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- 2015年01月25日 11:11
大勝し過ぎて出場停止処分?
Twitterでもつぶやきましたが、先日、カリフォルニア州の高校バスケ(女子)の試合で161対2というスコアで大勝した監督が、所属学区から「Unsportmanlike Conduct」(スポーツマンらしくない行為)により2試合の出場停止処分を受けるという“事件”が起こりました。この件については、いろいろ考えさせられることがあり、ブログにも書いてみようと思います。
この「Unsportmanlike Conduct」ですが、日本ではあまり聞きなれない罰則かもしれませんが、米国では様々な競技でよく見受けられるものです。多くは、試合中の選手やコーチによる暴言や相手の選手を殴るなどの行き過ぎた暴力行為を対象とするもので、具体的なペナルティーとしては、バスケならフリースロー、フットボールなら罰退など、試合中に相手に有利になるように実務的に適用されるケースが多いです。また、行き過ぎると今回のように個人が出場停止処分を受けることもあります。
今回珍しいのは、大差で勝ち過ぎたことが「スポーツマンらしくない」と判断された点です。状況をもう少し詳しく調べてみると、前半終了時点で104対1という大差がついており、この時点で既に「やりすぎだ」と判断されていたようです。100点以上も差がつくのは、大学生と小学生が試合をしているようなものでしょうが、この高校は点差がついてもフルコートプレスを止めなかったようです。後半はレギュラー陣は下げ、第4Qからは時計も止めずに流すように審判に要請したそうですが、“時すでに遅し”でした。
日本的な表現で言えば「相手に恥をかかせた」という感じでしょうか。
面白いのは、プロレベルだと日米で似たようなことが見受けられる一方、アマチュアではむしろ価値観が正反対と思える点です。
例えば、プロ野球なら日本でもMLBでも点差が開きすぎた際には、勝っている方は塁に出ても盗塁をしないとか、必要以上に相手の顔に泥を塗らない配慮をします。この「Unwritten Rule」(不文律)に反すると、後で報復の死球を受けるなどやり返されることになります。
これは恐らくはお互い不要な「遺恨」を残さないための大人の知恵なのではないかと感じます。プロでやっている以上、お互いプレーに生活がかかっていますから、変な遺恨を残して後から「こいつにだけは絶対に負けない」と怨念を持たれても得することはありません。
しかし、逆にアマチュアレベルでは、日米の取り組みは正反対のようにも見えます。日本では、「手を抜かずに最後までやるのが礼儀」という価値観がある程度共有されているように感じます。だから、負けていても、途中から相手の二軍に相手をされて適当にあしらわれるよりは、一軍にコテンパンに負ける方が美徳とされるような文化がありますよね。僕は小学校から高校まで野球をやっていましたが、そんな雰囲気でした。
で、この違いはどこから来るんだろうと考えてみたのですが、まず最初に頭に浮かんだのは、アマチュアレベルでは「スポーツをする目的」が日米で違うのではないか、という仮説です。目的が異なれば、同じ行為に対して評価が分かれるのは納得できます。
日本では、スポーツは「教育」を目的とされるため、「ルールを守ること」が大事とされ、これが美徳になる文化が根付いた。それに対して、米国ではスポーツは「競争」と「娯楽」を目的とするため、「競い合って楽しむこと」が大事とされる。
「ルールを守る」ことが最優先と認識されているなら、「最後まで手を抜かずに相手をする」「胸を借りて大敗する」という行為が美化されることも、もっと言えば、灼熱の太陽の下で何時間も試合をしたり、体を壊すのも厭わずに連投したりする行為をやめないのも合理的に説明できますね(笑)。
こんなことをFacebookで書いてみたら、アジアや欧米でアイスホッケーのコーチをしている知人より、別の角度から面白い指摘を頂きました。彼によると、アマチュアスポーツのリーグが、日本では欧米のように実力に応じて階層化されて組織・運営されていないのも背景の1つなのではないかということでした。
欧米では、アマチュアでもマイナーリーグのように実力に応じたリーグが階層的に組織されているので、そもそも実力差がありすぎるチームが同じ土俵で戦うミスマッチが少ない(「ミスマッチの美化」を必要とする土壌がそもそもない)のだそうです。だから、今回のように点差が付きすぎると問題視される。逆に、日本では、高校野球が象徴的ですが「無差別級一発勝負」が多いので、ミスマッチが多発するのが普通で、それを誰も変だと思わない。
だから、今回のケースでは、出場停止処分になった監督とは別に、実力差がありすぎるリーグ構成や参加資格も議論されるのではないかと、その友人は言っていました。
なるほど、興味深い指摘だと思います。僕は育成方面は明るくないので、そのような発想は思いつきもしませんでした。
