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iPadはオワコンか?

絶好調のiPhone6

iPhones6が相変わらず好調だ。2014年に入りiPhoneは格安中国スマホ、韓国のSamsungやLGに押されてジリ貧かと思いきや、画面を大型化した瞬間、ユーザーが一気に再びiPhoneへとなびいてきたことはすでにご存知のことだろう。お陰で、iPhoneよりもはるかに早く大型スマホを発売していたSamsungが煽りを食らってしまった。価格では中国スマホに負け、ブランド力ではAppleに負け、中途半端な商品に堕してしまったのがその原因だろう。しかも、これが日本やアメリカだけでなく、中国、いや自国の韓国でも同様の事態を招いているのだ(ただし、シェアはSamsungがまだトップを維持している。)。

しかしながら、ジリ貧と思われていたiPhoneがV字回復したのは、要するに大型、とりわけ5.5インチというスマホをユーザーたちが待ち焦がれ、遅ればせながらやっとのことでリリースしたからだと言われている。4インチ以上のスマホを頑なに拒絶していたS.ジョブズの予見は完全に外れてしまったわけで、そういった意味ではAppleはジョブズ路線を超える次のステップを見いだしたと言ってよいのかも知れない。

ただし、このモノノイイはちょっと外れているところもある。待ち焦がれていたと言っても、発売してからも伸びがよいという事実は別の話。いいかえれば、それはユーザーが何らかのプラスアルファをそこに見たからと考えなければ帳尻が合わない。じゃあ、それは何だろう?

iPadを駆逐するiPhone6Plus

iPhone6、とりわけPlusのそれはきわめて奇妙な現象を発生させているという感がないでもない。ちょっと僕の例だけれど、一つエピソードを。

昨年9月、iPhone6発売と同時に、僕は早速それまでのiPhone4から乗り換えることとした。チョイスしたのはiPhone6Plus。購入した際には「こりゃ、ちょっとデカすぎるな?」と、かなりヤバイと感じてしまった。「ただのiPhone6(4.7インチ)にしておけばよかった……」

ところがで、ある。使い込むうちに僕の認識はどんどんと変わっていったのだ。この画面の大きさ、実に心地よい。何が心地よいって、ビデオもガンガン見る気になるし、長文の記事も読む気になる。英文も読む気になる。しかもそれがポケットから取り出して即といった具合なのだから。この経験はこれまでのiPhoneでは無かった。4インチのiPhone4の時代。さすがにこの大きさだと細かい文章を長時間読む気になれなかったのだ。そういった作業は専らiPad(時にパソコン)の役回りだった。つまりパソコン―iPad―iPhoneの使い分けが出来ていた。ところがiPhone6Plusは違う。易々と長文にトライできる。これは、ただ画面をデカくしただけで、全然新奇性がないと揶揄された指摘とは、全く正反対の実感なのだ。やっぱり、字はこれくらい大きい方が見やすい(まあ、自分が五十代と年寄りであることもあるのだけれど)。気がつけば、以前に比べiPhoneに接する時間は格段に延びていた。結局、こっちの方が「しっくり」きたのだ。完全にアディクト状態に。

だが、その一方で全く触らなくなってしまったものがある。当然ながらiPadだ。発売直後、iPadを購入しワクワクしていた自分はいったいどうなったんだ?と思うほど。もっとも、最近はちょっと利用頻度が減っていたことも確か。どうもiPadは「帯に短したすきに長し」の感が強いのだ。つまりパソコンほど本格的に仕事は出来ないし、その一方でスマホほどカジュアルでもない。本を読むとかゲームをやるにはいいんじゃないかと思えないでもないが、その実、あまりやらなかったことも確か。本を読むなら、どちらかというとKindleくらいの大きさの方が手軽でいい。よく考えてみれば、電車の中で馬鹿デカいiPadを広げて読書している姿は結構、マヌケでもある(Surfaceもイマイチの普及のようだ)。そして、iPhone6Plusで本も読めるという状態に。で、今や我が家のiPad四台は、カミさんがゲームをヒマつぶしにやることを除いてほとんどオワコン状態になっている。

しかしながら、こういったiPhone6PlusによるiPad浸食といった状態、おそらく自分だけではないんではなかろうか。iPadを含めたタブレットPCの受容はどうも頭打ち、iPadに至っては売り上げは全くかんばしくない。アラン・ケイのダイナブック構想を具現したかのようなiPad≒タブレットPCだったが、どうもダイナブックの構想(コンピューターの最終形態は子どもが外で気軽にいじれるタブレットになるというコンセプト)はタブレットではなく、大型スマホ、つまりファブレットの方がふさわしいということに、現状ではなりつつあるようだ。

で、こうなるとAppleまた他の企業も次の一手に出てくるだろう。一つはさらに大きなファブレット、つまりiPhone6Plusが文字通り6インチになるということ。これはあるかも知れない(で、iPadminiが完全に死亡する)。そしてもう一つの方向がタブレットPCの大型化だ。ただし、この受容は一部のユーザーに限られるだろうが(アート系ニーズか?)。

タブレットPCの新しい道はビジネス・ユース

Appleは時々、こういった自社製品の「共食い」をためらいもなくやってしまうことがある。例えばiPhoneはどう見てもiPodを駆逐してしまったとしか考えられない。そして今やiPhone6PlusがiPadを駆逐しつつある。タブレットPCとは、しょせん一過性のメディアに過ぎなかったのだろうか?

いや、そうでもないだろう。おそらく売り上げの伸びは頭打ちで、今後漸減していくだろう。ただし、なくなることはない。おそらく、こうやってパーソナルな市場をファブレットに食われたことによって、タブレットPCは新たな自らの居場所を見いだすのではないだろうか。それはズバリ、ビジネス市場だ。企業や医療の現場での測定機器、クラブなどでの入会手続き、レストランの会計マシン、銀行などでの手続きの道具、教育用、こんなところでは実に大きな力を発揮するのではないか(ただし、こうなるとiPadminiは最も中途半端な製品になるけれど。miniはビジネス・ユースとしても中途ハンパだ)。家庭のリビングルームに鎮座するという当初のジョブズの構想(iPad発表時、ジョブズはステージ応接椅子を置きパフォーマンスして見せた)は完全にハズレだ。むしろリビングルームで各種ディバイスのハブ的な役割をするようになるのはファブレットだろう(リモコンにもなっているはずだ)。

ファブレットの大いなる可能性

ちなみにファブレットはさらに大きな可能性を秘めていると考えることも出来る。例えばこれがBluetoothでキーボードやマウスと、さらにディズプレイとワイヤレスに繋げられるということになったらどうなるか。言うまでもなく、それはスマートフォンがパソコンに転じた瞬間を意味する。つまりスマホ一台あればほとんど事は済んでしまうのだ。携帯しているときはただのスマートフォン。ところが一旦、オフィスや自宅に持ち込めば、瞬時に大型ディズプレイで操作するパソコンに。こうなると、今度はパソコンがスマホ=ファブレットに駆逐される番だ。つまりスマホは電話であり、インターネットディバイスであり、ミュージックプレイヤーであり、SNSであり、カメラであり、アプリであり、さらにパソコンでもあるということになるのだ(ちなみに、iPhoneがもし、こういった形で進化するとiOSは存在してもMacOSは死滅するということになる。そしてマックもまた死滅することになるかも。もっとも、Appleならやりかねないことだが)。

この予想、かなり現実味があるのではないかと、僕は思っている。そして実は、これこそがA.ケイがイメージしたダイナブック構想の最終形態なのかも知れないとも思っている。

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