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- 2015年04月14日 07:30
”大艦巨砲主義”のまぼろし
2/2「巨大」なモノへの信仰から大和を造った?
日本海軍にとっての戦艦の扱いがこのような状況にも関わらず、なぜ日本海軍は大艦巨砲主義だと言われていたのでしょうか?大和型が世界最大の3連装46センチ(18インチ)砲を搭載していた世界最大の戦艦であった事、つまり「巨大」であった事が考えられます。例えば、先の毎日新聞の記事中では、こんな事が書かれています。
「大国主命、奈良の大仏……。古来、日本人は『巨大なるもの』への信仰がある」。宗教学者の山折さんは説明する。ただし、もちろん、巨大戦艦は神仏などではなかった。このように、日本人の巨大さそのものへの信仰が大和を生んだとする言説もちょくちょく見られます。しかし、失敗の原因を民族性に求める言説はあまりに大雑把過ぎます。このような言説に対し、航空主兵の尖兵である航空自衛隊教育集団の澄川2等空佐は、大和型建造の目的について以下のように説明し反論しています。
出典:大和撃沈70年:最後の特攻、敵機撃墜たった3機
「強力な攻撃力を追求することであって、単なる巨大さへの信奉では決してない。大和級の設計概念は、小さく造る事である。(中略)18インチというという世界最大の艦砲を9門も搭載し、その18インチ砲に対抗しうる防御力を有しながらも、全体が当初の考えどおりコンパクトな艦体にまとめられたというのが大和級戦艦の特徴である」大和型は強力な攻撃力と防御力を小さな艦に収めた事を特徴としており、大きい事それ自体は目的では無い、と否定しています。考えてみれば当たり前の話で、大きいとコストもかかれば燃費も悪くなります。大きさに信仰なんてものは関係なく、当時の状況と判断と技術がそうさせた結果であり、信仰にその原因を求めるのは問題を単純化して見ようとする悪い例です。
出典:澄川浩「日本海軍と大艦巨砲主義」朋友26巻4号
しかし、大和型を建造させた判断とはどのようなものだったのでしょうか? そして何故、結果的とは言え世界最大になったのでしょうか。大和型建造に至るまでの日本海軍が置かれた状況と、判断を見てみましょう。
なぜ大和は建造された?
当時の状況と判断について、先に挙げた澄川2等空佐が、空自の部内誌で以下のようにまとめています。演習や実験においていかに航空攻撃力がその可能性を見いだしたとしても、実戦においてその威力を示すまではどのような用兵者もその価値を信じ切るには至らないというのが本当のところだと考える。戦艦無用論がいかに強く提唱されても国の命運を賭けてまで、戦艦の砲戦力を全廃することなど到底採りうる方策ではなかったというのが現実である。大和型以前の日本戦艦、つまり建造から20年近く経過した旧式戦艦では、海軍軍縮条約失効後に建造される他国の新戦艦に対抗出来ませんでした。しかも、大和型が計画された当時はまだ、澄川2佐が言うように、航空機による戦艦撃破は一度も実証されていません。実験では撃破の可能性が示唆されていたものの、停泊中の戦艦に対しては1940年のタラント空襲と1941年の真珠湾攻撃、作戦行動中の戦艦に対しては1941年のマレー沖海戦が起きるまで実例がありませんでした。このため、対抗上新戦艦が必要だったのです。
出典:澄川浩「日本海軍と大艦巨砲主義」朋友26巻4号
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| サウスダコタ級戦艦マサチューセッツ(写真中央、ウィキメディア・コモンズより) |
大和型が巨砲を持って生まれたのも理由があります。当時の日本の国力では空母建造と並行して戦艦を揃えるのは不可能なため、建造出来る戦艦の数は限られました。数の劣位を、質でなんとか埋めようとしていたのです。戦艦は最も大量生産からかけ離れた兵器で、アメリカでも戦艦を同じ海域に大量投入する事は難しかったため、この考えはそれなりに説得力がありました。
大和型が活躍出来なかったのは何故?
しかしながら、大和型建造が大艦巨砲主義によるものではないとしても、大和型はさして戦果を挙げていません。この事実は、大艦巨砲主義の欠陥を説明する上で、よく根拠として出されているものです。トラック泊地に投錨したままの状態が多かった大和は、「大和ホテル」とアダ名されたと言われています。ソロモン諸島やニューギニアで熾烈な海戦が行われ、アメリカの新戦艦サウスダコタ、ワシントンに戦艦霧島が撃沈される戦艦同士の砲撃戦も発生していましたが、大和はそれに加わりませんでした。この原因として、城西国際大学の森雅雄准教授はいくつかの説を挙げています。
- 大和には聯合艦隊司令部が置かれているので容易に移動できない
- 燃料の不足(宇垣纏第一戦隊司令、淵田美津雄航空参謀ら)
- 怯懦(きょうだ)のせい(御田俊一)
このように推測出来る理由は複数ありますが、だからと言って戦艦が活躍出来なかった訳ではありません。森准教授・澄川2佐共に、日本が保有する戦艦で最も古い金剛型4隻が忙しく太平洋を行き来し、戦艦同士の戦闘から陸上砲撃、艦隊護衛と幅広い任務で活躍を見せている事を指摘しています。最古参の金剛型でこれですから、最新の大和型が活躍出来ない道理は無いのですが、結局のところ、日本海軍は大和型に活躍の場を与えることが出来なかったのですが、上述の理由の通り、それは大艦巨砲主義に由来するものではありませんでした。
国民が望んだ大艦巨砲主義敗北論
さて、ここまでで日本海軍は大艦巨砲主義のように凝り固まった思想で大和を建造したのではなく、むしろ航空戦力への投資に重点を置きつつ、それなりの妥当性を持って大和の建造に臨んだ事がご理解頂けたと思います。しかしこうなると、なんで大艦巨砲主義を信奉した日本海軍は敗れた、という言説がこれまでまかり通って来たのでしょうか?
