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映画評:デビッド・フィンチャー監督『ゴーン・ガール』

【妻が全てを知っているのではという恐怖】

■援交関連のフィールドワークをしていた90年代前半、各地で既婚者男性の聞き取りを進めた。その際「自分の浮気は妻にバレていないと思うが、ときどき妻が全てを知っていながら知らぬふりをしているのではないか、と恐怖に襲われる」という話に何度か出会った。だが女性から同じような話を聞いたことはない。

■当初は性別役割の非対称性(性差別)に由来する男性の杜撰さだと思った。女性が周到なのに男性はシッポを出しやすく、そのことが男性らに自覚されているからだ⋯と。やがて、違うのではないかと感じるようになった。コミュニケーションの〈メタモード〉の有無の問題だと思うようになったのだ。

■社会学者N・ルーマンは家族は何かとの問いに、情緒的共通前提集団に過ぎないと答えた。社会学を振り返ると、T・パーソンズは、近代化によって、家族の機能が市場や行政にアウトソーシングされ、家族は、子供のプライマリーな社会化機能(乳幼児の子育て機能)と、成人の情緒的安定化機能(帰還場所としての機能)だけを残すとした。

■こうした機能的思考に従えば、社会化機能と情緒的安定化機能を備えた人間関係は、婚姻や血縁と関係なく、全て「家族」になるはずだ。だがパーソンズはそこまで考えなかった。我々はそこまで考えざるを得ない。とすれば、どんな人間関係なら社会化機能と情緒的安定化機能を調達できるか。それにルーマンが応答した。

■ルーマンは〈生活世界〉が空洞化したポストモダンの家族を、「まあアナタったら」「お兄ちゃんったら」的なコミュニケーションに意味を与える情緒的共通前提集団だとした。部外者には「お兄ちゃんったら」という意味が不明でも、家族ならば理解する。「なぜソレがソンナ感情を惹起するか」が分かるのが家族で、分からないのが部外者だ。

■社会学は従来、共同体を、自分で選べない共通前提集団だと定義し、家族を、共住共食関係で定義した上で、共住共食を営むうちに共通前提集団になると見た。だがルーマンは共住共食が崩壊した現状を踏まえ、家族とは「情緒的」共通前提集団に過ぎないと見切る。共住共食が中核的で共通前提が派生的だとしていたのを、共通前提を中核に据えて他を捨てた。

■ならば「情緒的」という冠にどんな意味があるか。「お兄ちゃんったら」的コミュニケーションとは謂わばコミュニケーションの〈メタモード〉だ。感情的反発を惹起するはずの強烈な発言にも、マジガチに反応せず、「まあこの人はそういう動物だから」とメタ的に構えてスルー。それが可能であることが、ホームベースとしての情緒的安定化機能を与える。

■というと昭和的イメージを想起する。山田洋次監督の『寅さん』映画のように。だか違う。園子温監督は、綿密な取材を元に撮った近親姦映画『奇妙なサーカス』(05)で、凡庸な共通前提を非凡なものにするべく(さもないと関係が入替可能になる)、当事者にしか分からない「情緒的」共通前提を構築したがる夫婦の営みを、子供を巻き込む独善だと批判した。

■翌年『紀子の食卓』(06)で園子温は、「家族を生きる/家族を演じる」の差異を描いた。「素朴に家族を生きる者」は「素朴に家族を生きられない者」を疎外する。姉妹は、両親が生きる凡庸な情緒的共通前提を生きられない。そこで《全面的に虚構を突き進むことで初めて自分と出会えるのです》とキーになる台詞が示される。

■過剰流動化とチャンネル分断で「素朴に家族を生きる」のが不可能な今日、道は二つ。ありそうもない情緒的共通前提を共犯的に維持する近親姦の道。「家族を生きる」のをやめ、ありもしない情緒的共通前提を放棄して「家族を演じる」道。無償で「そこまでして演じる」親の振舞いに子供は「語り得ない情緒的共通前提」を見出すかもしれない⋯ラストの祈りだ。

【〈メタモード〉の能力に見られる男女差】

■「そこまでして演じる」振る舞いに「語り得ない情緒的共通前提」を見出すというキーフレーズを記憶して欲しい。それを踏まえて〈メタモード〉に関わる考察を進める。つきあい始めたカップルは当初、相手の言動に一喜一憂する。やがて「この人はこういう動物なんだ」と人格的文脈をメタ的に折り込むようになって、逐一的反応から逃れるだろう。

■車の挙動に一喜一憂する代わりに、「この車は所詮軽自動車だから」「ファミリーカーにしては」と人格ならぬ車格を折り込むようになって逐一的反応から逃れるのと同じだ。文脈の参照による問題の先取りで、人が相手にせよ、車が相手にせよ、期待外れが感情的衝撃をもたらすのを緩和する。〈メタモード〉のなせるワザの一側面だ。

