民地」の用語は当てることは不適当である。植民地が「自らに政治的自決権を与えない」存在である以上、国連決議によって「否定」されているのであり、「価値中立」では有り得ない。「搾取」「疎外」と言った言葉を持ち出すまでも無い。
- sionsuzukaze
- 広告代理店プランナーを経て個人商店を経営。政治について執筆。



