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特集:ロシア出張報告〜ウクライナ、経済制裁、歴史問題

3月3日から7日にかけて、モスクワに出張してきました。日露専門家会議(日本側:安全保障研究会=袴田茂樹会長、ロシア側:カーネギー・モスクワセンター=D.トレーニン所長)に出席するためです。同時に外務省、経済発展省、極東発展省、日本大使館などを訪れる機会もあり、「今のロシア」を効率よく見てくることが出来ました。

思えばロシアによるクリミア編入があってからほぼ1年。この間のロシア情勢はまさに急展開を見せました。ウクライナ問題、経済制裁の是非、中国との関係、歴史問題、そして極東開発など、多くの論点があるところですが、以下はチャタムハウスルール1の範囲内で、モスクワでの見聞をお伝えしたいと思います。

1英国シンクタンク「チャタムハウス」に由来する会議のルール。その場で得た情報を外部で引用してもいいが、発言者を特定してはならない。参加者が自由な立場で発言できるように促すための仕組み。

●シニカルからヒステリックに?

筆者がこの会議に参加するのは3回目となる。ソ連時代から数えて31回目という日露専門家会議の歴史においては、新参者もいいところである。少ない経験の中での印象で言わせてもらえば、ロシア人とは「シニカルなリアリスト」である。ところが今回はその雰囲気が一変していた。極端に言うと、「ヒステリックなナショナリスト」になっていた。もちろん、「憂鬱なるインテリゲンツィア」という外見は以前のままなのだが。
前回、東京で行われた同会議は2014年2月3~4日、つまりソチ五輪の開会式直前に行われた。ゆえに今回の会議では、「ウクライナ問題以前と以後」のロシアの変化がくっきりと浮かび上がることとなった。

以下のようなやり取りが、モスクワ滞在中に何回繰り返されたことか。

ロシア:なぜ日本は対ロ経済制裁に参加したのか。
日 本:武力による国境変更は許されない。ウクライナの主権侵害に対して抗議する。
ロシア:それは日本には関係がない問題である。経済制裁は日ロ関係を損なっている。
日 本:アジアでは中国による現状変更の試みが行われている。日中・日韓で領土問題を抱える日本としては、現状を見過ごすことはこれらの国に間違ったメッセージを与えることになる。
ロシア:日中、日韓関係の問題を、なぜロシアに持ち込むのか。
日 本:そもそもG7で、領土をロシアに奪われたことがあるのは日本だけである。ウクライナの問題は日本にとって他人事ではない(クリミア≒北方領土論)。
ロシア:その2つは同列には論じられない。ウクライナ南東部の犠牲はキエフの無責任な政策によるものである。ミンスク合意を守らないのはウクライナ側である…(以下略)

「領土変更を認めない」「国際ルールの重視」といった建前論はいったん脇に置くとしても、そもそもG7の一員であり米国と同盟関係にある日本が、現実問題として対ロ経済制裁に参加しないはずがないのである。このことは、本来の「シニカルなリアリスト」にとっては一目瞭然のはず

ところがロシア側は感情的になっている。そしてクリミア編入の正当性を訴えるのであるが、それが途中から西側諸国への批判に転化する。以下のような欧米の行為は「裏切り」以外の何ものでもないのだが、まるで「恨み節」のようにも聞こえる。

●「東西ドイツ統合の際に、コール首相はNATOの東方拡大をしないと約束した。それが今ではバルト3国に加えて、ウクライナまでEUやNATOに入りかねない」(1989年)
●「コソボ紛争でも、西側は国連安保理の議決を経ずに空爆に踏み切った」(1998年)
●「9/11テロ事件後にプーチン大統領は、寛大にも中央アジアに米軍基地を設けることさえ認めた。ところがブッシュ大統領はABM条約からの一方的脱退で応えた」(2001年)
●「さらにイラク戦争での武力行使はいったい何だったのか」(2003年)
● 「ウクライナで親ロ政権を倒したオレンジ革命では、西側による影響力行使があったのではないか」(2004年)

いかんせん10年以上前の古い話ばかりである。
変な連想になるが、熟年離婚に踏み切ったカップルが、「相手に対して何が不満だったのか?」と聞かれたときに、得てして挙げるのは10年くらい前の話なのだそうだ。聴いた側は驚いて、「そんなこと、皆とうに忘れている」とか、「なぜその時に文句を言わなかったのか?」などと余計なことを聞いてしまうのだが、感情的になっている相手に対しては言うだけ野暮な問いかけというものであろう。

