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故・氏家齊一郎氏の思い出

私ごとき組織の末端にいた人間が、元・日本テレビ会長であった故・氏家さんについて一文を記すことは、誠に僭越なことだと思うが、先日BLOGOSに「人間に安易にレッテル張りをすることは危険だ」と書かせて頂いた事をきっかけに、氏家さんの事を色々思いだした、伝聞によるものではなく「私としての個人的な氏家さんに関する思い出」として本文を執筆する次第である。
また最近ある人に「氏家さんの日本テレビ社長・会長時代はどんな方だったのですか?」と聞かれたことも本文を書くきっかけとなった。

一言でいうと氏家さんはレッテル張り出来ない「複雑な多面体」の様な方だった。ある意味、桁外れでパワフルな大物であったが時に予測不可能な動きをする方であった。日本テレビ躍進の中心人物であったばかりでなく、表には出ないが色々な影響力を社会に与えたと聞いている。氏家さんについての書籍は「昭和と言う時代を生きて」(岩波書店)が一冊残っているだけである。その本の中で氏家さんという人物の片鱗を知ることができるが、メディア発言に対して大変慎重な人物であったのでこの本は正史であるが、氏家さんの生の人物像を浮きたたせるため「私の記憶の中にある氏家さん」を書きしるす次第である。

氏家さんは大正15年生まれ。父は古河財閥の理事。戦後、東京大学経済学部に入学。歴史家の網野善彦氏、現読売新聞会長・主筆・渡邉恒雄氏、元セゾングループ代表の堤清二氏と同窓。大学時代共産党に入党するも脱党。野村証券に入社しようとしたところ、渡邉氏に誘われて読売新聞に入社。キューバのカストロ議長と親交を結び、カストロの仲介で北ベトナムの主席ホー・チミンに西側の記者として初めてインタビューを果たす。経済部長・広告局長を経て読売新聞常務を経て日本テレビ副社長に就任した。一度、事情があり日本テレビから離脱するも1992年日本テレビ社長に就任した。その後の日本テレビの躍進はご存じの通りである。

あれだけパワフルで振れ幅の大きい方だったので、正直、会社の中には氏家さんに敬服する人も苦手とする人もいたと思う。ただ我々は制作現場で活動しており、雲の上の人であったので、あまり直接会話も出来ず社長就任当時、遠くから仰ぎ見るしかなかった。
ただこんな事があった。社長に就任してすぐ、現場である程度活躍している面々が市ヶ谷の中国飯店に呼ばれた。氏家さんが現れて我々は山ほど紹興酒を飲まされて、こんなことをおっしゃった。「お前ら、日本テレビがさらに発展するには、こんなことが必要だということをすべて言え。」我々はしこたま酔っていたが、思いつきで色々な提案をする。氏家さんはそれを反論もせずじっと聞き、秘書室長に全てメモさせて言った。「おい、今みんなが言ったことを明日から実行しろ」氏家さんのブラフであったにせよ我々は唖然とした。「この会社は変わろうとしている」我々は多忙で実際に翌日から提案が実行されたかどうか確かめようがなかったが、ある新しい時代が始まったことを実感した。

その後、何度か制作現場の人間への慰労の食事会が行われたが、氏家さんはじっと我々の話に耳を傾けるだけで、自分の「過去の武勇伝」の話は一切しなかった。我々がカストロ議長の件を持ち出しても「ああそんなことがあったなあ」位の反応で、話に乗ってこない。氏家さんクラスになると、仕事上のかなりの「斬ったはった」があったであろう。また世の中的にはだいたい上司が部下と飲食するときは、自分の過去の仕事上の武勇伝をするのが常だ。上司にすれば話していて気持ちが良いし教育目的といえなくもない。でも氏家さんは一言も自慢話・武勇伝はしない。また氏家さんは政財界大物に対し「あいつを知ってる」とか自分の豊富な人脈の話もほとんどしなかった。氏家さんは当時総理にも欲すればいつでも会えたし、政治にも深く関与していたと思うが、「政治は趣味だから」等と言ってカラカラ笑っていた。

現場でディレクターやプロデューサーをやっていた私達は氏家さんを「優しい親戚の叔父さん」の様に思っていた。しかし、ある時、氏家さんは全く別の一面を見せる。私が昇進しチーフプロデューサーとして会社のラインに乗った直後である。ある日、廊下を歩いていたら、氏家さんが向こうからやって来た。いつもの様に私が親しげに話しかけると、今まで見たことが無い様な厳しい顔つきの氏家さんはこう言った。「吉川。これからは会社の経営の事も考えて仕事をするんだ。」短くそう言って去って行ったのだ。現場には優しい、管理職には厳しいそんな氏家さんの姿を見て身が引き締まる思いがした。