■さて、教え子ら若いカップルを長年観察して、〈メタモード〉の能力に性差があると確信する。例えば痴話喧嘩。女の浮気がバレると、男は弁解を信じず執拗に追及しがちだ。だが男の浮気がバレても、女は男の拙い弁解で「手打ち」する。これは女が〈メタモード〉に入るからだ。同じように、女が浮気に気づかないフリをする。

■だから、〈メタモード〉の能力差を感じる程度には男が敏感なら、冒頭に述べたように、「妻が全てを知っていながら知らぬふりをしているのではないか、と恐怖に襲われる」体験が生じる。こうした男女の〈メタモード〉能力差に注目する映画が現れた。D・フィンチャー監督『ゴーン・ガール』だ。

■珍しく映画を続けて二回見た。自分の印象に確証が持てなかったのだ。案の定、一度目は主人公ニックが妻エイミーに追い込まれて結婚生活を再開したと感じてクライ印象で見終ったが、二度目は結婚生活の再開がむしろニックの望みだと感じてアカルイ印象で見終った。一度目と二度目でこれほど印象が違うのは初めてだ。その物語を紹介する。



5回目の結婚記念日。ニックが帰宅すると妻エイミーは失踪。警察もマスコミも彼の妻殺しを疑う。妻の日記に沿った回想で結婚崩壊が描かれる。二人は大都会から彼女が嫌がる片田舎に転居。夫はダラけた上に浮気。妻の血液型や妊娠も知らず、通販で大金を使い、妻に高額生命保険をかけた。//一転。生きて潜伏するエイミー。復讐すべく殺害を偽装した。日記も捏造。遠隔地で外見を変え、偽名を名乗り、彼の死刑判決を待つ。ところが潜伏資金を盜られ、裕福な元彼の豪邸に匿われる。//さて、ニック。妻の計略に気づいて辣腕弁護士を雇い、世間の印象向上を狙いテレビ出演。夫として完璧でなかったと謝罪、妻に帰ってほしいと訴える。これを見た彼女は翻身。元彼によるレイプを偽装し、元彼を殺害。カメラ砲列の前、血みどろで夫の元に戻り、彼の無実を訴える。//盗聴を避けて裸で入ったシャワー室。彼女は復讐と殺人を認め、テレビで見たのが「結婚した頃のあなた」だったから戻ったと告白。結婚再開を誘い、精子バンクを使った妊娠を告げる。一旦激昂した彼も、彼女の一言「結婚とはそういうもの」で翻身。結婚再開を決め、テレビで妊娠を発表し祝福される。

■エイミーは何に復讐したか。巷には二説ある。(1)「釣った魚に餌をやらぬ」態度が理由。(2)男に都合がいい「イケてる女」を演じさせようとしたのが理由。どちらも頓珍漢。そんな程度で大がかりな復讐をするはずがない。そこで原作者G・フリンは自ら脚色するに際して〈メタモード〉の能力=〈ゲーム能力〉のモチーフを仕込む。だから裏物語はこうなる。



イモな男がいた。男はベタだった。イカス女がいた。女はメタだった。女はゲームが好き。男は女を手に入れたい。だから背伸びしてゲームした。女はゲームできる男を探していた。だから眼鏡にかなって二人は結婚した。//当初は男も努力した。ところが所詮イモ男。ゲームが続行不能になる。疲れた男は小娘に手を付けた。目撃した女は立腹した。理由は浮気自体ではない。ベタな小娘だったから。男の単細胞ぶりを証するカラダだけのイモ娘。男を選んだ自分の馬鹿さを突き付けられる。//メタ女はベタ男の前から姿を消す。復讐すべく犯罪も偽装する。メタな自分をベタな檻に閉じ込めた。だから解放の為に復讐した。当然復讐もゲームだ。男もゲームに参加すれば謎が解ける。現にゲームに参加した男は女の動機を理解する。それも女の計算。//ドンデン返し。テレビで女に呼び掛ける男を女は見た。男のゲームプレイは完璧。出会った頃のあなた。ゲームできるフリをしたイモ男だと思ったらゲームできるじゃないか。匿ってくれた元彼を惨殺して男の元に戻る。//ゲーム再開を呼び掛ける女。あなたは「イモな役者」だと思ったら「大した役者」。「永久にゲームで支配し合うのか」と返す男。「結婚とはそういうもの」と凉しい顔の女。男は再帰的にゲーム再開を決意した⋯。



■裏物語はフィンチャーによって演出されたB・アフレック(ニック)とR・パイク(エイミー)の高度な演技を通してやっと明らかになる。視覚的に「目撃」しなければ浮かび上がらない。多くの観客や批評家は話の筋を追うだけ。だから先の「二つの説」の如き頓珍漢な解釈が横行する。妥当な理解はアフレックの視覚像を追えば明らかだ。