●モスクワは孤立を恐れない

2年前のロシア出張の際には、筆者は「①セキュリティ重視、②伸縮自在性、③究極のリアリスト」という3点を、ロシア外交の特色と評したものである2。ところが今回は、①経済性よりも安全重視という点はあいかわらずでも、②伸縮自在どころか非常に頑なな態度を取り、③いささかナショナリスティックになっている。しかし本来、自国が不利な状況に置かれたからと言って、自棄になるような人たちではないはずなのである。

それでも西側に対する古い不満が噴出してくるのは、ロシアにとって1990年代のトラウマがそれだけ深いからであろう。ソ連邦は1991年に分裂し、社会主義の理想は失われ、経済は低迷が続いた。1998年にはロシア国債がデフォルトに追い込まれている。当然、対外的にもほとんど自己主張ができない状態が続いていた。

ところが2003年以降は石油価格の上昇により、ロシア経済は急速に改善し、プーチン政権の下で国力を回復していく。2008年にはグルジア侵攻という形で、久々に自己主張を通している。また2013年のシリア問題では、優柔不断なオバマ大統領の鼻を明かして外交的勝利に沸いた。直近10年の対外関係については、それほど不満はないはずである。

「西側は、所詮は口先だけだ」という冷徹な計算も働いているのだろう。ウクライナの親ロ派軍は強い。逆にウクライナ軍は弱い。そしてNATO軍は本気で介入するつもりはない。逆にロシア側は、ここは孤立しても容易に妥協はしないという覚悟がある。そして米国は腰が引けていて、せいぜい武器供与を検討するくらいである。

今のロシアの雰囲気を物語るひとつの材料として、3月5日付のモスクワ・タイムズの記事をご紹介しておこう。
○How Soviet Terms Are Creeping Back Into Russian
By Michele A. Berdy (Mar. 05 2015 18:15)3
Use of the phrase пятая колонна (the fifth column, i.e., a group that undermines a nation/army/structure from within) peaked during the Great Patriotic War. After decades of dormancy, usage has picked up. Now in some political circles, пятая колонна, предатель (traitor), and оппозиция (opposition) are synonyms.
つまりソビエト時代の用語が復活していて、その中には「第五列」とか「売国奴」、「反体制」などといったボキャブラリーが入っているとのこと。「第五列」という言葉は久々に聞くが、スペイン内戦時に端を発する用語で、要は「国内のスパイや敵国協力者」のことを指す。つまり今のロシアでは、「敵国の策謀に乗せられてはなるまいぞ!」という警戒感が生じているわけだ。

現地の日本人記者によれば、「当地では、テレビも新聞も連日のように欧米批判、ウクライナ叩きの報道ばかり。まだしも、ネット空間の方が理性的な議論をしているくらいです」とのことであった。ネット上で過激な意見が飛び交う日本社会は、まだしも健全ということになるのだろうか。

2本誌2013年3月25日号「ロシア出張報告~領土、外交、そして経済」を参照。
3http://www.themoscowtimes.com/opinion/article/how-soviet-terms-are-creeping-back-into-russian/517069.html


●ロシア経済への「三重苦」

問題は、このままロシア経済が持ちこたえられるかどうかである。
すなわち、①石油価格は半値近くになり、②為替レートも対ドルで半値となり、そして③経済制裁が行われている。いわば「三重苦の冬景色」で、今年はマイナス成長が必至であろう。インフレ率も1月は前年比15%に達し、長期金利(10年物)も12%と高い。

○石油価格とルーブルの対ドルレート


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「ロシア経済の実態は“北のサウジ”」という悪口がある。国家財政の半分を石油収入に頼っている姿は、産油国経済とたいして変わらないというのである。

上の通り、石油価格と為替レートをグラフにしてみると、過去には石油価格が大きく変動した際も、ルーブルの対ドルレートは大きくはブレなかった($1≒RUB30)。それが今回は、大規模な資本流出が起きるとともに通貨価値が半減している。結果として、ルーブル建ての石油収入はほとんど変わらない。すなわち、以前の1バレル100ドル=3000ルーブルが、今は1バレル50ドル=3000ルーブルとなっただけである。しかるに国民の購買力は半減したし、ロシアの金融機関や大企業は外貨調達に苦労している。

