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欧米の日本史関係研究者の「日本の歴史家を支持する声明」

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欧米の日本史関係研究者の「日本の歴史家を支持する声明」がでた。新聞で大きく報道されている。

 日本の一人の歴史家として感じるのは、まず、日本のマスコミはアメリカからのニュースを事大主義的に大事にするということである。馬鹿ではないか。

 歴史家の仕事は過去を共有する(記憶が同じ)ということを目指すということである。未来を共有する、未来と希望を共有することによって人間は集まるというのはしばしば幻想であって、実際には過去を共有することによって、人間は同じ未来に入っていく。走馬燈のように人生の諸局面が目前にあらわれてくるというが、それは過去を俯瞰する形で人間の知識・意識・感情がスピードをもって自己点検のサイクルに入ることをいう。
 宇宙の晴れ上がりというのはビッグバンのあとにくるというが、過去の晴れ上がりということがあるだろうというのが歴史家の確信である。晴れ上がった過去を眼前にして、未来へ進んでいく。晴れ上がった過去によって未来への道がほのかに照らされるというのが、未来への本源的な行動のありかたであるべきなのだと思う。そうしてそちらに行くほかないということで進んでいくというのが、最近、評判の悪い「歴史の必然」ということであるというのは、哲学の真下信一氏の講演会で聞いたこと。言い方は少し違うがそういうことをおっしゃったのだと思う。

 過去の晴れ上がりなしに、未来はないという確信の下に歴史学をやっている積もりではあるが、もちろん、自分の過去も晴れ上がらないままに生きてはいるので、大きなことはいえないが、しかし、バックトゥーザフューチャーというのは、人間は後ずさりをしながら、背中から未来に入っていくことであるというのは堀田善衛の『天上台風』のエッセイにあったこと。

 過去の晴れ上がりというのは、過去とその全貌がみえるようになったということである。前近代社会では、背中から未来に入っていくというのは、堀田のエッセイでも、それをうけた勝俣鎮夫氏の仕事でも、一種の不安定を意味するという読み方がされている。今の感覚だと、「後じさりしながら、未来へ入っていく」というのは不安な移動のように感じるが、しかし「バックトゥーザフューチャー」というのは、いってみればふり返りもせずに、座ったまま、眼前の過去が遠くへ移動していくような時間のスピードに乗ることなのだと思う。過去は眼前にみえ、過去から遠ざかれば遠ざかるほど、いよいよ、その全体がみえてくる。未来への移動は過去の延長であって、基本的な不安はない。そういうのが前近代社会における時間・空間観念の基礎にすわっていたのだろうと思う。それを「千篇一律」、「日々是好日」、保守と安穏という」イメージのみで見ては成らないのではないか。
 むしろ新しい意味でそのような未来への進み方が必要になっているのではないか、などということを考える。「バックトゥーザフューチャー」

 さて、声明の話しに戻るが、問題の中心は「慰安婦問題」(従軍性奴隷の問題)であるが、その声明は歴史家の常識を反映している。その出だしは、下記のようなもの。

「下記に署名した日本研究者は、日本の多くの勇気ある歴史家が、アジアでの第二次世界大戦に対する正確で公正な歴史を求めていることに対し、心からの賛意を表明するものであります。私たちの多くにとって、日本は研究の対象であるのみならず、第二の故郷でもあります。この声明は、日本と東アジアの歴史をいかに研究し、いかに記憶していくべきなのかについて、われわれが共有する関心から発せられたものです。
 また、この声明は戦後七〇年という重要な記念の年にあたり、日本とその隣国のあいだに七〇年間守られてきた平和を祝うためのものでもあります。戦後日本が守ってきた民主主義、自衛隊への文民統制、警察権の節度ある運用と、政治的な寛容さは、日本が科学に貢献し他国に寛大な援助を行ってきたことと合わせ、全てが世界の祝福に値するものです。」

