先日、元衆議院議員梶山静六先生のお墓に参ってきました。平成10年4月に発行された「愛郷無限」在職25年表彰記念誌を、財務省勤務だった高校の先輩が「読んでみろ」と貸してくれました。学生時代に、叔父に連れられて国会の梶山事務所を訪れたことがあります。秘書(私設)にどうかという話があり、梶山先生に面接しました。秘書は自民党党員でなければならないということになって、結局、採用されませんでした。
梶山先生は、昭和44年(1965年)に衆議院議員に初当選し、ただ一回の落選がありましたが、盤石な地盤の下に当選を重ね、自治大臣、通産大臣、法務大臣、内閣官房長官、政権党である自民党幹事長として、まさに権力の中枢で活躍した政治家です。茨城県初の総理大臣になるかという期待がありましたが、交通事故により体調を崩して平成12年(2000年)6月に死去しました。
ふるさと創生事業は、今から約30年前、バブル経済の中行われた政策事業で、当時の竹下登首相が発案し、地方交付税交付団体の人口の大小を問わず市町村一律に1億円を交付、その使い道について国は関与せず、地方自治体が自ら創意工夫し地域の振興を図るというものでした。「愛郷無限」を政治信条にしていた自治大臣梶山静六先生が積極的な立場で「ふるさと」の名にちなんで「ふるさと創生事業」と名付けました。
1億円を受け取った各自治体は、地域の活性化などを目的に観光整備などへ積極的に投資し、経済の活性化を促進しました。しかし、無計画に箱物やモニュメントの建設・製作に費やしたりした自治体もあり、無駄遣いの典型として批判されることも多かった政策でした。一方で、使い道に困った自治体の中には、「基金」として積み立てたことを選択するところも多かったようです。自治省(当時)の担当者は、「仮に酒を飲んでしまっても、経理の問題にすぎず、悪いことではない」という考えを述べて、「何でも使ってください。その代わり良い事業をやったところは評価されるでしょうし、ろくなことをやらなかったところは笑われるでしょう」とコメントしたようです。
阿見町では、ふるさと創生1億円を「阿見町ふるさと創生基金」として積み立てて、平成2年から町全体の祭りとして「まいあみ祭り」が企画されました。現在では、町民自らが運営する祭りとして町を代表するビックイベントになっています。意義ある使い方と評価されると思います。毎年8月第1土・日曜日、医療大学と総合福祉会館前の通りをメーン会場に開催されています。
そして地方創生ですが、国がさまざまなメニューを提示し、手取り足取り指導するという形になっています。しかも、中央官庁から地方にアドバイザーとして派遣もするというおんぶに抱っこの面倒見の良さです。しかし、厳密な検証を義務付けるなど、地方にとってはなかなか厳しいものとなっています。地方分権、地方主権とは名ばかりであることがよく分かる事例です。現在の菅官房長官は、梶山先生を師と仰ぐ人物です。今回の地方創生というネーミングは、梶山先生に対するリスペクトだと思われます。
梶山先生の業績で忘れることのできないものは、国家公安委員長として、1988年に国会の質問に答えて、北朝鮮による日本人拉致を政府として初めて認めたことです。しかし、それから30年になっても解決しません。阿見町では議員会が主催し「北朝鮮による日本人拉致被害者救出集会」を行いました、さらに国民の声をあげなければならないと、改めて感じています。