日本で階層化された育成環境が整備されないのは、日本に根強い平等意識からくるものなのでしょうかね?以前、「スポーツ界の発展を(も)阻む?日本の悪しき平等主義」でも書きましたが、日本は「結果平等」主義が強く、最近では運動会でも手をつないで皆一緒にゴールするという話も耳にします。こうした発想が、小さい時に能力で機会を区別することを良しとしないのかもしれません。スポーツが「教育」の手段として認識されているのなら、なおさらでしょう。
この「Unsportmanlike Conduct」ですが、日本ではあまり聞きなれない罰則かもしれませんが、米国では様々な競技でよく見受けられるものです。多くは、試合中の選手やコーチによる暴言や相手の選手を殴るなどの行き過ぎた暴力行為を対象とするもので、具体的なペナルティーとしては、バスケならフリースロー、フットボールなら罰退など、試合中に相手に有利になるように実務的に適用されるケースが多いです。また、行き過ぎると今回のように個人が出場停止処分を受けることもあります。
今回珍しいのは、大差で勝ち過ぎたことが「スポーツマンらしくない」と判断された点です。状況をもう少し詳しく調べてみると、前半終了時点で104対1という大差がついており、この時点で既に「やりすぎだ」と判断されていたようです。100点以上も差がつくのは、大学生と小学生が試合をしているようなものでしょうが、この高校は点差がついてもフルコートプレスを止めなかったようです。後半はレギュラー陣は下げ、第4Qからは時計も止めずに流すように審判に要請したそうですが、“時すでに遅し”でした。
日本的な表現で言えば「相手に恥をかかせた」という感じでしょうか。
面白いのは、プロレベルだと日米で似たようなことが見受けられる一方、アマチュアではむしろ価値観が正反対と思える点です。
例えば、プロ野球なら日本でもMLBでも点差が開きすぎた際には、勝っている方は塁に出ても盗塁をしないとか、必要以上に相手の顔に泥を塗らない配慮をします。この「Unwritten Rule」(不文律)に反すると、後で報復の死球を受けるなどやり返されることになります。
これは恐らくはお互い不要な「遺恨」を残さないための大人の知恵なのではないかと感じます。プロでやっている以上、お互いプレーに生活がかかっていますから、変な遺恨を残して後から「こいつにだけは絶対に負けない」と怨念を持たれても得することはありません。
しかし、逆にアマチュアレベルでは、日米の取り組みは正反対のようにも見えます。日本では、「手を抜かずに最後までやるのが礼儀」という価値観がある程度共有されているように感じます。だから、負けていても、途中から相手の二軍に相手をされて適当にあしらわれるよりは、一軍にコテンパンに負ける方が美徳とされるような文化がありますよね。僕は小学校から高校まで野球をやっていましたが、そんな雰囲気でした。
で、この違いはどこから来るんだろうと考えてみたのですが、まず最初に頭に浮かんだのは、アマチュアレベルでは「スポーツをする目的」が日米で違うのではないか、という仮説です。目的が異なれば、同じ行為に対して評価が分かれるのは納得できます。
日本では、スポーツは「教育」を目的とされるため、「ルールを守ること」が大事とされ、これが美徳になる文化が根付いた。それに対して、米国ではスポーツは「競争」と「娯楽」を目的とするため、「競い合って楽しむこと」が大事とされる。
「ルールを守る」ことが最優先と認識されているなら、「最後まで手を抜かずに相手をする」「胸を借りて大敗する」という行為が美化されることも、もっと言えば、灼熱の太陽の下で何時間も試合をしたり、体を壊すのも厭わずに連投したりする行為をやめないのも合理的に説明できますね(笑)。
こんなことをFacebookで書いてみたら、アジアや欧米でアイスホッケーのコーチをしている知人より、別の角度から面白い指摘を頂きました。彼によると、アマチュアスポーツのリーグが、日本では欧米のように実力に応じて階層化されて組織・運営されていないのも背景の1つなのではないかということでした。
欧米では、アマチュアでもマイナーリーグのように実力に応じたリーグが階層的に組織されているので、そもそも実力差がありすぎるチームが同じ土俵で戦うミスマッチが少ない(「ミスマッチの美化」を必要とする土壌がそもそもない)のだそうです。だから、今回のように点差が付きすぎると問題視される。逆に、日本では、高校野球が象徴的ですが「無差別級一発勝負」が多いので、ミスマッチが多発するのが普通で、それを誰も変だと思わない。
だから、今回のケースでは、出場停止処分になった監督とは別に、実力差がありすぎるリーグ構成や参加資格も議論されるのではないかと、その友人は言っていました。
なるほど、興味深い指摘だと思います。僕は育成方面は明るくないので、そのような発想は思いつきもしませんでした。
日本で階層化された育成環境が整備されないのは、日本に根強い平等意識からくるものなのでしょうかね?以前、「スポーツ界の発展を(も)阻む?日本の悪しき平等主義」でも書きましたが、日本は「結果平等」主義が強く、最近では運動会でも手をつないで皆一緒にゴールするという話も耳にします。こうした発想が、小さい時に能力で機会を区別することを良しとしないのかもしれません。スポーツが「教育」の手段として認識されているのなら、なおさらでしょう。



