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- 2011年07月22日 23:20
菅直人首相、岡田克也幹事長が「マニフェストは間違い」と謝罪、鳩山由紀夫前首相が激怒し、内ゲバ激化!
◆だから言わんこっちゃない。日本の国政に「マニフェスト」などという欧州共産党の尾てい骨のような異物、残滓を持ち込むなど、下の下、愚作だったのだ。私は、以前から力説してきたのだが、もっとシンプルに「公約」とだけ言っておれば、十分だったのである。それを、舶来ならば崇め立てなくてはならないと考える輩は、日本の流儀をあまりにも軽視、侮蔑しすぎた。次の言葉をしっくりと熟読玩味して欲しい。
「政治の実施は、国民の意思及び利害の調和平均点を求め、これを基調としてその運用を律するを常とす。統帥はこれに反し、最高唯一の意思を断乎として万民に強制し、その生命を犠牲とし、敵の機先を制して間髪をいれざる間に勝敗を決せざるべからず。故に政治組織の趣旨と統帥組織の主眼の間には本質的差異存在す」(大橋武夫・解説著「統帥綱領」ー第三章 統帥組織)
実は、マニフェストは、欧州共産党の「党綱領」を意味していた。戦闘部隊である共産党が、政権奪取するために革命が成功した暁には、このような「ばら色の政策」が実現されると国民を夢心地にし、「コミットメント(必達目標)」と「デッドライン(期限)」を付けて国民に示した「政権公約」であった。英国では、共産党政権が誕生したことはないけれど、これを英国労働党が活用して政権を獲得、ブレア政権が誕生した。これを見て、日本に「マニフェスト選挙」「マニフェスト政治」を実現しようと考えたのが、三重県知事だった北川正恭早大大学院教授であった。
しかし、欧州共産党が「マニフェスト」(党綱領)を掲げることができたのは、政権を奪い取ろうとした「戦闘部隊」だったからである。どちらかと言えば、政治組織というよりは、軍隊組織の色彩が強い、本質的に、自由と民主を基本原理とする政治組織とは、根本的に異なっている。
この点で、マニフェストを日本の政治、とくに 国政に持ち込み、浸透させようとしたところに、大きな間違いがあった。なぜかならば、統帥綱領が言うように、政治組織、つまり政党は、軍隊が大軍を動かすような組織ではない。あくまでも「政治の実施は、国民の意思及び利害の調和平均点を求め、これを基調としてその運用を律するを常とす」というように、あくまでも「国民の意思及び利害の調和平均点を求める」のが任務とであるから、予め「調和平均点」を決めておくこと自体、あり得ないことである。「調和平均点」は、丁々発止の交渉の末にたどり着く、着地点であるからだ。そうした日本の政党どうしの交渉事の結果をマニフェストに書き込んで 国民に提示すること自体、不可能である。
◆ところが、民主党の存在意義(レーゾンレートル)を決定してきたとも言えるマニフェストを否定して、とりわけ「子ども手当て」について、自民党と公明党に大幅に譲歩することを岡田克也幹事長が、提示、しかも、謝罪した。菅直人首相は、国会の委員会で、同じように詫びたというから、呆れ果ててしまう。公債特例法案に賛成してもらうための苦肉の策とはいえ、拙劣である。早速、鳩山由紀夫前首相が、「自殺行為だ」として、「子ども手当て」についての譲歩の撤回を求める発言をしていた。
民主党は、いまだに党是もなければ党綱領もないという中で、政権交代を賭けて国民と約束をしたこのマニフェストだけが、唯一の支柱だったといえる。それを、こうやすやすと撤回したのでは、この先、何を掲げても国民から信用されなくなる。
だったら、何も必達目標の「マニフェスト」などとせず、ただの「公約」でよかっのではないか。
そもそも戦闘用語である「マニフェスト」を妥協を求める政治に用いたのが間違いだったのである。
「政治の実施は、国民の意思及び利害の調和平均点を求め、これを基調としてその運用を律するを常とす。統帥はこれに反し、最高唯一の意思を断乎として万民に強制し、その生命を犠牲とし、敵の機先を制して間髪をいれざる間に勝敗を決せざるべからず。故に政治組織の趣旨と統帥組織の主眼の間には本質的差異存在す」(大橋武夫・解説著「統帥綱領」ー第三章 統帥組織)
実は、マニフェストは、欧州共産党の「党綱領」を意味していた。戦闘部隊である共産党が、政権奪取するために革命が成功した暁には、このような「ばら色の政策」が実現されると国民を夢心地にし、「コミットメント(必達目標)」と「デッドライン(期限)」を付けて国民に示した「政権公約」であった。英国では、共産党政権が誕生したことはないけれど、これを英国労働党が活用して政権を獲得、ブレア政権が誕生した。これを見て、日本に「マニフェスト選挙」「マニフェスト政治」を実現しようと考えたのが、三重県知事だった北川正恭早大大学院教授であった。
しかし、欧州共産党が「マニフェスト」(党綱領)を掲げることができたのは、政権を奪い取ろうとした「戦闘部隊」だったからである。どちらかと言えば、政治組織というよりは、軍隊組織の色彩が強い、本質的に、自由と民主を基本原理とする政治組織とは、根本的に異なっている。
この点で、マニフェストを日本の政治、とくに 国政に持ち込み、浸透させようとしたところに、大きな間違いがあった。なぜかならば、統帥綱領が言うように、政治組織、つまり政党は、軍隊が大軍を動かすような組織ではない。あくまでも「政治の実施は、国民の意思及び利害の調和平均点を求め、これを基調としてその運用を律するを常とす」というように、あくまでも「国民の意思及び利害の調和平均点を求める」のが任務とであるから、予め「調和平均点」を決めておくこと自体、あり得ないことである。「調和平均点」は、丁々発止の交渉の末にたどり着く、着地点であるからだ。そうした日本の政党どうしの交渉事の結果をマニフェストに書き込んで 国民に提示すること自体、不可能である。
◆ところが、民主党の存在意義(レーゾンレートル)を決定してきたとも言えるマニフェストを否定して、とりわけ「子ども手当て」について、自民党と公明党に大幅に譲歩することを岡田克也幹事長が、提示、しかも、謝罪した。菅直人首相は、国会の委員会で、同じように詫びたというから、呆れ果ててしまう。公債特例法案に賛成してもらうための苦肉の策とはいえ、拙劣である。早速、鳩山由紀夫前首相が、「自殺行為だ」として、「子ども手当て」についての譲歩の撤回を求める発言をしていた。
民主党は、いまだに党是もなければ党綱領もないという中で、政権交代を賭けて国民と約束をしたこのマニフェストだけが、唯一の支柱だったといえる。それを、こうやすやすと撤回したのでは、この先、何を掲げても国民から信用されなくなる。
だったら、何も必達目標の「マニフェスト」などとせず、ただの「公約」でよかっのではないか。
そもそも戦闘用語である「マニフェスト」を妥協を求める政治に用いたのが間違いだったのである。



