3月11日、東北地方太平洋沖地震が起きました。私はちょうど外を歩いていました。家を出たばかりでしたが、突然、大地が揺れました。初めはトラックが後ろから来ているのか?と思い、後ろを振り返ったのですが、周囲を見渡すと、立ち止まっている人がいました。
揺れを感じた時間はどれくらいだったでしょうか。いつもよりは長かったのを覚えています。高いビルが揺れていたりしましたので、比較的大きい地震であることはわかりました。ビルで働いているサラリーマンやOLたちも不安そうにビルを出て来ていました。必死で携帯をチェックしていました。
たまたま近くにいた消防署員が「大丈夫ですか!?」「けが人はいませんか!?」と叫んでいます。まだ、事態の深刻さを感じていなかった私は、駅の方に向かいました。すると、近くの墓地の側壁が崩れ落ちていました。そのため、自宅へ戻ってみると、部屋の中が書類で散乱していました。一階だったこともあってか、テレビやパソコンは壊れていませんでした(二階の人はパソコンが壊れた、と言っていました。
仕事も中止が決まり、自分ができることは何かを考えてみました。参考にしたのは1995年1月17日に起きた阪神大震災です。あの時、私は現地に取材に行きました。休暇を取っていたのですが、最初は何か手伝えるボランティアを探したのです。しかし、1〜2日ではかえって邪魔になる。そこで、私は「新聞記者だ。できることは伝えることだ」と思い、取材をするために、話を聞くことにしました。
話をするというのも重要なことだと思いました。もちろん、避難所生活で取材は邪魔かもしれませんが、何もしないよりは気休めになるの、と話していた人がいました。外野である新聞記者は当事者にとってはいらつく存在です。同時に、文句を言える存在でもあるし、話ができる存在だった。そう思ったのです。地震を思い出してフラッシュバックする不安や恐怖を抱えている人たちもいました。
そうだ。初動では何もできない。できるとすれば、初動が終わり、避難生活が落ち着いてきた時期に必要となるものだろうと思い、心理的なサポートのヒントになれば、と、PTSDに関連したTwitterでのリストを作り始めました。そのリストがどのように有益なのかは分かりませんが、役に立つ可能性にかけてみました。
また、被災者がTwitterをしているのはほんのわずかではないか。まだ、mixiのほうがユーザーは多いのではないか?と思った私は「地震・災害とPTSD@東北大震災」というコミュニティをつくりました。さらに、mixiは、会員制ですので、会員以外でも閲覧出来るFacebookでも似たようなウォールをつくったのです。さらにもっと開かれた形にした「大震災と生きづらさ」という掲示板をつくりました。
初動で直接的にできるのは何もありません。ボランティアさえできないのです。できるとすれば、来るべき復興時期に向けての準備でしょう。
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- 2011年03月13日 18:26