外貨準備その他が積み上げてあるので、プーチン大統領も言っている通り、今のままでも向こう2年程度は持ちこたえるだろう。しかるにその間に原油価格が元に戻るという保証はなく、ウクライナ問題でロシアに対する支持が広がるとも考えにくい。ロシア経済は勝ち目の薄い籠城戦を戦っているように見える。

そして経済制裁には、以下のような問題点がある。

気軽に実施できてしまう。特にロシアとの経済関係が薄い米国は、リスクをほとんど感じなくて良い。米国企業などは慣れていて、上手に「抜け穴」を作っているようだ。
止めるタイミングが難しい。日本の対北朝鮮制裁が典型的だが、相手が行動を改めてくれない限り制裁は解除できない。しかるにそういうことは滅多に起こらない。
効果を正確に計測できない。相手国の経済が悪化しても、どこまでが制裁の効果なのか、そうでないのかが分からない。逆に相手国の恨みは確実に買う。
仕掛けている側も損をする。今回も、ロシア向けの欧州産農産物輸出は大きく影響を受けている。日ロ間の貿易量も前年比で落ち込んでいる。

対ロ制裁の長期化は、世界経済にとって確実にマイナスとなるだろう。かといって、ウクライナ問題が早期に解決するとは思われないのが、まことにツライところである。

●「戦後70年」にロシアが投じたカード

こうして考えてみると、ロシアが中国との連携を求めるのは無理からぬことと言える。とはいえ、中国は簡単にゲタを預けられる相手でもない。ここで日本として気になるのは、「戦後70年」をめぐる中ロ連携である。

今週はメルケル独首相が訪日し、安倍首相との間で首脳会談を行った。6月のG7サミットの打ち合わせが主要議題であり、それに沿ってウクライナ問題、テロ対策、原子力政策なども協議されたと報道されている。

表には出てこなかったものの、確実に話し合われたはずの案件がひとつある。それは5月9日にロシアで行われる「対独戦勝利70周年記念式典」に出席するか、欠席するか、である。オバマ大統領は早々と欠席を表明しているが、仮に日独が揃って出席するとなると、これは大きなインパクトがありそうだ。

日本から帰国した直後の3月11日に、ドイツ政府はメルケル首相が式典を欠席することを発表している。それと同時に、式典翌日の5月10日に訪ロし、プーチン露大統領と共に無名戦士の墓を訪れることを提案している。ウクライナ問題がある手前、ロシアの招待にはさすがに受けられないが、戦後70周年の「慰霊」は欠かせないということであろう。この判断の背後に、安倍首相との意見調整があったことは想像に難くない。

日本にとってこの問題が微妙なのは、9月3日に今度は中国が「抗日戦線勝利70周年」を予定しており、中ロの首脳が相互訪問することになっているからだ。5月9日はドイツが主役だが、9月3日の主役は日本となる。この日程の直前、8月15日には「安倍談話」が予定されていて、習近平国家主席はその直後に米国を公式訪問することになっている。いわば「戦後70年」イベントのハイライトということになるだろう。

もっともこの問題には、「そもそもの歴史認識として、日本とドイツは立場が違う」との指摘もある。詳しくは、日露専門家会議における日本団長である袴田茂樹教授の論考をご参照いただきたい(「歴史を修正しているのは誰か」産経新聞「正論」2月6日掲載)4

すなわち1945年5月9日の時点では、日本は日ソ中立条約を守っていた。ソ連がドイツに勝てたのは、極東の軍隊を西方戦線に投入できたことが一因だった。ところがソ連は終戦間際になって対日開戦し、北方領土を奪って行った。ロシアの歴史認識をそのまま受け入れるべきではない、というのである。

5月9日のロシアからの招待に対して、安倍政権はまだ回答していない。「年内のプーチン訪日」をも見据えて、果たしてどんなボールを投げ返すべきか。多くのプレイヤーの思惑が交錯するだけに、さまざまな選択肢が考えられるところである。

