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真珠湾攻撃、日本軍に最初に砲撃した米国人―遺灰がアーリントン墓地に

 第2次世界大戦の開戦前夜、真珠湾に奇襲攻撃をしかけてきた日本軍に向けて、米軍兵士として最初に発砲した水兵の一人、アラン・サンフォードさんの遺灰が20日、戦没者が眠るバージニア州のアーリントン国立墓地に納められた。

 1941年12月7日午前6時37分、当時18歳だった一等水兵のサンフォードさんは真珠湾の湾口で防衛にあたっていた駆逐艦ワードに乗務していた。日本の海軍航空隊による攻撃が始まるちょうど1時間ほど前、ワードの乗組員は別の米軍艦の後を追って、日本海軍の小さな潜水艇が湾内へ侵入しようとしているのを発見した。

 歴史を語り継ぐ目的で1991年に行われた米国立公園局のインタビューで、サンフォードさんはその時のことを「オモチャか何かだと思った」と語った。「2人乗りの潜水艇など聞いたことも見たこともなかった」。長さが80フィート(約24メートル)ほどの円筒型の潜水艇で、楕円形の展望塔がついていたという。

 ワードの艦長がパジャマとバスローブの上にライフベストを身につけ、ブリッジ(艦橋)に姿を現した。サンフォードさんによると、艦長は「前進全速!衝突に備えよ」と命じ、「撃ち方始め!」と叫んだ。

 サンフォードさんら水兵は艦首から目標までの距離約90メートルほどで射撃を開始した。この最初の射撃で、サンフォードさんは砲弾が潜水艇の展望塔をわずかに逸れたのを見た。インタビューでは「潜水艇の塗装が二重に見えた。(砲弾が標的に近づき、急速に速度を落とすと爆発する)信管が作動したかもしれない」とし、「いかに近くまできたかを認識させた」と語っていた。

 砲員が次に発砲したのはワードが約46メートルの距離を置いて特殊潜水艇を横切る際で、これで展望塔の右側に4インチ(約10センチメートル)の穴を開けた。これに続き、ワードは4発の水中爆雷を投下。艦長の報告や歴史家によると、この砲撃で開いた穴から海水が入り込み、特殊潜水艇は右側に横倒しになって水深366メートルほどの海底に沈んだ。

 海軍公文書に記録された報告によると、艦長だったアウターブリッジ大尉(当時)は「航行制限区域で操業する潜水艇を砲撃し、爆雷を投下した」と指揮官に無線で報告したという。

 しかし、アウターブリッジ氏の報告は、米海軍が75分後に受ける空爆に十分備えさせる警告とはならなかった。

 数十年間、米海軍は特殊潜水艇を撃沈したというワードからの報告を疑っており、こうした冷淡な態度がサンフォードさんをいら立たせた。サンフォードさんの長男で、退役した元海軍大佐のジェームズ・サンフォードさんは20日、墓地でのインタビューで、「父は艦長を崇拝していたため、それ(冷淡な態度)は父を悩ませた」と語った。

 しかし、2002年にはハワイ海底研究所の研究チームが海底に眠る潜水艇の残骸を発見し、ワードにかけられた疑いは晴れた。特殊潜水艇には2発の魚雷が装備されたままだった。歴史家によると、日本は真珠湾攻撃の前日、大きな潜水艦から5隻の小型潜水艇を発進させたという。

 真珠湾攻撃を受ける前、米海軍はすでに大西洋でドイツ軍の潜水艦「Uボート」に遭遇していた。ワードの行動は、日本が米国に宣戦布告して米国を戦争に巻き込んだ当日、最初に米国が行った砲撃とされている。

 サンフォードさんはまだ高校生だった17歳の時、ミネソタ州の海軍在郷軍に友人2人と共に参加した。サンフォードさんは制服と訓練が好きで、「私たちが参加してきた一部の高校の活動よりも少しばかり大人っぽい、素晴らしい社会活動」だと思っていたと述べた。

 しかし、1940年には太平洋での緊張が高まり、海軍は在郷軍をも動員するようになった。海軍は若い水兵にサンディエゴに移動してワードに乗船するよう指示。第1次世界大戦で活躍したワードはこけの生えた駆逐艦になっていたが、再び稼働させることにしたのだ。ワードの乗組員らは台風をくぐり抜けてハワイに到着した。

 日本からの攻撃を受けた時、サンフォードさんは第一砲台の「ホット・シェル・マン」として、砲撃後に出る焼け付くように熱くなった薬きょうを、耐熱ミトンを使って拾い集める役割を任されていた。

 小型潜水艇に対処した後、サンフォードさんは真珠湾上空に日本の軍用機が無数に飛んでくるのを見つけた。1991年のインタビューで、「私はこれらの軍用機に赤い玉が付いているのを見た」と述べ、「彼らは世界中で私しか狙っていないと思った。心配だったという言葉では言い表せない。私は震え上がったのだ」と述懐した。

 サンフォードさんは、日本の軍用機が海上にいる米軍の水兵を攻撃するのを目にした。転覆した戦艦オクラホマの船体を目撃し、船内に取り残された仲間のことを思い途方に暮れた。

 「本当にがっかりした」とサンフォードさんは語った。

 ワードは1944年にフィリピンで日本軍の戦闘機に激突されて沈んだ。

 サンフォードさんが長男のジェームズさんに真珠湾での経験を話したのは戦後、数十年が過ぎてからだ。だが、晩年になってサンフォードさんは真珠湾で生き残った兵士たちの集まりで活発に活動するようになった。

 退役後、サンフォードさんは機械工学を学び、宇宙開発関連の仕事に就いた。1970年には宇宙で不具合を起こしたアポロ13号を地球へ無事に帰還させる手助けをした。アポロ13号は船内で爆発事故が起き、月面着陸を断念せざるを得なかった。

 サンフォードさんは1月にペンシルベニア州の病院で死去した。91歳だった。故人の遺志をくんで、家族はサンフォードさんの遺灰を、最初の妻ベティさんの遺灰とともにアーリントン墓地に納めた。水兵が21発の弔砲を放ち、永別のラッパが演奏された。

By MICHAEL M. PHILLIPS

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