■ならば彼がキャスティングされた理由も判る。脚本通りアゴが割れているのもあるが、J・ロペスとのベタベタぶりによる炎上を含め、ハリウッドで評判の悪い「イモな役者」だからだ。そして今回のアフレックの演技は素晴らしい。かくて映画内のニックの成長と、現実のアフレックの成長が重ねられる。成長とは〈メタモード〉でのゲームが可能になることだ。

【「生きる」よりも「演じる」ことが実り多い】

■「生きる」よりも「演じる」こと。即ち、挙動に一喜一憂するよりも〈メタモード〉に入り、〈メタモード〉に入って初めて開かれる地平の上で演技(ゲーム)すること。例えば全てを知って何も知らないフリをし、何も知らずに全てを知っいてるフリをすること。だが翻ってみれば、なぜ〈メタモード〉でのゲームが推奨されるのか。映画に即して考えよう。

■取材を含めて経験的に言えば、どんなに美しい女でも、〈委ねによる眩暈〉が不得意なら旦那や彼氏はほぼ浮気する。〈委ねによる眩暈〉が得意な女が出現したら男には抗いにくいからだ。妻エイミーと浮気相手の女子大生の対比がこれに当たる。淫乱か否かとは必ずしも重ならない。淫乱でも〈委ねによる眩暈〉が不得意な女(自慰系の女)がいるからだ。

■これまた経験的に言えば、〈メタモード〉でのゲームが得意な女に〈委ねによる眩暈〉が不得意なケースが多く、ベタな女に〈委ねによる眩暈〉が得意なケースが多い。冒頭に記したように、〈メタモード〉が自己防衛に関係するからだろう。実際、エイミーは〈委ねによる眩暈〉が不得意な分、〈メタモード〉のゲームが得意だ。

■だがエイミーは〈眩暈〉から見放されてはいない。現に夫が〈メタモード〉のゲーム能力に長けている事実がテレビインタビューを見て分かった瞬間、彼女は一瞬で〈眩暈〉の状態に陥る(相手に吸い込まれた変性意識状態の表情)。そう。ベタな〈委ね〉を経由せず、メタとオブジェクトを高速で往来することに〈眩暈〉を覚えるのだ。

■映画は結局、〈眩暈〉をもたらす〈メタモード〉のゲームを推奨する。そして映画は、母親が書いた超人気児童文学『完璧なエイミー』のモデルとして虚実を往復してきたからこそ〈メタモード〉〈眩暈〉があり得て、だからエイミーは虚実を往復する男を見つけてゲームしようとしたのだ、と言う。これが特殊すぎる設定なら、映画の寓意は乏しい。

■だがネット人格が当たり前の今日、かかる〈眩暈〉の追求は現実にありそうだ。実際、東電OL事件に題材をとった園子温監督『恋の罪』(11)では、富樫真が演じる大学助教授である売春婦が、神楽坂恵が演じる貞淑な主婦に、かかる生き方を指南する。貞淑な主婦を「生きる」のでなく「演じよ」と。指南に応じた主婦は〈眩暈〉ゆえに妖艶に輝くだろう。

■先に触れたが、巷には、エイミーが夫に真の姿を見てもらえず、男目線の「イカス女」を演じさせられたからキレたとする解釈がある。誤りだ。真逆である。児童文学のモデルとして虚実を往来できた自分を、ショボい現実──〈クソ社会〉──に閉じ込めようとしたからこそ、キレた。そして彼女の指南に夫が従った。またしてもラカン派にシンクロする。

■J.ラカンによると「女は絶対的他者だから、女は存在しない」。この難解な言葉をニーチェ『曙光』を引いてパラフレーズする。《女は恋人が自分たちにとって相応しくないと想像して青ざめる。男は自分が恋人に相応しくないと想像して青ざめる》。ここでは男も女も〈女〉に向かっている。ラカン派J.Aミレールが《男にとって〈女〉は他者だが、女にとっても〈女〉は他者だ》と述べた通りだ。

■ラカンは、女は自らを虚構化しつつ〈女〉に接近すると見た。〈完璧なエイミー〉の虚構が自分に先立ち存在し、その虚構を通して眼差され続けるのがエイミーだ。彼女にとって〈完璧なエイミー〉に接近することだけが主体の十全さを示す。一般に女は虚構(〈女〉)が自分であるとの自覚を早期に習得する。だが男は虚構の向こうに真実があると信じる。

■だが〈女〉という虚構の向こうに真実を探しても詮ない。「眼差される女(〈完璧なエイミー〉という虚構)をフォローすること」しか男(ニック)にはできない。それでいい。エイミーならぬ〈完璧なエイミー〉だけが──「生きること」ならぬ「演じること」だけが──辛うじて濃密な感情をもたらす。それを直観したからニックは結婚生活再開を望み、かなえた。

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