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<高畑勲監督と宮崎駿監督の違い>第87回アカデミー賞ノミネート候補『かぐや姫の物語』が描き出す女性像

岩崎未都里[ブロガー]

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第87回アカデミー賞の長編アニメーション部門のエントリー20作品に(2015年1月13日現在)、高畑勲監督『かぐや姫の物語』が選ばれていることをご存知の方も多いはず。『かぐや姫の物語』は、米国では2014年10月に公開され高い評価を受け、現時点でノミネート候補、そして受賞有力候補のひとつです。

1月15日の最終ノミネート発表を前に、筆者は『かぐや姫の物語』を再度鑑賞し、『かぐや姫の物語』は『竹取物語』に実に忠実であることに改めて驚きました。『竹取物語』は、千年前に書かれた「日本最古の物語」にもかかわらず、現代に通じる物語であるため、原作に忠実に描かれることで、現代アニメーション作品としても、深みを増しているように思います。

例えば、「かぐや姫」は大臣や御門といった貴い殿方からの求婚に対して、結婚条件として無理難題を要求します。しかし考えてもみれば、女性が男性配偶者を選ぶことが容易ではなかった平安時代に、「かぐや姫」は無理難題を突きつけつつ、聡明で気の強いエッジの効いた女性として描かれています。

育ての親である竹取の翁が、かぐや姫を盲目的に愛するあまり、自分の考える「幸せ」を押し付けていく過程なども、愚かしく丹念に描いいますが、こちらも極めて限定的ですよ。全て良かれと思ってしたことが、結果として、姫が月へ帰ってしまう原因になる・・まさに現代の家族像にもありがちなシチュエーションではないでしょうか。

「かぐや姫」は真っ白な雪景色を見た時に、「月」を思い出します。そう、「月」は闇や穢れの無い、真っ白な光だけの清浄な世界なのです。

そして、月の使者が、かぐや姫を迎えにくるラストシーン。

この場面は、今まで見た、どんな『竹取物語』よりも美しく怖いものです。翁たちと別れたくないと悲しむ姫が、天女の羽衣を身にまとった瞬間に記憶が消去されスッと無表情に・・・悲しみや苦しみが無いことは残酷です。

宮崎駿監督が、本質的にはアニメーターであり、時として物語より動きや映像的快感を優先するのに対し、高畑勲監督は、冷徹に物語を描き切るのです。まさに映画監督なのだなと、再認識いたしました。

そんな高畑監督の手で『竹取物語』から『かぐや姫の物語』として忠実に影像化された本作品は、魅力的で普遍的な物語として世界中の人々の心を惹き付けることでしょう。

1月15日、『かぐや姫』がノミネートされ、第87回アカデミー賞でオスカー像を渡されることを筆者はとても楽しみに待ちたいと思います。

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