このような戦後の「大艦巨砲主義批判」について、森准教授は「この批判はイデオロギーであると断じる」と結論付けています。
森准教授は最も早い1949年に出された日米戦回顧録である高木惣吉「太平洋海戦史」に着目し、その中に書かれた日本が初戦の勝利に驕って航空軍備拡張に立ち遅れたという記述が、「太平洋海戦史」の1年半後に出版された淵田美津雄・奥宮正武「ミッドウェー」で「戦艦中心主義の時代錯誤」が加えられ、それがベストセラーとなった事を指摘しています。「大艦巨砲主義」を理由とした敗戦は、物量に負けたという実感的な理由よりも、「より周到であり反省の契機もあって、より上等で良心的で服従するに足りるように見える」(森准教授)ので、国民に受け入れられたのです。
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| 淵田・奥宮著「ミッドウェー」。(Amazonより) そりゃ、著者が航空参謀だから戦艦を悪く書くよね…。 |
一方、澄川2佐はもっと容赦の無い結論を導いています。
戦前の戦争計画では、侵攻してくるアメリカ海軍の戦力を削りつつ、最終的に日本の委任統治領である南洋諸島で決戦を行って撃滅する想定でした(漸減作戦)。戦中の日本海軍はその為に航空戦力・空母戦力の整備に注力し、1944年にほぼ企図した通りにマリアナ沖海戦が展開され、その結果日本は一方的に敗北しました。このように澄川2佐は、日本海軍の想定通りに進んだけど負けた事を指摘しており、アメリカに戦争を挑んだ事自体が敗因だと結論付けています。対アメリカを想定して戦争準備してきたのに、アメリカに戦争を挑んだ事自体が敗因だとすると、大艦巨砲主義・航空主兵思想以前の問題です。
大和建造が間違いだったのではなく、日本人が選んだ道である対アメリカ戦争そのものが間違っていたという結論は、日本人にとって、残酷で不都合な真実でもありました。敗戦の理由を知りたがっていた日本人にとって、「航空戦力を軽んじた大艦巨砲主義」というのは、自分が傷つかない心地よい敗因だったのです。戦後に「大艦巨砲主義批判」を行った人も同様で、批判者に南雲艦隊の源田実航空参謀や、先述の淵田・奥宮両氏のような航空参謀出身者が多い事からもそれが伺えます。敗因を大艦巨砲主義のせいにすれば、航空参謀としての自分の責任を回避でき、自分は傷つかずに済みます。
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| 戦艦大和(ウィキメディア・コモンズより) |
間違った戦争のおかげで大した活躍も出来ず沈んだ大和は、日本人にとって「間違った選択」の象徴として祀り上げるには都合の良い存在だったのです。本当はもっと根本部分で間違えていたにも関わらず、です。
日本国民にとって、なんとも歯がゆい結論に至ってしまいました。しかし、戦後70年を経た今、これを読んでいるほとんどの方は、大戦の問題からは自由なはずです。そろそろ本当の敗因を見つめ直し、誤った選択を繰り返さないために考えてみるべきではないでしょうか。そして、大艦巨砲主義の象徴のような不名誉かつ誤った扱いから、彼女らを解放してあげてもいいと思うのですが……。
【参考文献及び資料】 森雅雄「イデオロギーとしての「大艦巨砲主義批判」」,『城西国際大学紀要』第21巻 第3号 国際人文学部,2012年
「大艦巨砲主義批判」の言説を検証し、イデオロギーと結論づけている。その過程において、これまで大艦巨砲主義の証拠とされてきたものの不確かさ、誤謬について指摘し、米海軍における機動部隊の編成等の比較を行っている。米海軍の戦艦愛が伝わる発言集もいい。ネットで読めます。
澄川浩「日本海軍と大艦巨砲主義」,『朋友』26巻4号, 2000年
航空自衛隊の部内研究誌に掲載された論考(階級は当時)。日米のデータ比較と実際の戦況から、漸減作戦、艦隊決戦思想までに及ぶ批判に対して反論を行っており、主張が極めて明快。ネットで読めないけど、コピー入手してでも読む価値あり。
トシ・ヨシハラ「比較の視点から見た接近阻止―大日本帝国、ソ連、21世紀の中国―」
米海軍大学の中国専門家による接近阻止戦略の比較。米海軍に対する接近阻止戦略について、日本帝国の漸減作戦、旧ソ連の集中的ミサイル攻撃、現在の中国のA2ADを比較し、その共通点、相違点を考察。そして、現在において米中戦争が生起した場合、凄惨なものになると予測している。ネットで読めます。
※Yahoo!ニュースからの転載