4 http://www.sankei.com/column/news/150206/clm1502060001-n1.html

○今後の主要政治外交日程

4月初旬    2015年度予算成立
4月12日    統一地方選挙(都道府県・政令指定都市)
4月22日    統一地方選挙(その他の市町村)
4月末?    安全保障関連法制改正の審議始まる
5月大型連休  安倍首相が訪米
5月9日     ロシアが対独戦勝利70周年記念式典
6月7-8日    G7サミット(ドイツ・エルマウ城)→2016年は日本が議長国
6月18日    日韓基本条約締結50周年
7月8-9日   BRICS首脳会議(ロシア・ウファ)
7月10日   上海協力機構会議(ロシア・ウファ)
7月中     米中戦略・経済対話(米)
8月15日   戦後70年(安倍談話)
8月中     安全保障関連法制の改正が成立(国会会期は大幅延長)
9月3日    中国が抗日戦争勝利70周年記念式典
9月15日~  国連総会、習近平国家主席が訪米
9月末      自民党総裁選(→安倍総裁再選?)

●プラグマティズムは極東開発に健在

今回の日本側参加者の一人、伊奈久喜・日経新聞特別編集委員は、「これだけ両国関係が冷え込んだのは、1976年の日ソ外相会談以来かもしれない」と漏らしていた。

1976年と言えば、ソ連のベレンコ中尉が乗ったミグ25型機が日本に亡命した年である。ソ連は「戦闘機には指一本触れずにそのまま返せ」とねじ込んできた。冷戦真っ只中のこともでもあり、当時の世論には「おっかないから、ソ連の言う通りにしよう」との声も少なくなかった。しかし領空侵犯してきた戦闘機を、そのまま先方にお返しするという「常識」は存在しなかった。当時の最新鋭機であったミグ25型機は、日米の専門家の手で分解されて、徹底的に分析されることとなった。

その後、ニューヨークの国連ソ連代表部で行われた日ソ外相会談は、「水も出ない」ほど険悪なものになった。グロムイコ外相と小坂外相は、互いに激しい言葉を交わしたと伝えられている。とはいえ、こういう場合に時折あることだが、日ソ間には「お互いに相手が国のために、そこまで言ってくることに対して敬意を表する」図式が成立した。だから、後腐れはほとんどなかった。それが証拠に、この1976年の亡命事件は皆が忘れている。かくいう筆者も、ベレンコ中尉という名前を久々に思い出したくらいである5

やはりロシア人は究極のリアリストなのである。おとなしく手つかずの状態で機体を返していたら、「やはり日本人はいいカモ」だと思われていたことだろう。いわばバザール商人に対して、最初に吹っかけられた言い値を払ってしまうようなものだ。ロシア人と付き合うためには、ときには真剣にやりあう場面が必要なのである。

その場の空気を読んで、相手が望んでいるようなことを言ってしまう相手は、ロシア人は口先では褒め称えるだろうが、きっと心の中では見下していることだろう6。逆に言えば、北方領土問題で粘り強い交渉を続けて諦めない日本外交に対しては、ロシアは何がしかの敬意を有しているはずである。

そういう意味では、ウクライナ問題をめぐって日ロ間の意見が衝突するのは、むしろ健全なことと言うべきかもしれない。
最後に、いろんな場所で「ナショナリストになったロシア人」と向かい合った出張だったが、経済発展省と極東発展省を訪れた際の印象はまったく違っていた。これらの省庁では、ロシア経済の発展のために日本からの投資を切に求めている。実務的な官僚が居て、ビジネスライクに仕事をしている。極東発展省などは、日本語の分厚いパワーポイント資料を用意していて、これはこれでロシア的な光景と言える。

経済発展省での懇談の際に、「ロシア経済の構造改革をどのように進めていくのか」という筆者の質問に対し、幹部の答えは以下のようなものであった。
「ここ10年ほどの石油価格上昇時代は、社会インフラへの投資が進み、ロシア経済は好調であった。しかしその間に独占が進み、競争が減り、不明朗な投資が増えてしまった。むしろ低価格であった2000年から2003年の間に最も改革が進んだ。石油価格が下がった今こそ、改革を進めなければならない
ウクライナ問題で国全体がヒステリックになっていても、自分たちの問題の所在がしっかりとわかっている人たちがいる。ということは、ロシアはいずれ元のリアリストに戻るのであろう。日本としては、辛抱強く付き合っていくほかはない。

5 ウィキ情報によれば、亡命後はトム・クランシーの処女作『レッドオクトーバーを追え』に対して助言しているとのこと。ショーン・コネリー主演の映画のモデルとなったと言ったら大袈裟だろうか。
6 どこかの元首相のことを言っているわけです、もちろん。

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