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- 2011年07月03日 01:00
「頑張ろう日本」「ひとつになろう日本」というフレーズ
最近FC2の方は筆が滞りがちですみません。(いつかは元のペースに戻しますので^^;)
原発についてもいろいろ書かねば、とは思っているのですが、リンク先のkojitakenさんや村野瀬玲奈さんがいつも良エントリーをあげてくださっており、私もおふたかたの主張に賛同しています。
お二人は多角的に原発問題をとらえてらっしゃいますし、特にkojitakenさんの電源三法については必読だと思います。
私のブログに来てくださる方々はおそらく両ブログをご覧になっていることとは思いますが、まだの方は是非お読みください。
ということで、原発問題の重要部分は勝手にお二人にお任せしたことにして(勝手な言い分^^;)、私が前々から感じていたことを少々。
二か月ほど前のことになりますが、東北にエールを送る寄せ書きを目にする機会がありました。CMの影響でしょうか、頑張ろう日本、ひとつになろう日本という類の寄せ書きが目立っていました。
いまだにあちこちで目にする耳にするこのフレーズに、どうしても違和感を覚えてしまいます。
震災復興に向けて一番に頑張る義務を負っているのは言うまでもなく国と東電です。
ところが、国は医師や科学者から非難されている「20ミリシーベルト」を福島の子供たちに押し付けたまま未だにこの基準を撤回しません。そして先日福島市に住む子供達の尿からセシウムが検出され、内部被曝していることが明らかになりました。
しかしいずれも国は何の根拠も示さないまま「直ちに影響はない」「健康に問題ない」の一点張り。
福島の子供達を見殺しにするような真似をしておきながら「ひとつになろう」ってどういうことでしょうか?
「ひとつになって頑張る」のなら、何故国は震災復興財源のためと称して消費税を10%にあげることばかり俎上にあげて経済的弱者にばかり負担を押しつけようとするのでしょうか?何故内部留保をため込みまくってる大企業、高額所得者にもっと負担を求めないのでしょうか?
「ひとつになって頑張る」のなら、何故共産党以外の与党野党の政治家の皆さんは、年間何十億にも及ぶ政党助成金を率先して返還し、震災復興に当てようとしないのでしょうか?公務員の人件費カットなんかよりはるかに理にかなっているではありませんか。
「ひとつになって頑張る」のなら、与党も野党もどう見てもただの党利党略、我欲にまみれた権力闘争でしかない「菅降ろし」にうつつを抜かしているのはどうしたわけでしょうか?
生活保護を受けている被災者が義援金や東電からの補償金を受け立ったらそれを「収入」として扱い生活保護を打ち切る自治体があるという信じられないニュースがありました。義援金は国や地方自治体が得をするためにみんなが出したわけじゃありません。被災者に血も涙もない仕打ちをしておいて何が「ひとつになって頑張ろう」でしょうか。
東電だって「ひとつになって頑張っている」などとはとても言えません。
建て直しにむけて「ひとつになって頑張る」なら、東電は真っ先に見苦しいゴマカシや情報隠蔽の悪あがきを即刻やめるべきではないでしょうか?
莫大な賠償金をちゃっかり国民に肩代わりさせようと電気料金値上げを申請し、経営陣は給与減額に文句を垂れています。これから東電でもリストラが始まることでしょうが、それだって経営陣は安泰、末端社員から犠牲になることでしょう。
あげくに中電は株主総会で「浜岡原発の早期再開を目指す」と宣言し、東電株主総会も原発撤退の株主提案を否決、勝俣会長の続投を決めました。
現在進行形で福島を中心に広がっている前代未聞の大惨事に対する真摯な反省の態度のかけらも示さず、全国に広がる脱原発・反原発の声を無視する総会決定を出しておいて、何が「ひとつになろう」なのでしょうか?
原発の冷却作業はまさに「貧困ビジネス」の最先端です。今も貧困者を騙して連れてきて、彼らに危険極まりない作業を押しつけておいて、どこが「ひとつになろう」なのでしょうか?