 
 さて、上記の最初の文章に「日本の多くの勇気ある歴史家」とある。
 しかし、普通の新聞読者は「日本の多くの勇気ある歴史家」といわれても何のことかわからないだろう。「日本の多くの勇気ある歴史家」ということについて、新聞は一切ほとんど報道しない。つまりこういう声明は日本の歴史家は何度も出している。しかし、新聞に5行のベタ記事がのれば、めずらしい位に大きく扱ったというのが実際である。

 金をとって情報を提供するマスコミが、日常、必要なことは報道しておかないで、外国の歴史家が同じことをいえば取り上げるというのは、ようするに「犬が人を噛んでも報道しないが、人が犬を噛めば報道する」ということである。
 歴史家ではない国民のなかにはいろいろな意見があるだろう。しかし、ジャーナリストというのは、最低、必要な情報を確実に提供するという専門性をもつ職業のはずである。その条件を作っていないという状況を問題にせずに議論しろというのはおかしなことであることは自明であろう。この問題について議論したい人は、まずこういうマスコミの視野の狭さ、無責任さがどこからどのようにでてくるのかを考えるのが先であろうと思う。そういう社会なのであるという怖れをもつのも当然であろう。

 もちろん、こういうことを報道するなということではない。しかし、もう少し常識と恥じらいというものをもってほしいと思う。自分が報道していないことを外国の歴史家が声明を出すと報道する。それは自分が「無知なのか」または「勇気がないのか」のどちらかであるということぐらいは分かっていてほしいと思う。最低、この声明で述べられているようなことは歴史家の常識であることは分かっていてほしいと思う。


