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<「全集」不毛の今でこそ>池澤夏樹氏の個人編集「日本文学全集」の一冊目が「自分の本」に脱帽

水留章[テレビ番組制作会社・社長]

***

最近流行らなくなったものといえば、百科事典と文学全集だろう。百科事典は最早死語に近いと思う。場所をとる、重い、使わない、と三拍子揃っている。

かつては書斎の王様であった平凡社の百科事典を知らない人も増えているはずだ。 おそらく現在は、大判な書籍ではなくとも、CD-ROM版やデジタル媒体で同じ百科事典もあるだろうが、形状はどうであれば、そもそも「百科事典」を利用している人を最近は見たことがない。

Wikipediaのような出処不明な情報の羅列などよりも、百科事典の方が悪くはないに決まっているが、それでも買わない。デジタル版であったとしても、ファイル容量もかなり大きくなるだろうし、ネット時代の今、新しい用語のアップデートを繰り返してゆくとしても、そのスピードが到底、編集作業に間に合わないということも原因の一つのように思う。

同じように、もう一方の書斎の王様であった「文学全集」も書店で見かけない。これも死語に近いと思う。書店の書棚にないということは、「本好きでも全集を買わない人」に対して潜在的な販促広報宣伝活動ができないということだ。本屋で衝動買いが出来ないのだ。もちろん、こちらも場所をとる、思い、読まないの三役揃い踏みだ。

この二つが絶滅の危機に瀕している原因には教養主義の崩壊が一つ大きくあるだろう。

「文学全集」の事始めは「円本」(一冊一円の全集類のこと)に遡る。これらは大正教養主義の精華であると思う。その後も出版社の経営を支える重要な事業として昭和になっても戦後になっても脈々と様々な全集が市場に、そして書斎に送り出された。

「大人になるならば」当然このくらいも本は読破していないと格好がつかない、という時代精神が半世紀にわたり全集を生み出し続けてきたのだろう。それは理科系の人でもこの位の小説や詩は知らないと立派な科学者にもなれない、といった背景だったはずだ。もちろん、筆者もその流れの中にいた。読み切れなくとも、背表紙を眺めることで随分と学んだ気になれた記憶がある。

文学全集のラインナップは時代を表していたし、それは「教養主義と売れ筋の結果」だったのであろう。「円本」の第一回配本が尾崎紅葉だったのは営業上の思惑があったはずだ。 ベトナム戦争が歴史になって来た今では「開高健」と言っても知らない人が多いだろうし、「智恵子抄」を知らない人に「高村光太郎」と言っても、「新人イケメン俳優にそんな人はいない」と言われるだけかもしれない。

そんな時代に池澤夏樹さんは個人編集という極めてユニークな発想で、2007年から2011年にかけて世界文学全集を刊行した。出版社も立派だ。これは快挙だと思っている。そして、それに続いて今度は日本文学全集の発刊である。 その教養と読み手としての能力には恐れ入るばかりである。

筆者の古い感覚になのかもしれないが、池澤氏を「新しいタイプの小説家」としか見ていなかった。その彼が現在続けている作業の「厚み」に改めて圧倒された。優れた読み手であり、抜きん出た書評家だ。そうでなければ一人で文学全集は作れない。

選球眼と意図・意思が無ければアンソロジーさえ出来ないのに、ましてや「全集」である。彼はサマセット・モームに倣い「世界十大小説」を選んでいる。21世紀、平成の世らしい選択だ。そう言う池澤氏の傾向が文学全集に向かうのは納得だ。しかも今回は日本を舞台に編もうと言うのだ。

昨年の2014年12月から刊行が始まった。初回はなんと、選者自らの現代語訳「古事記」だ。この全集に入る古典は全て現代語訳であり、尚且つ現代の書き手で国文学者ではないのがとても面白い。そのラインナップをざっと見ると、

  • 「竹取物語」森見登美彦
  • 「源氏物語」角田光代
  • 「徒然草」内田樹
  • 「曽根崎心中」いといせいこう
  • 「宇治拾遺物語」町田康
  • 「日本霊異記」伊藤比呂美

などなど。池澤氏の編集意図が分かるような気がする。実に楽しみだ。

何よりも、選者自ら訳したものが最初の配本になるというのは勇気がいるし、責任感があると思う。続く小説家著述家達に道標にもなるし、一定のレベルを要求することになる。とにかく「古事記」のページを開いてみたいと思う。

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