食中毒で死者を出した焼き肉店は叩かれまくって事実上倒産に追い込まれましたが、桁違いの犯罪的大惨事を引き起こした東電に対して国は潰れないよう援助をしようとしています。
このような不公平を見過ごして「ひとつになろう」などと言われても虚しいばかりです。
「ひとつになろう日本」「頑張ろう日本」という類の呼びかけは誰に向けて発信されているのか、もうよくわかると思います。
それは被災者や、被災しなかった一般の庶民です。
つまり下々の者達ばかりに自助努力を求めてるのであって、一つになって頑張るべき者の中には国や東電など、最も責任を負わねばならない者は含まれてないのです。
こうしてみると「皆がひとつになろう日本」「頑張ろう日本」という呼びかけは甚だ馬鹿馬鹿しく偽善的に思えてなりません。
このフレーズは、小泉のワンフレーズ「痛みを分かち合う」を思い出させます。
みんなで平等に痛みを分け合うように見せかけながら実際は多数の持たざる庶民にばかり痛みが押し付けられたのであり、持てる富裕層はちゃっかり痛みから逃れていたわけですが、小泉の「痛みを分かち合う」というフレーズは構造改革のこのインチキを人々の目から隠蔽しました。
「頑張ろう日本」「ひとつになろう日本」にも似たようなマヤカシの匂いがします。
小泉のワンフレーズと同様、実はひとつになって頑張るべき者の中には東電や原発を推進してきた政治家、財界は含まれていないことを見過ごさせるフレーズなのではないでしょうか。
そしてこのフレーズは有無を言わさぬ同調圧力を持っています。
たとえば震災直後の無意味な「総自粛ムード」も、義援金を出してない子供の名前を公表した学校が出てきたのも「ひとつになって」「みんなで」頑張るのを求めたからです。
やがて「復興のためには消費税増税は仕方ない、皆で我慢しよう」が間違いなく控えています。
だから、私は私達市井の人間がこのフレーズを被災地エールとして頻繁に使うことに違和感を覚えるのです。
いつも痛みを押し付けられ、頑張ることを強制される、持たざる庶民。しかし自分達にだけ痛みを押し付けられている現実から目をそらされ、同じ弱者に「みんな苦しいんだ、甘えるな」と圧力をかける悲しい言葉のように聞こえます。
私は、こういう日本的なメンタリティを機会あるごとに指摘することは大事なことと考えています。
原発についてもいろいろ書かねば、とは思っているのですが、リンク先のkojitakenさんや村野瀬玲奈さんがいつも良エントリーをあげてくださっており、私もおふたかたの主張に賛同しています。
お二人は多角的に原発問題をとらえてらっしゃいますし、特にkojitakenさんの電源三法については必読だと思います。
私のブログに来てくださる方々はおそらく両ブログをご覧になっていることとは思いますが、まだの方は是非お読みください。
ということで、原発問題の重要部分は勝手にお二人にお任せしたことにして(勝手な言い分^^;)、私が前々から感じていたことを少々。
二か月ほど前のことになりますが、東北にエールを送る寄せ書きを目にする機会がありました。CMの影響でしょうか、頑張ろう日本、ひとつになろう日本という類の寄せ書きが目立っていました。
いまだにあちこちで目にする耳にするこのフレーズに、どうしても違和感を覚えてしまいます。
震災復興に向けて一番に頑張る義務を負っているのは言うまでもなく国と東電です。
ところが、国は医師や科学者から非難されている「20ミリシーベルト」を福島の子供たちに押し付けたまま未だにこの基準を撤回しません。そして先日福島市に住む子供達の尿からセシウムが検出され、内部被曝していることが明らかになりました。
しかしいずれも国は何の根拠も示さないまま「直ちに影響はない」「健康に問題ない」の一点張り。
福島の子供達を見殺しにするような真似をしておきながら「ひとつになろう」ってどういうことでしょうか?
「ひとつになって頑張る」のなら、何故国は震災復興財源のためと称して消費税を10%にあげることばかり俎上にあげて経済的弱者にばかり負担を押しつけようとするのでしょうか?何故内部留保をため込みまくってる大企業、高額所得者にもっと負担を求めないのでしょうか?