全文は以下の通り。

OPEN LETTER IN SUPPORT OF HISTORIANS IN JAPAN
日本の歴史家を支持する声明

 下記に署名した日本研究者は、日本の多くの勇気ある歴史家が、アジアでの第二次世界大戦に対する正確で公正な歴史を求めていることに対し、心からの賛意を表明するものであります。私たちの多くにとって、日本は研究の対象であるのみならず、第二の故郷でもあります。この声明は、日本と東アジアの歴史をいかに研究し、いかに記憶していくべきなのかについて、われわれが共有する関心から発せられたものです。
 また、この声明は戦後七〇年という重要な記念の年にあたり、日本とその隣国のあいだに七〇年間守られてきた平和を祝うためのものでもあります。戦後日本が守ってきた民主主義、自衛隊への文民統制、警察権の節度ある運用と、政治的な寛容さは、日本が科学に貢献し他国に寛大な援助を行ってきたことと合わせ、全てが世界の祝福に値するものです。
 しかし、これらの成果が世界から祝福を受けるにあたっては、障害となるものがあることを認めざるをえません。それは歴史解釈の問題であります。その中でも、争いごとの原因となっている最も深刻な問題のひとつに、いわゆる「慰安婦」制度の問題があります。この問題は、日本だけでなく韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました。そのために、政治家やジャーナリストのみならず、多くの研究者もまた、歴史学的な考察の究極の目的であるべき、人間と社会を支える基本的な条件を理解し、その向上にたえず努めるということを見失ってしまっているかのようです。
 元「慰安婦」の被害者としての苦しみがその国の民族主義的な目的のために利用されるとすれば、それは問題の国際的解決をより難しくするのみならず、被害者自身の尊厳をさらに侮辱することにもなります。しかし、同時に、彼女たちの身に起こったことを否定したり、過小なものとして無視したりすることも、また受け入れることはできません。20世紀に繰り広げられた数々の戦時における性的暴力と軍隊にまつわる売春のなかでも、「慰安婦」制度はその規模の大きさと、軍隊による組織的な管理が行われたという点において、そして日本の植民地と占領地から、貧しく弱い立場にいた若い女性を搾取したという点において、特筆すべきものであります。
 「正しい歴史」への簡単な道はありません。日本帝国の軍関係資料のかなりの部分は破棄されましたし、各地から女性を調達した業者の行動はそもそも記録されていなかったかもしれません。しかし、女性の移送と「慰安所」の管理に対する日本軍の関与を明らかにする資料は歴史家によって相当発掘されていますし、被害者の証言にも重要な証拠が含まれています。確かに、彼女たちの証言はさまざまで、記憶もそれ自体は一貫性をもっていません。しかしその証言は全体として心に訴えるものであり、また元兵士その他の証言だけでなく、公的資料によっても裏付けられています。
 「慰安婦」の正確な数について歴史家の意見は分かれていますが、恐らく、永久に正確な数字が確定されることはないでしょう。確かに、信用できる被害者数を見積もることも重要です。しかし、最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません。
 歴史家の中には、日本軍が直接関与していた度合について、女性が「強制的」に「慰安婦」になったのかどうかという問題について、異論を唱える方もいます。しかし、大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことは、既に資料と証言が明らかにしている通りです。特定の用語に焦点をあてて狭い法律的議論を重ねることや、被害者の証言に反論するためにきわめて限定された資料にこだわることは、被害者が被った残忍な行為から目を背け、彼女たちを搾取した非人道的制度を取り巻く、より広い文脈を無視することにほかなりません。
 日本の研究者・同僚と同じように、私たちも過去のすべての痕跡を慎重に天秤に掛けて、歴史的文脈の中でそれに評価を下すことのみが、公正な歴史を生むと信じています。この種の作業は、民族やジェンダーによる偏見に染められてはならず、政府による操作や検閲、そして個人的脅迫からも自由でなければなりません。私たちは歴史研究の自由を守ります。そして、すべての国の政府がそれを尊重するよう呼びかけます。
 多くの国にとって、過去の不正義を認めるのは、未だに難しいことです。第二次世界大戦中に抑留されたアメリカの日系人に対して、アメリカ合衆国政府が賠償を実行するまでに四〇年以上がかかりました。アフリカ系アメリカ人への平等が奴隷制廃止によって約束されたにもかかわらず、それが実際の法律に反映されるまでには、さらに一世紀を待たねばなりませんでした。人種差別の問題は今もアメリカ社会に深く巣くっています。アメリカ、ヨーロッパ諸国、日本を含めた、19・20世紀の帝国列強の中で、帝国にまつわる人種差別、植民地主義と戦争、そしてそれらが世界中の無数の市民に与えた苦しみに対して、十分に取り組んだといえる国は、まだどこにもありません。
 今日の日本は、最も弱い立場の人を含め、あらゆる個人の命と権利を価値あるものとして認めています。今の日本政府にとって海外であれ国内であれ、第二次世界大戦中の「慰安所」のように、制度として女性を搾取するようなことは、許容されるはずがないでしょう。その当時においてさえ、政府の役人の中には、倫理的な理由からこれに抗議した人がいたことも事実です。しかし、戦時体制のもとにあって、個人は国のために絶対的な犠牲を捧げることが要求され、他のアジア諸国民のみならず日本人自身も多大な苦しみを被りました。だれも二度とそのような状況を経験するべきではありません。
 今年は、日本政府が言葉と行動において、過去の植民地支配と戦時における侵略の問題に立ち向かい、その指導力を見せる絶好の機会です。四月のアメリカ議会演説において、安倍首相は、人権という普遍的価値、人間の安全保障の重要性、そして他国に与えた苦しみを直視する必要性について話しました。私たちはこうした気持ちを賞賛し、その一つ一つに基づいて大胆に行動することを首相に期待してやみません。
 過去の過ちを認めるプロセスは民主主義社会を強化し、国と国のあいだの協力関係を養います。「慰安婦」問題の中核には女性の権利と尊厳があり、その解決は日本、東アジア、そして世界における男女同権に向けた歴史的な一歩となることでしょう。
 私たちの教室では、日本、韓国、中国他の国からの学生が、この難しい問題について互いに敬意を払いながら誠実に話し合っています。彼らの世代は、私たちが残す過去の記録と歩むほかないよう運命づけられています。性暴力と人身売買のない世界を彼らが築き上げるために、そしてアジアにおける平和と友好を進めるために、過去の過ちについて可能な限り全体的で、でき得る限り偏見なき清算を、この時代の成果として共に残そうではありませんか。

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