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「ハンセン病制圧活動記」その23―ミャンマー―

長島愛生園機関誌『愛生』
2014年6月号


 2014年6月29日、ミャンマー最大都市ヤンゴンの郊外にあるハンセン病回復者の住むマヤンジャウン村を訪問した。この村には1953年にミャンマー政府がハンセン病患者を隔離するための国立ハンセン病療養所を建設したが、1989年に隔離することはハンセン病対策に益がなく社会復帰の問題を生むだけと療養所を廃止し、ハンセン病患者・回復者たちを村に定住させたという。

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マヤンジャウン村を訪問


 実はこの村の代表者たちとはちょうど10年前にヤンゴンのホテルで面会したことがある。私の訪麺にあわせてわざわざ会いに来てくださったのだ。その時から、いつか村を訪問したいと考えていたのでようやくその願いが叶うこととなった。

 ミャンマーは1988年前後には人口1万人あたり患者数が約40人という高い数値だったが、ハンセン病患者の発見と治療薬の配布が一般保健サービスに統合されたことをきっかけに、国全体でハンセン病制圧キャンペーンを実施した結果、2003年に世界保健機関(WHO)が定める人口1万人あたり1人未満という制圧目標を達成している。

 しかし、回復者の数は約30万人と言われており、そのうち4〜6万人に障害が残っているという。そして毎年3,000人の新規患者が発見されている。今回の村訪問に同行してくれた保健省のハンセン病担当ミンミントゥン先生はこの新規患者に対する適切な診断と治療を施すことと、新規患者数をゼロにすることが当面の大きな目標であるとおっしゃっていた。

 また、他の国と同様ミャンマーでも社会的差別から、一般社会の中では住みにくくなり、回復者同士でコミュニティーを作りひっそりと生活している回復者の方々が多くいる。冒頭で述べたマヤンジャウン村もそのひとつだ。ミンミントゥン先生がおっしゃった病気面での対策強化に加え、ミャンマー政府にも差別や人権の問題についても是非力を入れて取り組んでいただきたいと思っている。もちろん、そのことは私の役割でもある。

 その役割のひとつと考えているのが、メディアへのハンセン病に対する理解を深めてもらうことである。たびたびメディアから「ハンセン病は治るのか?」「ハンセン病は遺伝するのか?」などと聞かれることがある。このように、ハンセン病に対する知識が乏しいために、「ハンセン病はうつる病気で、治らない」などの間違った情報が国民に届き、このことがいわれのない差別を生んできたことは否めない。同じことが他の国でも起きているため、ハンセン病施設を訪問する際には、なるべくメディアに同行してもらうようにしている。メディアが担う責任は彼らが思っている以上に重いと考えるからだ。そのため、今回のこの訪問にも地元のテレビ局、新聞社、通信社など10社のメディアに同行してもらうように働きかけた。ハンセン病に対する正しい知識を知ってほしいからである。

 マヤンジャウン村は人口約1,600人。約120人がハンセン病の回復者で、そのうちの約60人は村の入り口にあるミッタ・ナーシングホームで暮らしている。このホームは、村の中で1人では生活できない人々のために、1989年に社会福祉省が建設したという施設だ。

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ナーシングホームに住む回復者


 私が到着すると、ナーシングホームの集会所にたくさんの回復者の方々が集まってくださっていた。年配の方がほとんどで、車いすの方も多く見られた。私がメディアを連れて来たことに、中には気を悪くされる方もいるかと思い、最初にお断りさせていただいた。「ハンセン病は神からの罰だとか遺伝病と誤解されることもあるが、ハンセン病は治る病気で、差別するのは間違い。みなさんの時代は病気に対する正しい治療法や、理解がなかったために、悲しい思いをされたことと思う。しかし新しい患者さんたちに同じ思いをして欲しくない。私はメディアには正しい情報を伝えていただく義務があると考えている」と理解を求め、了承していただいた。多くの記者が初めてハンセン病関連施設を訪問したということで、集会所に集まっている方々へのインタビューなどを早々に始めていた。翌日の紙面やネットニュースには、写真入りでマヤンジャウン村に住む回復者やその家族の姿や、ハンセン病は治る病気であるなどの記事が多く掲載された。当事者の方々の生の声や姿、そして正しい現状を伝えてもらういい機会となった。

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メディアのインタビューを受ける


 集会所での会合のあとに、ナーシングホーム内に住む回復者の方々を激励して回った。ホームは、男女に別れた平屋の建物の中に病院のようにベッドが並び、その他には食堂と台所があるだけのシンプルな建物だ。ほとんどが年配の方だが、若い男性が数名いたことがやや気になった。手足顔に後遺症が残っており、なぜもう少し早く治療ができなかったのかを尋ねると、口を揃えて「生活のために働かなくてはならなかったので病院に行かなかった」とのこと。この言葉は本当かもしれないが、もしかすると、差別を恐れて病院に行かなかったのではないかという疑念がぬぐえない。

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ホームに住む若い男性

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ナーシングホーム


 そんなことを考えながら、次に案内されたのは村の中心にあるキリスト教の教会であった。村の中は、悪路が続く。ミンミントゥン先生によると、昔、この道は住民の行き来をなるべくさせないようにあえて悪路にしたとのことでその名残が残っていたのだ。

 この日は日曜日だったため、教会では礼拝が行われていた。その中に回復者の方々やその家族や子供たちの姿もあった。礼拝を中断し、私のために回復者の方々が集まってくれた。その中にいた両足の不自由な女性は「ハンセン病にかかり、家族から捨てられた。偏見が悔やまれる。しかし、生きていること、食べ物や生活に困っていないこと、すべて神様のおかげ」と話してくれた。その後に、みなさんで歌を2曲披露してくださった。歌声を聞きながら、“生きる”ことを確認しながら、信仰によって生きていらっしゃる姿に思わず涙がこぼれた。

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教会で歌を歌ってくださった方々


 実は今回、ナーシングホームを訪問した時に、ある想いが私の脳裏をかすめた。私が初めてハンセン病の施設を訪問したのは1965年の韓国の療養所である。その時に初めてハンセン病が進行し、手足が変形し、顔の形状が崩れてしまった人々が隔離され、肩を寄せ合って暮らしている様子を目の当たりにして衝撃を受けた。その時のことを思い出していたのだ。

 世界には家族から見放された人がまだまだたくさんいる。これからも一人でもそのような人が増えないように、私の余生を捧げたい。

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