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他人のまなざしに囚われたブログ世界観に戦慄した

 有名ブログですら互助会ブックマークが必要という現実

 ブログのオフ会ってオフパコ以外に目的あるの?と思ってたけど

 最近、はてな匿名ダイアリーで似たような趣旨の文章を続けて読み、戦慄した。

 上記2つに共通しているのは、ブログにおいて人気者になることが最大目標となっているらしき点だ。そのためには互助的なコメントをつけたり、オフ会に出席したりしなければならない……というブログ世界観になっている。ブログを書くこと・ブログを読むことは一義的な愉しみではなく、あくまで「成功」「人気」に重きが置かれているソレは、私には特異で恐ろしげにみえた。 

 「巡回」の定義にも驚いた。リンク先の文章における「巡回」とは、mixiの足跡訪問に近いような何かであり、返報性に根ざした同盟関係を意識した何かだった。筆者が言うには、

そんなことより自分がショックを受けたのは、それをやってるブログがfeedlyや読書登録の数からしてどっちも結構読者を抱えているということ。

その規模のブログになっても巡回しないとやってけないという事実は、ようやく1万アクセスを超えたうちのブログにとっては正直目の前の山の高さに絶望するしかない。

http://anond.hatelabo.jp/20150123225752

 そういった儀礼的で同盟的な「巡回」がなければ、大きなブログも「やってけない」のだという。このようなブログ世界観を持つ人がいるというのはわかるけれども、いざ言語化されて陳列されると、(私のような人間は)たじろがずにはいられない。

そんなブログ世界観、息苦しくて死んでしまいそうです

 確かに、インターネットをやっていて知己になった人・面白いと思った人のブログを頻繁に訪問し、気に入った内容があったらリアクションする行為は珍しくないし、結果として、それが互助的なフィードを生み出す場合があるのもわかる。オフ会が、そのような互助的精神や顔合わせの鎹として役立つというのも否定はしない。

 でも、それらはあくまで「結果」であって「目的」たりえないはず。人気が欲しいから打算的に相互ブックマークをするだとか、有名になりたいからオフ会に出席するだとか、そんな事をはじめから狙ってやるものではない。露骨な目的意識は視る人が視れば見抜いてしまうし、義務でやっているようでは面白く無い=どのみち続かない。そもそも、義務感が先走って面白くなさそうにやっている営みは他人から見ても面白く無いのだ。それと、義務感に基づいて特定の相手にリアクションをねちっこく繰り返していると、じき自分自身の息苦しさが相手方にも伝染して、相手方から敬遠されてしまうリスクすらある。こういうのは意外なところで以心伝心しやすい。

 それと、

 読まれないお前のブログの内容が悪いって?それもあるんだと思うけど、ブロガーでブックマークつけてくる連中はだいたい読もうともしないから、そんな連中気にしたってしょうがない。

 一つ一つの記事がヒットする/しないという水準で考えるなら、「筆者が面白がって書いた記事がヒットするとは限らない」というのは確かにそのとおり。でも、ブログ自身やブロガー自身が注目される・読者を集めるという観点では、ブロガー自身がどこかで面白がっていなければ*1難しいんじゃないかと思うし、長く愛されることも無いと思う。

 少なくとも、私が知っているブログ(やその他のウェブ上の活動)で面白がられ続けた人々を思い出す限り、「目的」意識をもって相互ブックマークするだとか、有名になりたくてオフ会に出席するとか、そういう自意識に塗り固められた人物はいなかった。皆、なにかしらウェブ上の表現を愛していたし、自分自身のアウトプットを愉しみ、他人のアウトプットのうちに面白いものを見つけたらそれそのままに面白がる、そういう意識がどこかにあった。さもなくば、レアな孤高の表現者か。

 もちろん、儀礼的な返報性が皆無だったと主張したいわけではない。それでも、返報性や人気集めに固執し“重たくなってしまう”ような人物が繁栄し続けることは皆無に等しかったように思う。そもそも、「巡回」という言葉の意味が全く違っていた――かつて言われていた「インターネットの巡回」とは、目星をつけたサイトやブログが新しい記事をアップロードしていないか確かめてまわる行為だったのであって、注目を集めあうための相互言及をこなすものではなかった。面白いものを面白がるための「巡回」が一義的だったわけで。

