震災と津波によって失われた「心のふるさと」を取り戻すために。

人々は「まつり」に集い、同じ時間を共有し、心を通わせることで絆を深めてきた。そして「まつり」は地域の伝統文化を継承していく場でもあった。「まつり」の舞台となってきたのは、まぎれもなく地域に根ざした神社だった。
しかし、2011年3月11日に起きた東日本大震災と大津波は、それらを一瞬にしてのみ込んでしまった。岩手、宮城、福島の3県だけでも全体の3割、約1500の神社が被害を受け、そのうちの約1割にあたる145の神社が全半壊の被害を受けた。それまで伝統芸能の宝庫と言われる東北地方には豊かで個性的な芸能が多く受け継がれていたが、「まつり」に必要な神輿や山車、太鼓、衣装だけでなく、神社そのものが失われることも少なくなかった。

そうした中、被災地で受け継がれてきた伝統芸能の復興を目的として設立された基金がある。日本財団が2011年6月に設立した「地域伝統芸能復興基金(まつり応援基金)」だ。
同基金は公益財団法人日本音楽財団から寄付された名器・ストラディバリウスのオークション売却金(約11億6800万円)で創設された。現在までに、岩手、宮城、福島などの被災地にある180の伝統芸能団体や神社に対して、まつりの道具の修理や新規購入、社殿の再建のためにかかる費用を支援している。それは「心のふるさと」を復興するための試みと言ってもいいだろう。
震災によって分断された地域コミュニティを「まつり」で修復する
2015年3月28日、宮城県石巻市雄勝町大浜にある葉山神社で、新しい社殿の柱やはりなどの完成を祝う「上棟記念奉祝祭」が行われた。
葉山神社は国の重要無形民俗文化財「雄勝法印神楽」の奉納先にもなっている地域の文化的シンボルだが、4年前の大津波で社殿が全壊、社務所も流出するという壊滅的な被害を受けた。葉山神社の千葉秀司宮司が震災当時を思い起こしてこう語る。
「震災後、すぐに社殿を再建したいと思いましたが、被災前と同じ規模の社殿を再建するためにかかる費用は膨大でした。もちろん、早く再建するために規模を小さくするという選択肢もあったのかもしれません。しかし、社殿は天井まで届く津波をかぶる中、ご神体も、壁一面にあったものも残っていました。やはり引き継いだものを次の世代に残したいと強く思い、同じ規模で再建することを決めたんです」

氏子の多くが避難生活を送る中、神社役員、氏子が一丸となって再建計画を立てた。しかし、資金の目処がなかなか立たない。そんな時期にあった2013年4月、葉山神社に手を差し伸べたのが「まつり応援基金」だ。葉山神社は同基金が社殿の再建費用(約1億4千万円)を支援する初めてのケースとなった。
社殿再建に向け「上棟式」という一区切りを迎えたこの日、上棟記念奉祝祭への参加者を前に挨拶する千葉宮司の顔は晴れやかだった。
「私達の生活の中には、当たり前のようにまつりがありました。しかし、東日本大震災により社殿の損壊、お祭りに必要な道具の流出により、私達のお祭りはなくなりそうになりました。
そんなかで、日本財団様は被災地のおまつりの復活を多大なるご支援により再開へと導いてくれました。震災後、少しずつ生活には慣れはしたものの、晴れない日常の中で、地域の皆様と集い、力を合わせて行うおまつりが私達の心を元気にしてくれております」 上棟式の前後には、新社殿の横に設置された神楽の舞台で雄勝法印神楽が奉納された。それを見守ったのは葉山神社の氏子だけではない。震災後に雄勝から転出していった人、県内外各地から足を運んだ人々の顔もあった。

実家が葉山神社のすぐそばにあり、子どもの頃から神社で遊んできたという男性は感慨深げにこう語る。
「お導きがあってこのように再建できて本当に嬉しいです。震災後、なかなか皆さんと顔を合わせる機会がありませんでしたが、神社に集まって絆を確かめる機会になったと思います。久しぶりに会う懐かしい顔もありました」
今から4年前。人口約4300人の漁業の町である雄勝町は最大30メートル近い津波に襲われ、町内の建物の約8割が破壊された。そして250人もの尊い命が犠牲となり、町民の多くはいまも石巻市内や雄勝町内の仮設住宅など各地で避難生活を送っている。
そうした中で進む、地域に根ざした神社の再建、そしてまつりの再開は、長期間にわたって分断されたコミュニティを修復する貴重な機会となっている。
「社殿が完成する今年9月にはご神体を新しい社殿に移す『遷座祭』と『竣工奉祝祭』を行う予定です。今日のようにまたみなさんに集まっていただきたいですね」(千葉宮司) 上棟奉祝祭を終え、神社を後にする人々の顔はみな明るい。いまから9月の新社殿完成が楽しみだ。