「ひとつになって頑張る」のなら、何故共産党以外の与党野党の政治家の皆さんは、年間何十億にも及ぶ政党助成金を率先して返還し、震災復興に当てようとしないのでしょうか?公務員の人件費カットなんかよりはるかに理にかなっているではありませんか。
「ひとつになって頑張る」のなら、与党も野党もどう見てもただの党利党略、我欲にまみれた権力闘争でしかない「菅降ろし」にうつつを抜かしているのはどうしたわけでしょうか?
生活保護を受けている被災者が義援金や東電からの補償金を受け立ったらそれを「収入」として扱い生活保護を打ち切る自治体があるという信じられないニュースがありました。義援金は国や地方自治体が得をするためにみんなが出したわけじゃありません。被災者に血も涙もない仕打ちをしておいて何が「ひとつになって頑張ろう」でしょうか。
東電だって「ひとつになって頑張っている」などとはとても言えません。
建て直しにむけて「ひとつになって頑張る」なら、東電は真っ先に見苦しいゴマカシや情報隠蔽の悪あがきを即刻やめるべきではないでしょうか?
莫大な賠償金をちゃっかり国民に肩代わりさせようと電気料金値上げを申請し、経営陣は給与減額に文句を垂れています。これから東電でもリストラが始まることでしょうが、それだって経営陣は安泰、末端社員から犠牲になることでしょう。
あげくに中電は株主総会で「浜岡原発の早期再開を目指す」と宣言し、東電株主総会も原発撤退の株主提案を否決、勝俣会長の続投を決めました。
現在進行形で福島を中心に広がっている前代未聞の大惨事に対する真摯な反省の態度のかけらも示さず、全国に広がる脱原発・反原発の声を無視する総会決定を出しておいて、何が「ひとつになろう」なのでしょうか?
原発の冷却作業はまさに「貧困ビジネス」の最先端です。今も貧困者を騙して連れてきて、彼らに危険極まりない作業を押しつけておいて、どこが「ひとつになろう」なのでしょうか?
食中毒で死者を出した焼き肉店は叩かれまくって事実上倒産に追い込まれましたが、桁違いの犯罪的大惨事を引き起こした東電に対して国は潰れないよう援助をしようとしています。
このような不公平を見過ごして「ひとつになろう」などと言われても虚しいばかりです。
「ひとつになろう日本」「頑張ろう日本」という類の呼びかけは誰に向けて発信されているのか、もうよくわかると思います。
それは被災者や、被災しなかった一般の庶民です。
つまり下々の者達ばかりに自助努力を求めてるのであって、一つになって頑張るべき者の中には国や東電など、最も責任を負わねばならない者は含まれてないのです。
こうしてみると「皆がひとつになろう日本」「頑張ろう日本」という呼びかけは甚だ馬鹿馬鹿しく偽善的に思えてなりません。
このフレーズは、小泉のワンフレーズ「痛みを分かち合う」を思い出させます。
みんなで平等に痛みを分け合うように見せかけながら実際は多数の持たざる庶民にばかり痛みが押し付けられたのであり、持てる富裕層はちゃっかり痛みから逃れていたわけですが、小泉の「痛みを分かち合う」というフレーズは構造改革のこのインチキを人々の目から隠蔽しました。
「頑張ろう日本」「ひとつになろう日本」にも似たようなマヤカシの匂いがします。
小泉のワンフレーズと同様、実はひとつになって頑張るべき者の中には東電や原発を推進してきた政治家、財界は含まれていないことを見過ごさせるフレーズなのではないでしょうか。
そしてこのフレーズは有無を言わさぬ同調圧力を持っています。
たとえば震災直後の無意味な「総自粛ムード」も、義援金を出してない子供の名前を公表した学校が出てきたのも「ひとつになって」「みんなで」頑張るのを求めたからです。
やがて「復興のためには消費税増税は仕方ない、皆で我慢しよう」が間違いなく控えています。
だから、私は私達市井の人間がこのフレーズを被災地エールとして頻繁に使うことに違和感を覚えるのです。
いつも痛みを押し付けられ、頑張ることを強制される、持たざる庶民。しかし自分達にだけ痛みを押し付けられている現実から目をそらされ、同じ弱者に「みんな苦しいんだ、甘えるな」と圧力をかける悲しい言葉のように聞こえます。
私は、こういう日本的なメンタリティを機会あるごとに指摘することは大事なことと考えています。