そんな厳しい姿を見せ、叱咤激励する氏家さんであったが、こんなこともあった。当時日本テレビの麹町本社の後ろには、日本テレビ創設者の正力松太郎氏が建てた「あずまや」という数寄屋造りの迎賓館と庭園があった。正力さんや小林元会長はそこに内外の要人を呼んでは接待していたという。ある時、氏家さんが思い立ちしばらく使っていなかった「あずまや」を綺麗に清掃・改装させ庭にも手を入れさせた。ある芸能界の大立者を接待するためである。接待する時の氏家さんは料理や酒にも細かく配慮し、気を配った。庭にも丁寧に照明が配置された。我々、最前線のチーフプロデューサーも5人ほど宴席に参加した。終始なごやかなうちに宴は進んだ。そしてふと氏家さんが芸能界の大立者にこんな事を口にした。きっと洒落のつもりだったと思う。
「○○さんねえ。そこに座ってる吉川いるでしょ。彼は『抗うつ剤』飲んでるんですよ。」
場の空気がちょっと凍った。1秒・2秒。そうしてその大立者がこう言ったのだ。
「心が弱いからそういう事になるんです。」
その大立者は大変な苦労人であったらしい。その方から見るとそう映ったらしいのだ。
・・・やがて氏家さんはハハハと笑いながらこう言った。
「いやいや。○○さん。わが社では激務で薬を飲むぐらいでないとチーフプロデューサーは務まらないんですよ。」
他のチーフプロデューサーは緊張して凍っている。彼らは薬など飲んでいなかった。
確かに、当時私は目が回る忙しさで、夜も眠れず、薬を服用していたが、地獄耳の氏家会長からこうもあけっぴろげに外部関係者の前で公にされた事で、かえって私は気持ちがとても楽になったのを覚えている。普通の会社であれば、抗うつ剤を飲んでいるという噂だけで、「病気だ。」「メンヘラだ。」「あいつは気が変だ。」と決めつけられ上司や人事によって、閑職に追いやられるのが関の山である。
しかし、病気と薬に詳しい氏家さんは私の様子を見て「問題なし」と判断し、その後も普通に仕事をさせてくれた。また「薬ミシュラン」という薬のランク付けを書いた本を私が持っていると聞くと人を介して「オレも必要だから一冊たのむ」と言って入手依頼してきたり(本当は読んでいなかったと思うが)私が薬を飲みながら仕事をしていることを認知しつつ、遠くから「社業のために薬まで飲んでいるのか。」と配慮して頂いたのだと思う。

ただ今現在でもどういう目的だか理解できないが「吉川は病気だから。」と言う人が散発的にいるらしいが、その後米国開発の新薬の重大な副作用が事もある人から教えて頂き、あの時に比べれば多少仕事に余裕のあるので、全く薬を服用していない。「社業に重要な人間が薬を飲んでいたらどう対処するか?」という点では氏家さんの対処は卓越したものがあったと思う。

一方、氏家さんは剛腕で大変仕事に厳しい人で、才能や能力や実績を非常に重視する人であったので、何かのきっかけで大変なご苦労をなされた方もいたと思う。私などは氏家さんと比べるとまだまだひよっこであったので、実績を上げているうちは、大組織の権力闘争に巻き込まれることも無かった。
そんな雲の上の人だから、無邪気なお願いもしたことも何度かある。あるバラエティ番組で「日本文化研究会理事長」という肩書で出てもらえないかとお願いしたところ、ご快諾いただいたことがある。しかし、放送のとき氏家 齊一郎の「せい」の字をADが間違えてしまった。氏家さんはオンエアーを楽しみにしていたそうである。翌日、私が秘書室に詫びに行ったのは言うまでもない。

一方、氏家さんは「人間の心をつかむ術」にも長けていた。ある時アイドルのSMAPと交流を持った折、氏家さんの気さくな対応に感激した香取慎吾君が、後日ある絵を氏家さんに送ったことがある。絵と言っても高価な絵画ではなく香取君の好きなイラストの様なリーズナブルな値段の絵であった。 その後SMAPの番組収録があって麹町のスタジオに来たとき、香取君と草彅君が突然、「氏家さんにご挨拶したい」という。私は「そんなこと突然言われても。」と困ったが、一応秘書室に電話してみた。意外にも「いますぐだったら15分だけ空いている。」とのこと。慌てて役員室フロアーに行き、応接室で待っていると、氏家さんが現れた。握手を交わししばし歓談。この役員フロアーには複数の応接、会長執務室、役員会議室などがあり、本物のルオーやルノアールの絵やロダンの彫刻などが飾ってある。突然、美術愛好者の香取君が「このフロアーをご案内していただいても良いですか?」等と言う。私が冷や冷やしていると、氏家さんは快諾し案内を始める。執務室に始まり役員会議室に入った時である。突然、香取君が固まった。部屋の奥の一番良い場所に香取君が送った絵が飾ってあったのだ。私も呆然としたが、香取君は少なからず感激している。我々が役員会議室をのぞく予定は当初全くなかった訳であり、香取君の絵は常設であった可能性は低いと思う。しかし直前にそれを差し替えていたとしたら「凄い」と思った。正直、氏家さんは「そこまでやるのか。」と私は唖然として役員フロアーを後にした記憶がある。

