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「お上がやるのは、京都ではない」――町に新しいソフトウエアを走らせる - PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭 組織委員会会長長谷幹雄氏インタビュー

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京都で初となる現代芸術祭が開催中だ。21の国と地域から40組のアーティストが参加し、京都市美術館をメイン会場に、市内8カ所のサイトで展示やインスタレーションが行われている。

「トリエンナーレ・ブームとでも呼べる現在の状況を生み出したのは、やはり2000年に始まった大地の芸術祭と翌年にスタートしたヨコハマトリエンナーレの二つであろう」(吉本光宏、2014、「トリエンナーレの時代——国際芸術祭は何を問いかけているのか」、ニッセイ基礎研レポート2014-03-31)と言われるように、この十数年で、国内のビエンナーレ(2年に1度)、トリエンナーレ(3年に1度)と呼ばれる美術展覧会は、国際/現代美術に絞っても20近くまで増加した。

京都での開催は「都市型芸術祭の真打ち登場」といった印象だが、大地の芸術祭の参加アーティストが148組、ヨコハマトリエンナーレが109組でスタートしたことを考えるとそれほど大規模とはいえない。少数精鋭を狙うのか? 古都で現代美術をやる意図は? PARASOPHIA実行委員会会長の長谷幹雄さんにお話をうかがった。(取材・構成/長瀬千雅)

京都のイメージに甘えていてはダメ


――町とアートの関係を、京都のみなさんはどう考えて、今回の展覧会の実現に向かわれたのかということをお聞きしたいと思っています。長谷さんは京都経済同友会の代表幹事でもいらっしゃいますよね。なぜ京都で現代美術をと思われたのでしょう?

正直に言って私は現代美術については門外漢で、これをやってはじめてわかったようなことがたくさんあります。

もともと私は建築が好きで(注:長谷さんは京都を中心にビルやマンションを持つ、不動産会社・長谷本社の会長)、芸術祭の発想のきっかけも、2010年にヴェネツィアの建築ビエンナーレに行ったことでした。2009年ぐらいから、京都の西野山というところで、「NISHINOYAMA HOUSE」というプロジェクトを建築家の妹島(和世)先生とやっていましてね。でも、進まへん。

――どうしてですか?

先生、忙しいから。

――(笑)なるほど。

京都の郊外に長屋スタイルの集合住宅を作ろうというプランはあって会議をしていましたから、まったく進んでいないわけではないんですが、そのうちにプリツカー賞をもらうでしょ(注:2010年に建築家西沢立衛氏とのユニット「SANAA」として受賞)。ますます遅れていくわけ。

――妹島さんがランスのルーブル美術館別館を手がけていたのもそのころでしたでしょうか。

あれはもう進んでいました。ランスのオープニングも行きましたよ。すばらしかった。パリに行けば、ブーローニュの森の一角にフランク・ゲーリーが設計したルイ・ヴィトン財団美術館があるわけでしょう。

そういうものに触れていると、京都も、古い町並みも大事だけど、誰か若い才能に大きなプロジェクトをまかせて、それがあるだけで人が来るようなものを京都会館の横にでもぶわーっと建てなさいと、そういう思いも持つわけですが、ともかくそういうことで、妹島先生がヴェネツィア・ビエンナーレの建築展のディレクターを務めた時に見に行ったわけです。それで、京都にこういうソフトがあるだろうか、いや、あるべきだと。

それがちょうど経済同友会の代表幹事になるのと同じ時期で、新しい芸術の祭典を京都で、同友会としてやろうということで、勉強し始めました。

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京都・岡崎エリアにある京都市美術館。玄関前に木の建物が増設されていて、反対側に回るとチケットブースになっている。アーティストの名和晃平さんによるもの。 写真撮影:長瀬千雅(以下同)

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長谷幹雄さん。

――同友会のメンバーから反対の声はなかったんですか。

全員反対でした(笑)。反対というよりも、なんのことかわからない。今度の代表幹事、なんかやりたい言うとるで、かなわんさかいにやめさせて、と。

――説得するのに、心が折れそうにはなりませんでした?

それは、やらない方が楽ですよ。任期4年、今までと同じことをやっていれば無難です。せやけど、いったん引き受けた以上は、業績を残したいとかでなしに、「こうすれば京都にとってすばらしいことになる」と信じることを、やろうやないかと。

――しかし、京都は今でも十分に観光客が来ていて、何も困っているわけではないのだから、無理にやる必要はない気もします。

いや、僕はそうではないと思う。京都やからということに甘えていてはダメだと思う。ヴェネツィアでも、美術と建築がありますが、要するに毎年何かやっているわけでしょう。その他に映画祭もある。そういうソフトが京都にあるんですかと。

祇園祭や、日本美術、骨董品、お寺、そういうものはありますよ。でもそのイメージに甘えているのと違いますか。たとえば今年は琳派400年を記念した事業が行われていますが、もちろんそれはそれとしてあっていい。その当時の最先端だったんですから。

それと同じように、今の最先端を積み重ねていかなければいけないわけです。今まで食いつぶした歴史遺産の目減り分を埋めていかないといけません。そうしないと京都は新しいものになっていかない。

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