注目集めに「必死」な人が長続きした試しがあっただろうか

 10年以上前にも、リンク先のようなブログ世界観*2は存在していた。

 自分自身のウェブサイトを面白がるよりも、他者のウェブコンテンツを面白がるよりも、自分自身の人気に拘泥しているのが透けて見えるウェブサイト主は確かにいた。オフ会会場を遊泳し、返報性を期待したリアクションや言及に心を砕き、不特定多数の反応に敏感――というより過敏――な彼/彼女らは、しかし決して長続きすることなく、また一定以上のスケールで繁栄することもなかった。もしかしたら私の知らないところに、そういったウェブサイト主もいたのかもしれない。しかし私が今思い出す限りでは、そういう「必死な人」がウェブ上で栄え続けたためしは無かったように思う。そのような「必死」さが持続できずに潰れるか、「必死」さの副作用的な揉め事やトラブルに巻き込まれて消えていくか――なんにせよ、上手くいっていなかった。

 だから私は、注目を集めることに一定以上の拘りを持ったブログ世界観に、どうしても怖れを抱かずにはいられない。どうかそんな無茶なチャレンジはしないで欲しい。アテンション欲を滅却しなさいとは勧めないけど、注目されること・有名になることに魂を売り過ぎないで欲しい、と願う。なぜなら、そうした執着が一定の閾値を超えてしまうと、自意識の問題としてもコミュニケーションの問題としてもブログを維持する難易度が跳ね上がってしまうからだ。

 まあ、夏の花火のように散りたいなら……不特定多数からのアテンションに自意識をへばりつかせ、全力疾走するのも一興かもしれない。でも、ちゃんと生き残りたいと願うなら、遠回りのようにみえても、自分がブログ(やその他のインターネット上の営みで)面白がっている事や楽しいと感じる事を大切にしたほうが良いと思う。

注目は強引に連れてくるものでなく“お迎え”するもの

 インターネット上の不特定多数からの注目はたぶんに水物で、そんなものを自意識の充てにしたり人生の目標にしたりするのは難しい。他人からの注目が何年目に・どういう形で降って来るのかなんて誰にも予測できない。降って来たほうが良いか否かすら、実のところよくわからない。ここにも書いたように、ともすれば自分の器量をオーバーしてしまうかもしれず、そうなったら破局は免れない。

 それでもなお、不特定多数からの注目を欲しがるとしたら――できるだけ無理の少ないかたちでやったほうがいいと思う。注目とは、ふと舞い込んで来たら“お迎え”すべき妖怪か神様のようなものじゃないかと。“お招き”するぐらいの仕草はあってもいいけれども、腕を引っ張って強引に連れて来ようとすると祟られやすい。よしんば“お迎え”できたとしても、それが唐突すぎる場合、自分の自意識がオーバードライブを起こしてしまうこともあるから気を付けなければならない。

 ちなみに私もウェブサイトをつくって4年ほどは閑古鳥が鳴いていたし、今日でも、大手のブログに比べればPV数はささやかなものだ。でも振り返ってみれば、かえってそのお陰で道を誤らずに済んだんじゃないかと思う。自分の好きなように文章を書き、自分が好きな文章を読み漁るブログ生活を守るにも適していた。

 2015年のインターネットでは、不特定多数からの注目がいろいろな現世利益に繋がるというのはよくわかる話ではある。けれども、その不特定多数からの注目ってやつが妖怪じみていて、“お迎え”の作法行儀を誤ると甚だ危険な点に、これからネットの人気者になりたいと焦がれている人は気を付けて欲しい――そういう気持ちに囚われた果てに、ネットの表舞台から消えていった人は数知れないのだから。

*1:それか、吐き出すべきを吐き出していなければ

*2:それとも時代に即してウェブ世界観と訂正すべきか

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