またこんなこともあった。「たけし・さんま・所」という座組みで7年前スペシャル番組を作ったことがある。スタッフと会議をしていると、ゲストの話になり、とんでもない人を呼んでみたいという話で盛り上がった。メインの作家の大岩賞介さんも大乗りだった。・・・読売新聞の渡邉 恒雄主筆である。たまたまその時BSフジの報道番組に主筆が出ていたのを大岩さんが見ていた。みんな会議で「あの方とたけしさんとさんまさんと所さんのトークが見たい」と熱くなっている。番組責任者であった私は目を伏せていた。しかし、スタッフは依然盛り上がっている。・・・「聞いてみるよ。」仕方なく私は言った。デスクに帰って考えた。読売新聞の総合広報部に聞いても「バラエティにでるなんてできません。」と言われそうだし、知り合いの読売新聞の記者はそんな権限は無いだろうし・・・。でもこういうときチーフプロデューサーがスタッフに簡単に「ダメでした」なんて言うと、普段偉そうにしていて、出演交渉も出来ないなんて・・・と思われるのは間違いない。
もう「あの方法」しかないのかなと思い、翌日、秘書室に電話した。たまたま時間が空いていた。「夕方4時半に来てください」ということで最上階の氏家会長の部屋に伺った。氏家さんが「どうした?吉川」と聞く。趣旨を話して「渡邉 恒雄主筆に話して頂けませんか?」とお願いした。渡邊さんと氏家さんは大学時代からの朋友だ。じっと話を聞いていた氏家さんは突然立ち上がり、当時編成局にいた読売新聞から来た大久保好男取締役(現・日本テレビ放送網社長)に電話して「読売の渡邉を吉川が番組にほしいと言っている。ちょっと(読売本社に)行って来てくれないか?」私は予想していたものの「ウワー大変な事になってきた。」と思った。
氏家さんは電話を終えると茶をすすりながら「吉川。ところで今、会社はどうなっておるのか?」と聞いてきた。・・・これは本当に微妙で危険な質問だ。「あの人はダメだ。」とか「あの部署は何をやっているのか分からない。」などと上申でもしたら、パワフルな氏家さんの大ナタが振るわれることもある。慎重に言葉を選び「みんな頑張っている」旨を伝え、平凡な答えに終始した。しかし、氏家さんはもっと「芯を食った」話を欲している。会長室にいた45分が2時間程に思える。エレベーターの中でやっと真っ当に呼吸が出来た様な気がする。編成の大久保取締役の所に行くと、あした渡邉主筆に会うからと。仕事がすこぶる早いのに驚く。
翌日、午後大久保さんから電話が来た。「いま主筆と1時間ほど話した。番組や出演者の方々には興味があったみたいなんだけど、主筆はサービス精神が旺盛だから、ベラベラしゃべって、色んな人に迷惑かけるといけないから、今回は辞退すると言ってました。氏家さんにも報告しておくので。」とのこと。私はこんなに偉い人たちを動かして良いのかと思いつつ会議で交渉結果を報告した。
皆、納得した様子だったが、放送作家の大岩賞介さんが「いい会社だねぇ。日本テレビは。」
と言った。たしかにブッキング(出演交渉)に会長や取締役が動く会社なんてないもんなあと当時思ったのを覚えている。

2011年3月28日、東日本大震災の17日後、氏家さんは亡くなった。私は氏家さんに対して良い思い出しかない。(もちろんそうではない方もいるだろうが)私の能力も認めてくれたし、身を粉にして働いている様子をどこかで見ていてくれていた。またそれなりの待遇も受けてきた。ただ人間という存在が決して完璧でないのと同じく氏家さんも決して完璧ではなかったのかもしれない。ただご存命のとき、あの強烈でパワフルな力で日本のテレビ界に旋風のような強烈な変化を与え続けたのは間違いないだろう。あんなにスケールがでかい巨人が今後テレビ界に出現するのだろうか、と思うこともある。

東大・左翼という過去の共通点があったからかスタジオ・ジブリの高畑勲さんとすこぶる話が合う氏家さんは、高畑さんのこれまでの作品をこよなく愛し、自らの肝入りで「かぐや姫の物語」の製作を強力に推進した。完成前に氏家さんは亡くなったが、作品はアカデミー賞長編アニメーション部門にノミネートされ、手書きで立体効果を生みだした高水準の映像は、世界を驚かせた。氏家さんの思いに高畑さんは見事に応えたのだ。
昭和・平成の複雑怪奇な怪物でもあった氏家さんはあのシンプルだが純粋で奥行きの深い「かぐや姫の物語」を観たら、一体どんな感想をもらしたのであろうか?今となっては聞くすべはないが。 (了)

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